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Yoshilog Live 34 - 「日本の近現代史(8)冷戦2」の録画

この記事を購入すると、記事の一番下に録画へのリンクとパスワードが現れます。視聴期間は無期限です。録画の長さは、1時間47分です。


ダイジェスト版(約4分)は、ここ(↓)で見ることができます。


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参加者のレビュー


イベントの評価


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【自由記入1】
今回もレクチャーをありがとうございました。 最後のBob Dylanの歌は、壁が崩壊する前に、ドイツの小学校で学校の先生がアコギで弾いて、ドイツ語版を皆で歌っていました。パツパツのジーンズを履いたパンクなおばちゃんでした。

レクチャーに参加をして2回目ですが、情報の量と質、分析、考察がどれも深くて精緻で、圧倒されてしまいました。


レクチャーが終わって、しばらくしてから、緒方貞子さんが、「全てでなくては良いが、一つの事柄に関する歴史と理論を学ぶことが大事」と言っていたことを思い出しました。 yoshiさんはそれを地で行っていかれていて、さらに現場で働かれた経験と、 そこで考えられたことが、それらをさらに高いレベルで洗練されている感じが個人的にしました。「緒方さんが言っていたのは、こういうことか・・・」と思わず舌を巻いてしまいました。

今回、冒頭に日本の歴史教育について話されていましたが、歴史全体を把握して、そこから興味がある所を自分で掘り下げて繋げていくことが重要ということは、とても納得がいきました。日本の歴史は細部にこだわり過ぎて、全体像や地図が見えなくなり、最終的には受験で歴史への興味と、勉強の楽しさが消えて行ってしまことが多いように思います。

受験をした者は「どこかに正しい答えがあり、それを当てないといけない」という呪縛があり、受験は、従順で画一的な考えをする人を生み出す装置のような気がします。ただ、yoshiさんの歴史に対する視座や近現代に関する理解は、むしろ、歴史や人に対する興味を掻き立てるもので、聴いていてとても、楽しく面白かったです。

ちなみに、今回のように冷戦をあれだけ細かく見たことは初めてで、未だに理解が追いつかずにいますが、自分の冷戦理解が狭く、ほんの一部でしかなかったことに気づき、冷戦に対する見方がものすごく変わりました。歴史は相互に連動して、影響をしあっていること、そして歴史が現在ともつながっている生き物でもあるということを再認識しました。

米国がコンドル作戦を実行することで、逆に、米国の敵をすごい勢いで増やしてしった愚行も、個々の事例や情勢、コンテキストを丁寧に細心の注意を払って、行動なり、発言をしていかないといけないことを感じました。 今回、作られたスライドでは、冷戦が個別の事象を丁寧に列挙・説明され、考察されていましたが、すごく文脈を大事にされていることが伝わってきました。yoshiさんの提示や説明の仕方一つに色々な意味やメッセージがあり、緻密に考えることの重要性を改めて認識しました。(勝手な想像ですが、現場で複雑な状況に直面されていると、殊更、文脈を読み込んで、判断を下すことがすごく大事になるように感じました)

【Book Club「誇りと憎悪 民族紛争の心理学」】について こちらも、すごく考えさせられました。ありがとうございました。名大時代に、旧ユーゴスラビアでそのような調査をされていたことも初めて知りました。そのときのお話ももし、可能であればもっとお聞きしたいです。現在のプーティンを悪魔化している風潮、ナショナリズム、血、FreudとEinsteinの対話は心理学を専門にする者にとり大きな宿題をもらった感じがします。なかなか時間が確保できませんが、一度、しっかり向き合ってみたいと思います。

ちなみに、Freudは息子をWW1で亡くし、そこから絶望し、それまでの理論を大きく変え、Todestrieb(死の欲動)理論を発展させました。実際にプレイセラピーをしていると、虐待により心的外傷を受けた子供たちは、自己破壊的な遊びを繰り返し、不快なはずのものに敢えて固執をし、攻撃性を人や自分に向けますが、根底には、孤独感があり、何かとの「一体性・一体感」への希求を感じさせることが多いです。

これを集団に置き換えてみると、ある特定のグループが、何かしらの過去の傷・心的外傷が賦活されたり、民族や文化的な文脈を含めた物語として「傷」が創出され、誰かに焚きつけられた時に、集団的一体感を求め、暴走する場合があるのではないかと思っています。 ソ連邦崩壊後のユーゴスラビアをみると、各グループが、民族主義を焚きつける集団がいましたが、どのような物語を持ってきているのかを見ることは、重要なのかもしれないと感じました。

