きっと私は自分を持てあましたまま死ぬ
自覚が行動へうまく反映されないのは困りものです。
わたしは後ろ向きな人のことばが好きなので、後ろ向きで身勝手なことばをつい公開してしまいます。この記事は、後ろ向きな人のことばがあまり好きではない人は読まないほうがいいと思います。
いろいろと試しましたがわたしにとって告解にいちばん適しているのはこの名義のようです。これは再読も添削もせずに吐き出したことばをそのままに保管するという試みです。それを公開するのはなぐさみを期待してのことでしょうか、だとしたらそんなに浅ましいことはありません。
そもそもわたしが内面を適切に言語化する能力も持たず、受け手の解釈も操作できない以上なぐさみなどすべて上滑りになるをえないのです。これは優しさの価値とはまた違った問題についての話です。
さいきんよく、無理しないでだとか、頑張りすぎだとか言っていただきます。ほんとうに嬉しいしありがたいことです。けれど同時に、わたしが休んでいる間に生じる遅れをあなたが埋め合わせしてくれるんですか?と思ってしまいます。けれど優しい言葉は一丁前に欲してしまいます。ほんとうに性格が悪いです。
出来が悪いことは自分がいちばんわかっています。鬱と発達障害の薬を処方されています。これは病名という権威を借りて自分の不出来に対して言い訳をしているだけです。許されようというつもりはありません。四則演算ができません。計画がたてられません。ときおり言語を言語と認識できなくなって会話に参加できなくなります。本が読めなくなります。寝てもいないのに新幹線を乗り過ごします。傍から見れば笑える話でも本人からしたら惨めでしようがなくて消えたくなります。
だからいつも焦っています。なにもできていないのに時間をむだに使うことだけは上手だから、周囲の眼にはきっと頑張り屋のように映ります。みんなは優しいから、出来が悪いのにわたしに対してそれを指摘しないでいてくれるのです。きっと。
だめなままでのんびり生きられる性格ならまだ良かったと思います。でも無駄に上昇志向でプライドも高いので、頑張ってしまうのをやめられません。でも頑張るのすら下手で内実がともなわないので実力はありません。実力が伴わないプライドなんてみじめなだけです。わたしは毎日惨めな姿をみんなに晒しています。わたしは惨めで醜いです。
これが理由で恋人が傍にいてくれることに耐えられないときがあります。好きな人に惨めなところを見られたくないからです。友人知人としてつきあうならまだしも、日常生活も家事もまともにできない人間と生活を共にするのなんてイヤに決まっているので、どうせすぐ捨てられると思います。いずれ来るその時のことがつねに頭から消えなくて、一緒にいて支障が出るのなら離れるのが自然なのに、つらくてつらくて自分たちだけなんとか例外になるすべはないかと模索しています。実際にしていることは無意味な空回りと偽悪だけです。この思いが実感として消えないと同時に、根拠のない思い込みのように思えることもあります。でもいずれにせよ苦しいです。根拠のない思い込みで失礼なことを考える自分がイヤになるからです。
与えられたものを取り上げられるよりもさいしょから与えられないことの方がしあわせにきまっています。
だから絶対の安心か孤独なままの充足しか受け入れたくないのに。
ひどいです。中途半端に優しくしないで欲しい。けれど要求を伝えようと努めもしないで喚くだけのわたしが一番悪いのです。わたしが一番悪いと言うことも、一番悪いのはわかっているから許せと言っているようでイヤです。
まっすぐに人を好きになって捨てられるのがこわいので、なにがあってもへいきなふりをして逃げているのです。
本当に格好が悪い。
だからこんな文章を書いて中途半端に逃げ道を作らず、黙って改善の為に行動するか黙ってすべてを諦めるべきだと思います。言語化と後悔だとか取り返しのつかなさだとかはわたしにとってほぼ同義です。
最近はもっぱら言語化という行為や言葉に対して絶望しています。実感として苦しみを味わうのと論理を呑みこむことの違いを身をもって味わっています。
吐いた言葉に対して約束された誤読と羞恥しか見いだせないのに言葉を吐くという行為がやめられない。苦しいです。わたしが吐くことばはわたしの苦しみや悲しみをまったく表出していないのでどうかこれをわたしだと思わないでください、ひどい。ひどい。世界への説明責任を放棄したい。史学的な言葉しか吐きたくない。
いまのわたしには言葉よりも人肌のほうがなんばいもなんばいも効くのでしょうが、確かめるすべだけが無いのです。
さいきんはよくサガンや征木愛蔵の事を考えます。
自分で自分をだませるくらいに純粋なままでいたかった。
いまのわたしは乱雑なごみの中にうずもれていて鳥瞰的な視点がもてません。何も言わずにがまんしてひっそりと壊れることができる忍耐と、慎ましさがわたしにも備わっていたらよかった。
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