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Yoshilog Live 27 - 日本の近現代史(5)「日本の敗戦から独立へ」ー参加者の感想など

追記:回答を追加し、グラフをアップデートしました(2021年10月19日)。


これは、2021年10月10日に実施したYoshilog Live 27 - 日本の近現代史(5)「日本の敗戦から独立へ」に参加された方を対象に実施したアンケートの結果です。回収された順に随時追加していきます。(シェアする許可を得られなかった人の回答は載せていません)

感想グラフ.001

感想グラフ.002

感想グラフ.003

感想グラフ.004

感想グラフ.005


自由記入欄

自由記入1

学校の授業では少ししか習ったことがなかったのでとても勉強になりました。お疲れさまでした。お身体どうぞお大事になさってください。


自由記入2

個別の事のうち、幾つかは誰かと話したりすることもあったものの、中々一つの流れとしてイメージができていませんでした。そのため、関連することを次々と知ろうとする中で偏った目線になって行き、益々全体が理解できていなかったのだな、と感じました。
もっと知りたいと思う事、何も知らなかったんだと思った部分が余りに多すぎて、こんなにも短期間の間に様々な思惑がすれ違ったりぶつかり合ったりしていたのかなと思えました。
今からどこまで知る事ができるが分かりませんが、一つでも多くの人の視点から見たものに触れてみたいと思いました。ありがとうございました。


自由記入3

ポツダム宣言をほぼ初めて読みました。後ほど、ゆっくり読みますが、なかなか強烈な文言が並んでいますね。
星条旗の話も初めて知りました。日本側代表は、当時その説明は受けていても、記録は残っていなさそうな。


自由記入4

学生の頃、教科書通りに教えてもらった内容と大人になり現在の状況を肌で感じている事に違和感を覚えていましたが、今回の話を聞いて誰かにとって都合の良い事しか教えられていなかったんだなと実感しています。怒りでもなく恐怖でもなく何と表現してよいか分からない感情を持ったままこの感想を書いています。日本は本当に独立しているのか疑問が残る時間でした。まとまりが無い文章ですみません。頭が追い付いてないです。これは整理しながら調べて勉強していくしかないですね。ありがとうございました。


自由記入5

お話を通して思ったのは「日本が主体的に行動したことがほぼない」ということです。
(吉田茂と戦犯が公職に復帰できるようにしたことぐらいでしょうか)
そしてそれは今の日本も変わりがないこと、それどころか吉田茂のような人物が要職に就いていない分むしろ悪化していると思いました。とても70年前の話とは思えません。
日本が変わらないための努力を全力でしてきた結果なのでしょう。
2021年でありながら1950年代にタイムスリップしたような感覚に背筋から寒気がします。
今から自分に何ができるのか考えたいです。

話は変わります。
本日お伺いしたお話、高校の日本史の授業でかなり聞いていました。
近現代史は授業でやらない学校も多い中、そのような授業計画を立て、生徒に何かを与えようとしてくれていたこと、それは当たり前のことではなかったことに気づきました。
今、感謝の気持ちでいっぱいです。

今日はありがとうございました。次回も楽しみにしております!


自由記入6

今の日本の腐敗しきった状況の根源の一つは明治維新と終戦直後にあるのは確実のようですね。両方とも、かなり根深い問題なのだなと感じました。
「連合国側はポツダム宣言にサインするのは、天皇だと思っていた。」というのは、言われて初めて気づきました。宣言にサインをしたのが天皇でも東条英機でも無かった。というのがかなり象徴的ですね。

今回、お話を聞いていて感じたのは、日本人一人一人の「個」の無さ、主体性の無さなんですよね。
「日本の場合は組織の上に行けば行くほど、蒸発するように責任があやふやであいまいになっていく」
と仰っていましたが、これも一人一人が確固とした意志を持って仕事や行動を行っていたらそんな風にはならないはずなんですよね。
日々の行動や仕事がただの流れ作業になっていて、その仕事や作業がどのような意味をもつのか、どんな結果をもたらすのか、自分はそれに関わりたいのか。等を一切考えていない。

昨今の事例で言えば、名古屋入管でスリランカ人女性が亡くなった事件もそうですし、コロナ対策の失敗で誰が一番責任を負うべきなのかもそうです。
中長期的かつ広範囲に物事を見て考え判断することができない。当然、自分(達)を客観的に見る能力も低い。目の前の自分の利益や立場が常に優先されるため、勢い(社会)倫理や遵法精神は疎かになってしまう。そういう種類の人が今の日本では非常に多いという印象です。

