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Yoshilog Book Club 12 《近代日本の思想と文学(後半)ー『日本の思想』丸山真男》参加者の感想など。

Yoshilog Live Space の中で、去年の年末から始めたBook Clubで取り上げた一冊が丸山真男『日本の思想』なのだけど、一回で終わるつもりが、これで5回目になって、ようやく”いったん”終了することになった。

少なくとも1980年代くらいまでは、この本は、”誰でも読む本”というカテゴリーの中の一冊だったのではないだろうか?”誰でも”というのは実際は極めて怪しく、もちろん全人類が読んだわけではない。

おそらく当時の文脈でそれが意味したのは「高校生あるいは大学生くらいなら読んでいて当然、読んでなければ恥ずかしいと思わせるような本」という程度のことだろう。そこに、社会的な無言の圧力が発生しているのかもしれないし、その社会の価値感が反映されているのかもしれない。というのは、”誰でも読む本”カテゴリーに属する本は時代により、刻々と変化してきているからだ。

ベストセラーの変遷には、人々の意識がなんらかの形で反映されているだろう。本を読むのは人なのだから。

例えば、大正5年(1916年)のベストセラーは『近世に於ける「我」の自覚史』(朝永三十郎)、大正6年(1917年)が『貧乏物語』(河上肇)だった。これだけで、大正に生きた日本人のことを色々想像して楽しい。

ーーー開国してみれば、世界には「近代」というものが始まっていた。近代の西洋哲学に現れた「我」とは何なのか、近代化した文明国における「貧乏」とは何なのかを学ぼうとする日本人がいた、それも一人や二人の学者ではなく、本が売れるくらいにいたーーー

どんな本が読まれていたのか、どんな音楽が聴かれていたのか、どんな絵画・映画が見られていたのか、そういう側面を知ることによって、その当時の社会の理解が、突然ハッと進むことがある。経済的なデータや政治的な事件史も興味深い情報を与えてくれるが、それだけで社会は成り立っていない。だから、Book Club とは別にやっている、Yoshilog Live の「日本の近現代史」シリーズは、文学、音楽、芸術など文化的な側面を政治や経済の動きから分離させず、まるごとつかむというアプローチを取っている。

話が逸れたが、元にも戻すと、この本というよりも、丸山真男という人が、その思想に共鳴するにせよしないにせよ、30、40年くらい前までは日本を考える上で一つの道標として立っていたことは間違いない。

そして、当時の一般人が日本について考える時、とりあえず手に取る本の一冊が彼の『日本の思想』であった。彼の硬い論文は読めなくても、これなら読めると思わせる本として、広く読まれていた。その感覚で、僕はYoshilog Book Club でこの本を取り上げたのだった。

しかし、”難しい”という反応がほとんどであった。同時に、かなり苦労をして読んだ結果、それぞれの人の中に喚起されるものがあったということも感じた。

”難しい”の意味は色々あるだろうと思う。

(1)まず、単に文体が今より少し古いので、この時代の本を読み慣れていない人にとっては、それだけで難しく感じるかもしれない。

(2)文中には、日本史上の出来事や、思想史、文学作品などが出てくる。特に今回の第二章は近代日本の文学を正面から取り上げているのでなおさらである。

しかし、恐ろしいことに、現代日本の教育制度は、たかだかこの100年前後の日本について、日本人をほぼ完全な無知にすることを目的にしているのではないかと思わざるを得ない結果を出している。

日本人全員が、あるいはブッククラブ参加者全員が、完全な無知だと言ってるわけではない。なんらかの知識を持っているのだが、それぞれの人が持っている知識は、体系的な教育で得られたものではなく、個人的な努力、好奇心、趣味、偶然によって得られたものということだ。

これでは、文中に次々に出てくる話題に関する知識が足りず、話の筋が追えなくなっても不思議はない。それが”難しい”となるのだろう。

(3)不慣れな文体や知識不足よりももっと本質的な難しさもあるかもしれない。

『日本の思想』を読んで感じることの一つは、これは丸山真男から未来の日本の一般人へのメッセージなのだということだ。

単に彼の考えを提示するのではなく、読者に考えさせるような言い回しや反語的な表現が多出する。つまり、読み進む上で考えることが必要になる。これが”難しさ”の大きな理由の一つだろう。

そして、苦労しながらも読むことによって、なんらかの考えが喚起される理由もそこにあるような気がする。

参加者の感想から

自分では全く歯がたたかなった本なので、丁寧に解説いただき感謝です。
よしさんの資料を見ながら、本に戻って、を繰り返し、少しでも読み進めていきたいと思います。
「文学ー政治ー科学」のピラミッドに、「経済」は入らないのかな?と疑問に思いました。
これはこの本を読めてないから理解できないところだと思いますが、音楽の話から日本文化の商業主義一偏倒になってしまったところと、資本主義の発展=市場原理優先がつながってるでしょうから、その辺が自分の中では次のトピックとして浮かびました。
本日もたくさん勉強させて頂き、ありがとうござました。

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1. 「日本の文学には知性が乏しい(三木清)」のくだりでは「サピエンス全史」の、人間が何故地球上の支配的動物となり得たか、というくだりを思い起こしました。つまり虚構を想像し共有していく。それが理論であり哲学であり、いわゆる法律的なものである部分であると理解していますが、その部分が乏しいということになるといろいろ厳しいものがある。不断の努力でどうにかなるといいですが。

