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SNSについて

【SNSについて】

SNSを始めたのは、18歳くらいの時で
最初はmixiやアメブロ、my spaceなどだった

そのあとavexの人の勧めでモバゲーやったり、ライブドアブログをやったり

ホテルオークラで働いていた15年くらい前に「これからyoutubeがくるよ」とお客様から聞いてyoutubeにアカウントを作ったりした
(当時日本では誰も見てなかった。ayuのTO BEを歌った動画が30万再生したけれど、ほとんどが海外のコメントだった)

全部音楽活動の為に始めたことだった。

Twitter.Facebook.instagramは今も稼働中(FB廃れ気味)

いまこそSNSリテラシーも一般に浸透してきているけど

ひと昔前は個人情報を守ること、所謂『顔出し名出し』活動をしている自分にとって

周囲の身近な友人達や仕事の同僚とはなるべく繋がらずに(迷惑がかからないように)管理しなければいけない、とナーバスになったり

見知らぬ人からメンションがくることに神経をすり減らして泣いたりしていた事もあった😆(まだ20代の若い時...)

現在も本名顔出しでやっている自分のSNSには極力、他人の顔や名前が乗らないよう気をつけているし、
私生活や仕事で身近にいる人とは鍵アカ以外では積極的には繋がらないように気をつけている

出来れば沢山の人に存在を知られたい、音楽聴いて!と思っているひとと

プライバシーをしっかり守ってひっそり暮らしたい、と思っている人が

同じフィールドでコミュニケーションを取ることが難しいからだ
(顔出し名出しがOKな人は問題ない)

LINEがあるし、メッセージもあるから、それを使うのが良い

世の中には、本当に色々な人がいるから👻

『自己顕示欲の塊』だとか『承認欲求で溢れ返る地獄』のように揶揄されるSNSであるから、😹

やはり精神力、メンタル面で向いている、向いてないみたいなことはあるように思う

SNSがしんどい、と感じる事はおおよそ誰にでも経験がある事と思うので。

私はどちらかというと、わりと平気な方だと感じる

匿名で誰かを誹謗中傷もしない、最低限の良識もあるだろうし
自分の人生の様々な出来事を、人に共有したいという気持ちが多くあるように思うから。

それに何よりも、自分自身の為になっている

人生に行き詰まり、虚しさが襲い、悲しくなる時

過去の自分自身の記録が、自分を励まして背中を押してくれることがある

時には普段は会わない遠くの誰かが、勇気づけてくれることもある
(今日もCDの注文が1枚ありました)

SNSではあまり関わらない家族や友人や同僚もとても大切だし
SNSでしか近況を知れない、なかなか会えない人達も、

携帯の画面越しに、実際に生きている、その存在を感じるから

その小さな繋がりを愛おしく思う

食べて、寝て、生きる
食べて、寝て、生きる

その繰り返しの中で

何か小さな幸せを、言葉や景色や、音楽を
誰かに共有したいと思う心に
邪(よこしま)さがカケラでもあるだろうか

誰かのそうした心に
いいね!と思いを寄せる行為は
くだらないことなんかではないように思う

つめたい人間になっても、自分がつまらないだけですよね🙂

生身の人間がいるんですよ
想像してみるだけで。


#39歳になりました
#SNS


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