おそらく、国の上層部の人間にとっては、そのようなメンタリティを持つ人が市民の多数派であれば搾取も支配も容易でしょうから、あえて意識改革に必要な知識を学校教育で施さない。という選択をしているのでしょうね。
私自身はdemocraticな国が良いと感じていますが、国の体制としてdemocraticなものが良いのか、そうじゃない方針の方が良いのか、democraticが嫌ならどんな方針や体制を選択したいのか?ということを他の人にも聞いてみたいのですが、おそらくこれまでの人生でそんなことを考えようとしたことすら無い人が大半なんだろうなぁ。。。と思うと、前途多難というか…暗澹たる気分になります。

落ち込んでいても仕方ないので、知識を増やして少しでもより良い未来に資することができるよう、努力するのみですね。
本日も、豊かな時間をありがとうございました。


自由記入7

歴史の流れとして起こった事柄についてぼんやり知ってはいても、系統立てて理解できていない、人に説明できるほどは知らない、と常々自覚していました。今回の資料の、横帯の中の赤と青の色分け、世界における日本の威信の赤いラインなど、図がとてもわかりやすく、頭の中にスッキリ整理できました。と、思っています。
満足度10でないのは資料で用意されていたお話をもっと聞きたかったからです。

戦後の改革の流れが東西冷戦の波に巻き込まれ、逆風に押し戻されたのは、大変残念なことです。日本の地理的な位置からも無理からぬことですが、戦争の責任を自国として総括できていないことは悔やまれます。戦犯が総理大臣になれる国。今現在、戦前の精神をなし崩し的に復活できてしまうことの土台になっているように思います。それとも、水に流す、あいまいを好むなどとよく言われる日本人の特性なのでしょうか。

自分自身が小学生の頃は、戦争経験者である先生が、戦争体験や、平和の大切さの話をしてくれました、が、人権の話はあまりなかったように思います。人権意識については日本人は最も弱いところなのかもしれません。

高度経済成長期、なんとなく日々過ごしていても楽しく生きていける、そんな時代を過ごしてきた世代です。三無主義(無気力、無関心、無責任)と言われて。考えることをしてこなかったツケは大きく(もちろんちゃんと考えてきた方達、運動を継続してきた方達がありますが少数派なのでしょう)後の世代の方に本当に申し訳なく思います。

やはり戦後〜現代のことをきちんと学ぶことは大切だと思います。教育は重要。でも、歴史修正主義の跋扈。。。なんとかちゃんとした民主主義の日本にできるように模索していきたいと思います。

今回もわかりやすいお話をありがとうございました。(hiro)


自由記入8

 Yoshiさん、今日もありがとうございました。戦後の占領下の位置づけを改めて学ぶことができました。

 1854年の開国から100年の間で、日本の外の世界へのデビューという言葉が頭に残りました。そして、第一次世界大戦ころのピークからの転落、敗戦。その一連の流れへの反省と再スタートと後退。民主主義への道と冷戦下の後退とが併存して、それがアメリカの思惑を如実に反映していたことがわかりました。日本の軍国主義への怒りも垣間見える無条件降伏文書の一方で、共産主義化阻止への動きから、民主主義の方向が逆行し、行き過ぎてしまったのが今の日本の状態と認識しました。

 先の100年の道程を見て、戦後100年の今後の転落を何とか止めることはできないかと考えた時、開国から外の世界へのデビューをした日本は、二度目の周期で、本当の意味での世界の中の日本を自覚し、同期し、精神的な民主化の構築が避けられないと思いました。それは、先日学んだ国体からの脱却と真剣な民主主義教育が必要と感じました。それらが、再び転落することを止める方法ではないかと思いました。

 これまで近現代史他のライブ、また、読書会の課題図書を読むことで、いろいろな視点から日本の近現代史を学ぶことができました。その中で重なる部分や更に書き足される部分が増えて、近現代史の再構築につながりました。今後も勉強を続けることで、もっと広いもっと深い豊かな思考ができるようになるのではと期待しています。

Yoshiさん、いつもありがとうございます。お疲れ様でした。
(佐藤あゆみ)


自由記入9

今日もありがとうございました。(移動中で何度も再接続を繰り返してご迷惑をおかけしたのではと心配していました。)

ポツダム宣言全文を、今日のライブ中と後に初めて読みました。それだけでも今日参加してよかったと思いました。
この宣言を7月に受け取った上で黙殺するという決断をした日本政府とその結果について、もっと多くの日本人が学ぶべきだと思います。受け入れ難い現実に向き合えない弱さは日本人の宿痾ですが、その結果どれだけ多くの国民が苦しむ事になるのか、歴史から学ぶ人が増えなければ、無責任なリーダーの愚行は繰り返されるでしょう。

