今日という日を生きているのか
こんにちは
何気ない毎日をただただ時間を使っているなかで、今日は何をしたのだろうと思うことがあります。
本を読んだり、ユーチューブを見たりしていて気になるワード
「今日を生きているのか」という言葉でした。
朝起きてから、家事をして就活してお風呂に入って寝る。その繰り返しの中で、「あれ?」となることがあります。
ほとんど家の中で過ごすことが多いので刺激がないと言えば刺激はありません。何かしたいと思っても相談したり談笑する相手がいない。
ここで書くことが吐き出しになっています。
それもただの「つぶやき」程度です。
10年に一度ぐらいの間隔でなにをしいるのかわからない空白ができます。
それでも困ることなく生活ができているのはありがたいことです。
周りを見ているとやりたいことをちゃくちゃくとやっている人ばかり目が行きます。
相談できるパートナーがいたりしている人も。
周りに目が行きすぎて、「私の今日という1日」を生きていない。
今日という日の繰り返しが日々になるのに。
他人を見て、私を見ていない。
何かをしようとしても、見えなくなってしまいます。
女性という性別、年齢、配偶者。
色々なところに引っ掛かりができてきています。
それでも、
何をしたいのだろう。
何ができるのだろう。
どうしたい。
どうすればできるようになる?
自問自答を繰り返す。
人というのは、未来ばかりを見ているのか。
過去を悔やんでいるのか。
それでも今を変えたい。
虐待の後遺症というところにも気づいた。
自分をどう育て直すのかが、今日を生きることになるのでしょうか?
50歳前後から始まる更年期障害とい症状。人生のターニングポイントかもしれないと思っています。
人の人生が変わる時に起こることはさまざまです。女性の人生の分岐点となっているようにも思います。
今日を考えて、今日を生きること。
なにげなく過ぎていくだけではもったいないですよね。
こうやって考えたことがなかったので、いいきっかけになったように思います。
朝、顔を洗って鏡を見ながら問いかけてみる習慣をつけていこうと思います。
笑顔を作りながら、
「今日の1日をどんなふうにしたい?どう過ごしたい?何がしたい?」
そう問いかけようと思います。
読んでいただいてありがとうございます。