この辺りはまだ全然、考えがまとまっていませんが、yoshiさんの話を聴いて深めてみたいと思いました。

ありがとうございました。

 あの曲は、ボブ・ディランが21歳の時、1962年に発表した"Blowin' in the Wind"(邦題は『風に吹かれて』)ですね。1962年と言えば、冷戦の「雪解け」と呼ばれる短い時期が終わり、再び「危機の時代」に再突入していく時期です。核戦争まであと一歩、これで人類滅亡かと世界を奮えさせた「キューバ危機」が起きたのが1962年です。
 核戦争はなんとか回避できたものの、その翌年、アメリカではジョン・F・ケネディが暗殺され、1965年アメリカはベトナムで北爆を開始し、1968年にはマーチン・ルーサー・キング牧師とロバート・ケネディが暗殺され、アメリカ、ヨーロッパ、日本で同時に学生の反乱が起きるという時代でした。
 1960年代末が、日本の若者が世界とシンクロした最後の瞬間だったと僕は思っています。
 この曲は、やがて反戦歌とかプロテストソングと呼ばれるカテゴリーの中で不動の地位を得ます。

 当時21歳のディランがこの歌の意味を訊かれて興味深いことを言っています。

この歌について言えることは、答えは風に吹かれているということ以外にはあまりない。本にも映画にもテレビ番組にもディスカッショングループにもない。答えは風の中にある。そして、風の中に吹いているんだ。多くの流行に敏感な人たちが、答えがどこにあるか教えてくれるけど、僕はそれを信じない。僕はまだ、それはちょうど風に舞う落ち着きのない紙切れのように、それはいくつか降りてこなければならないと僕は言っている.... しかし、唯一の問題は、それが降りてきたときに誰もその答えを拾わないということだ。そして、それはまた飛んでいく。僕は今でも、最大の犯罪者は、間違ったことを見て、それが間違っていることを知った時に目を背ける人たちだと言っている。僕はまだ21歳だけど、あまりにも多くの戦争があったことは知っている.21歳以上の皆さんは、もっと年上で賢いでしょう。

Gray, Michael (2006), The Bob Dylan Encyclopedia, Continuum Internationalより拙訳。

 60年前に21歳の青年が言った言葉が、現在もそのままあてはまるように思います。

 ところで、今回のYoshilog Live Event 中に流したのは、Peter, Paul and Mary が歌う"Blowin' in the Wind"です。この曲は、無数と言っていいほど色んな人にカバーされてますが、おそらく一番有名なのがこのヴァージョンだったと思います。
 1994年の映画『フォレスト・ガンプ』では、ジョーン・バエズの歌ったヴァージョンが使われました。
 この曲が発表されてから40年後の2002年、イラク戦争に突入していこうとするアメリカ政府に反対する若者たちは、再びこの"Blowin' in the Wind"を反戦歌として歌い始めました。結局、イラクでは大量破壊兵器は発見されませんでしたが、間違っていたことに目を背けるという、60年前の21歳のディランが言うところの最大の犯罪が再び起こりました。

 「Freudが息子をWW1で亡くし、そこから絶望し、それまでの理論を大きく変え・・・」という経緯は知りませんでした。興味深いです。ちなみに今回のライブの中でフロイトとアインシュタインの往復書簡について触れましたが、これは『ひとはなぜ戦争をするのか』という書名で講談社学術文庫に入っています。

 とても一般的で抽象的な言葉ですが、民族として集団としての心的外傷を負うということ、そしてそれを乗り越える物語を集団として作るということ、そのようなことを、戦争の中で生活をし、仕事をしていると考えざるを得ませんでした。外から見る観客としての視点から見える世界とはまったく違う世界がそこにあります。一つの集団がーーーそれは民族であったり、部族であったり、国民であったりするのですがーーー、合理的な計算を超えて、憎悪にまみれ、あるいは誇りを渇望する、それが残虐極まりない行為へ結びつくこともある。
人間の歴史は、政治や経済や文化や法や芸術や文学や思想や心理や宗教等々全てが絡まり合って動いているものだと思っています。それらをばらしてはまとめ直し、またばらしてはまとめるという作業を繰り返さない限り、複雑で多様な顔をした人間の営みの歴史は理解できない。Yoshilog Liveの「日本の近現代史」シリーズでは、そのような前提で話をしています。(Yoshilog)