2. 「転向」の文学的意味に関しては尤もな話で、単に思想的に寝返ったという次元ではないということは勉強になりました。

3. 日本が開国して明治国家を樹立するのと西洋において近代思想が興隆することが同時代に起こっていて、そのことが日本の遅れぶりを国内でさらに自覚させ、接ぎ木のように西洋思想を取り入れて行ったが、元の木や枝と一体化したわけではなかった、という経緯が見て取れる気がします。

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ヨシさん、今日もありがとうございました!
政治家や官僚などの科学的な空想力がないから、今のようなコロナ対応になったのかと、納得行きました。空想をするだけの基礎・土台がないため、発生するであろうリスクが想定できない。納得しました。
会社で、「医療と教育は大切だと、最近特に思う」と、本をよく読む男子と話していました。
本を読んで感性を上げることは大切ですね。
いつもこちらで宣言(?)しているのですが、今からでもなるべく本を読もうと思います!
ラディカリズムのところでおっしゃっていた、「年齢、社会は関係ない」ですね。
今からでも遅くない!いっぱい本を読むぞ! と、Yoshilog Spaceに参加して、いつも思っています。
本を読むのは遅いし、時間を作るのが下手ですが、長期戦でがんばります!ありがとうございました!
次回を楽しみにしています!

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普遍性・法則性・概念性⇄個体性・非合理性・直感性。この関係のシーソーのようなバランス感覚がこの社会を生きるために必要で重要な考え方の基盤であると理解しました。言い換えて知性と空想。

私がyoshiさんのところで勉強を始めた1番の理由は、日常生活で「空想」のほうにシーソーがぐっと傾いていて、「空想」の要素が多い状態である事を自覚していたからです。そういう私だからこそ、知性の再構築が必要では?と思いました。

シーソーとはとてもわかりやすいです。自分の中にいつもそのシーソーを置いて、自分をどちらかに偏りすぎていないか、バランスはとれているかと省みることができるし、人の言葉を聞いた時にも、yoshiさんもおっしゃっていたと思いますが、どういう立ち位置の人なのか判断できます。

今日のyoshiさんの講義で、以上の部分がとてもよく理解できました。知性と空想を兼ね備えた「社会の自由な創造者」でありたいと思いました。

yoshiさん、今日も難しい内容をとても分かりやすく解説いただいて、ありがとうございました。お疲れ様でした。

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前回のお話はnote 掲載の音源で拝聴していましたが、本を読めてないまま参加して良いのだろうか、とドキドキしつつ初参加しました。丸山眞男さんの本は必ず入手して読みます!

ここ数年、そして特に最近五輪関係で強烈に可視化された、人々の「分断」に打ちのめされている中、よしログさんの解説は大変勉強になりました。

特に、政治と感情の構造、市民運動が衰退してきた理由を伺いながら、自分の中で、壁として立ち塞がっていた何か大きなものが見えてきた気がします。

また、国家と個人、芸術についての考察と解説もとても心に残りました。杉本博司さんが以前、国威発揚のためにがんばります、と発言されことがあり、私はそれを軽蔑すべきか、皮肉とすべきか、どう理解すべきかわからなかったことを思い出しながら、よしログさんの解説を伺い、芸術は政治を越えたものなのだと改めて思いました。この点も本を読んで、再度考えたいと思いました。

そして最後に、「希望」という言葉を出してくださって、大変嬉しかったです。絶望すること多々な状況ですが、希望を捨てずに前に進もう、と元気が出てきました。

うまく言えませんが、このように、人って信じられる、と思えるような活動をしてくださって、ありがとうございます。

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今日もありがとうございます。

文学、政治に、科学を加えた三角形が示唆に富んでいて、うなりました。ややこしい事象を読み解くのに応用してみようと思います。

丸山は現代にそのまま通用するリーダーシップ論をあの時代に発明してしまっているのに驚きます。そして私の計算が間違っていなければ、『日本の思想』を発表した時の彼は43歳!

それにしても、自分が文学を全く理解していなかったことが改めて身にしみました。学生時代の多読は読んだという既成事実作りに過ぎず、少なくともインデックス作りになってくれていれば良いのですが、それすら怪しいものです。

こちらでようやく本の読み方を学び始めたので、コロナ禍が続く中、改めて本と向き合いたいと思います。

次の本も楽しみです。

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ここの章は、読んでも字面だけ追っている感じで、なかなか理解まで辿り着くのは難しかったです。ヨシさんも仰っていたように、この時代の背景はうっすらとしか分からず、文学史は誰が何をいつ頃書いたということを、高校時代に暗記しただけでした(しかも殆どすぐに忘れた)。まさかこの歳になってプロレタリア文学の話が、戦後の日本について学ぶ時に出て来ようとは。読書は頭の起爆剤、本当にその通りです。ここ20年ほど、読書は好きで本は読んでましたが、自分の興味がある物、現代小説やベストセラー的なものをとりあえず手に取ってばかりで、読んで感じることはあっても、踏み込んで考えることはしていなかったと感じます。お勧めされた本を、躓きながらも読みこんでみようと思います。

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いつも思うのは、よしログさんが先生だったら、勉強が面白かっただろうなぁと。又歴史は現代に繋がる事だと思っていますから、父親から教えて貰える事もありますね。私自身は父親から少し学びましたが、主人は家庭で会話をしない人なので、子供にも、羨ましいなと思いました。
ダウンロードして、息子にも見せようと思います。
いつもながら音楽が最高です。🎵
ありがとうございました

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