【自由記入2】
ちょうど学生時代で、事件等はおおまかに理解しているつもりでしたが、改めて歴史の流れのなかで、それぞれの事件等の位置づけを学ぶできることができました。 タイムラインじっくり見たいと思います。 有難うございました。

【自由記入3】
何だかんだ言ってもアメリカ中心で世界は動いているのだなぁと思いました。 敵を作りながら成長する手法はいつまで続くのか? ロシアの後、中国に対しても同じ路線で行くのか?? アメリカの正義が世界の正義でほんとに良いのか???とか、近現代史って面白いなぁーと。 動く資料も有り難いです。 興味ある個別の事象を掘り下げてみたいと思います

【自由記入4】
冷戦前半については知識があまりなかったので、非常に勉強になりました。後半についてはおさらいになって良かったと思います。昨今の状況だと、また冷戦が始まり、十数年後に「新冷戦について」という回が持たれるような気がします。冷戦で済めばよいのですが。

【自由記入5】
冷戦といっても時代によって細かく分けられることを知ることができ、とても勉強になりました。ありがとうございました。

【自由記入6】
冷戦について知らないことがたくさんありました。冷戦で何が起きていたかをイメージできるようになりました。 ありがとうございました。

【自由記入7】
今回の内容を視聴して、自分は冷戦時代の真っ只中を生きてきた世代なのに知らないことだらけでした。とくに「デタントの時代」については無知で、そういう概念すら知りませんでした。 ありがとうございました。

【自由記入8】
国の貧しさや満たされ無い者のはけ口がなくなるという恐ろしい日々は、有機的身体の観察から精神の歪みに到達している。
日本の政治は政治家たちの金儲けの場で、国民の為になっていない。現実的な国民であると 申し上げる。貧しさや、満たされない恐ろしい日々の皮膚感覚はやはりはけ口が欲しい。
絶望の精神から命をかけた政治をしている れいわ新撰組には日本の政治の記憶になる未来が あると思う。
戦争の終わらない国は、軍事を増強していくのが当たり前のようだ、人は誰の心にも届かない時、人の心を変えようと思う時 どのようなコミュニケーションをすれば良いのだろうか。弱き人間のはけ口は欲しい、はけ口がなくなるのは怖い。

【自由記入9】
よしさん、今日もありがとうございました。前回に引き続きの冷戦の解説、とてもよく理解できました。

全体像をつかんだ上で、冷戦の期間でも何期何期という風に、細かく区分があったことを知りました。私は世界史をきちんと勉強しないできてしまっていて、さらに近現代史となると抜けてる部分が多いです。有名な人や事件や事象について、子どもの頃にテレビで観た記憶があったり、言葉として知っていたことが、いろいろ繋がりました。


昔、受験の時に日本史の勉強で、机の上に教科書、参考書、地図帳、年表、資料集と全部広げて、あっちこっち飛びながら、時代の全体像をイメージしながら、細かい事柄や言葉を覚えていった記憶があります。今思えば、頭の中で全体を把握して事象を立体的に構築しようと苦心してたのかもしれません。 そのような経験を思い出しながら、よしさんのお話を興味深く聴くことができました。これは、学生のうちに学んでおきたいものの一つだな、と思いました。世の中の複雑な問題に直面した時に、思考の土台となるもので、これまでの近現代史のLiveは全てそれだと思います。最新の動く年表とか動画とか考え尽くされた、よしさんの講義は、いつもながら素晴らしいと思いました。

よしさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

【自由記入10】
冷戦について、「アメリカとソビエトの対立」位の知識しかなかったので、前回と今回のLiveで勉強することが出来て良かったです。アメリカが親米ではない国は容赦なく叩き潰していることなどは、あまり知らなかったので、自分が見ている外の世界はかなり曇った眼鏡を通してなのだな、と改めて思い知りました。日本では知られていない、というのもあるかもしれませんが、自分自身が自分のストーリーにそぐわない情報は削除して記憶しているような気がします。

【自由記入11】
仕事をしながらですが、参加させていただきました。後半に使われていたExcelの表は見易かったです👍 日本の電子教科書に採用して欲しい位です。
俯瞰して話して貰えると自分の勉強不足がピンポイントで実感出来ました (-。-;
昭和40年生まれの自分の受けた教育は、歴史や地理の授業の時間配分がいい加減で、学年末になるとひたすら読み飛ばすような状態でした。 楽しみにしていたカナダやオーストラリアなんか、「後は自分でよく読んでおいて下さい」だけ😩穴だらけです。
これからも先生の授業を楽しみにしています!

【自由記入12】
今回もすごい資料をご用意くださってありがとうございました。 流れを追いかけながら冷戦の細かな変遷を学ぶのは、頭の中に順々に格納できるので私のようなものにはとても助かる勉強法です。

よしさんが最初の方でおっしゃっていた、”多様であることに価値がある”という言葉に、全てが要約されているように思いました。

誰かが、自分の思考や嗜好一極の世界を望んだ時、諍いや不平等が起き、不幸にも望まずしてそれに巻き込まれ消えてしまう人や貴重な歴史や文化や芸術が生まれてしまうのかなということを、冷戦の流れを聴きながら考えていました。 時代はずっとそうやって流れていくものなんだろうか、と、答えのないことを考えてみたりする時間でもありました。

今その価値がわからなくても、多様であることに価値があるのだから、という言葉が、私にはとても印象的なライブでした。 ありがとうございました。

【自由記入13】
すごく勉強になりました。 今迄いろんな角度から見えるような勉強を学校では出来なかったので、このYoshilog Liveはありがたいです。 この2年で沢山の事を学びました。 ヨシさん、体に気をつけてゆっくり続けていただければ嬉しいです。 ありがとうございました。

【自由記入14】
学年末の時間切れを言い訳に、学校の歴史の授業では第二次世界大戦後がおざなりに済まされてきたことは多くの人の記憶にあるところで、それはつまり、日本人は、現代史について教育を受けてない、現代史を知らない国民である、と結論付けることができてしまう。まして、戦後の冷戦構造や、冷戦と括られる時代にあっても、いわゆる東西の緊張関係には時期によって濃淡があった、などということは、学校の歴史教育で学ばないことの最たるもののひとつかと思う。私が学んできた小中学校では、いわゆる社会科の教師が授業で教える以外に、例えばフォークランド紛争やレーガンの時代の緊張関係がHRや全く別の授業の話題に出ていたのを覚えている。それらは当時の進行中の事象として語られたのであって(今思うと、いい先生方に教わってきたと思う)、冷戦そのものが歴史となった現在では、そんな風に知ることもないだろう。学校の歴史教育のカリキュラムって、ほんとにもっとどうにかならないものなんだろうか。


二回シリーズとなった「冷戦」では、歴史の継続性というものを強く意識することになった。第二次大戦の敗戦国となった日本では、戦争の終結イコール、ご破算で願いましては、で新しい歴史が始まったかのようだけど(新しい憲法を採用したのだから、それはそれで合ってるものの)、各国の歴史は続いていて、それぞれに過去からの利害や思惑があり、世界は一家人類は兄弟、的な平板な世界観では到底捉えられない、立体的で動的なイメージを持つことができたと思う。日本も実はもちろんそうで、過去からは逃れられない、ということはもっと自覚すべきところであることは間違いない。早い話、例えば私はアジア系移民の2世3世あたりの人々と話をする時は、話題によっては自分の発言が無神経でないよう心掛けるところ。彼らの親世代、祖父母の世代がなぜ移民として母国を出たかというと、日本の影響が色濃くあった可能性も低くないだろうからである。

若者の抵抗が兵器削減等に実際に効果を及ぼしたことも、希望の持てる話。手法や形態が変わっても、人間の意思が同じである限り、訴える内容は同じだから。

なお、Live中の要所要所で登場した英語の解説ビデオ、分かりやすい上に「デタント」の発音がカッコ良くて印象的。なんでそこだけフランス語なんだ、みたいな現象は歴史に限らず時々あると思うけど、なんか歴史的事象はこんな風にまとまっていくのね、という蒙昧な感想を抱いたことも付記しておきたい。

今回もありがとうございました。

【自由記入14】
自分が世界の中の日本を意識するようになったのは90年代からですが、当時だいぶ混乱しました。どう生きたらいいのか、途方に暮れてしまって。何とか折り合いをつけながら生きてきましたが、今回のお話で混乱するのも無理はなかったと思いました。歪んだ目的(子分を増やす)による政治・外交はさらに歪みを悪化させる、何事もそうだと思いますが。今のウクライナ問題もどの枠組みでとらえるか(平面+時間)で反応は様々ですが、より広い視野と事実を直視することが目指す方向を模索する上で大切だと思いました。 わかりやすい資料と、解説をありがとうございました。

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