それにしても日本は驚くほど変わらなかった。そしてまた再び破滅に向かっているという見方は残念ながら正確な未来予想図に見えます。前サイクルとの違いは、今や国民は少なくとも戦後与えられた自由を享受して、逃げるという選択ができる点でしょうか。

そして有能な人の逃亡が、没落のスピードを早めるでしょう。息苦しいコミュニティから、年配男性の支配する企業から、婚姻制度から、そして無責任なリーダーに蹂躙される国から、人の逃亡はずっと前に始まっていて、今後もっと可視化されると思います。

おっと、すっかり暗い話になりました。今日もお疲れ様でした!占領中の日本に起きたことは改めて復習したいと思います。
(kasayan)


自由記入10

日本は若い国という認識の仕方にまず衝撃、戦後の復興以外の政治的なあれこれを知らなかったのですが、それは私がちゃんと勉強していなかったのかと思っていたけど、どうもそればかりではないようだということを知れたのがよかったです。これからいろいろ調べてみたいと思います。

また、先日「されどわれらが日々」を読んでみるといいというツイートを見てさっそく読んでみたのですが、これまで特に意識してなかった時代が自分の勝手に想像していたイメージとずいぶん違ったことにびっくりしているところです。

これまでは政治に関心がなく、戦後といえば復興、急成長、日本がんばった、みたいな漠然とした印象でしか見てなかったけれど(こうして書いて見るとちょっと恥ずかしいですが)、日本がどう作られていったのかもっと知りたいと思います。

「自分が学校で教えてもらったことはどんなことだったのか、何を教えられてなかったのかも知りたい」と思い、戦後政治について本をざっと検索調してみたら、なかなか偏った本もありそうだということも見えてきて、これはしっかり知っておいた方が良さそうだと感じています。

そういえば、子どもの時に地域の生協ではおばちゃんたちが反戦の活動をしていたことを、「自分が学校やテレビでは感じない戦争についてこんなに活動してるのは何で何だろう、確かに戦争は良くないけれど」などとぼんやり感じていたことを思い出しました。80年代前半〜半ば頃の記憶です。

今までは「平和ボケ」という言葉も別にいいじゃんみたいな感じでいましたが、なるほどとんだ平和ボケだったのかも知れないと思い始めています。

ありがとうございました。これからも楽しみにしています。


自由記入11

私は二歳半の時に父を米兵による轢き逃げで失っています。幼かったので詳しいことまたは本当のことは教えてもらっていません。当時としては珍しく後続車があって追跡してくれて 検問所でひき逃げ車輌だと訴えてくれたそうです。その後加害者は本国送還になったとだけ聞かされていました。戦争に負けると日本は裁判にかけることも出来ないんだな 早く戦後が終われば良いのにと思っていました。
沖縄の米兵の不祥事などの報道を見ると まだ終わっていない、まだ独立できていないと思っていました。
今回習ったので1951年に独立したと回答しましたが 困ったことに未だに納得できていません。
(千早直子)


自由記入12

敗戦から独立までの数年は、まさに理想と現実、建前と本音がせめぎ合う危うい期間だったのだと改めて思いました。その中で、憲法やその他の改革が出来たのは幸いなことでした。

興味深かったのは、数々の「逆コース」と言われる事柄についてで、これと似たような現象が、最近の日本で顕在して来ているような気がします。逆に、その前の時期(高度成長期、バブル期)にはあまりこのようなことは取り沙汰されなかったように思います(間違っているかもしれませんが)。

もしかすると、経済状況が良いときは社会の「空気」も穏やかで、最近の不況、格差といった閉塞感がこの危険な「空気」を生み出しているのかも、と思いました。そういえば、昭和の戦争も不況からの脱却、というのが理由の1つだったのではないでしょうか。それを考えると、この先心配ですね…。

イベント自体は、大学生の昔に帰ったようで集中して参加できました。次回も楽しみにしています。
(Hidetaka Tanaka)


自由記入13

幕末から日露戦争、第一次大戦を経て敗戦まで、また敗戦から「経済大国」化を経て今日に至る軌跡が印象深かったです。日本が国として辿った発展と凋落について、同じ長さの時間で同じカーブを描いていることはいろんな角度から研究対象になりそう。またアメリカという国との関係についても深く考えさせられるものがありました。学校の歴史の授業では得られなかったこういう視点を得られるのがとても勉強になります。


自由記入14

1-1) 三つの図が出てきましたが、全体を把握する上でとても役立ちました。特に二番目の「ペリーとサスケハナ号」から「マッカーサーとミズーリ号」までの図は、出来事と共に日本の浮き沈み度合いが分かり、当時の世相を想像しやすくなりました。

1-2) 最初の年表(1941~1954迄の横年表)に、私は両親の当時の年齢を入れてみました。あの時代、何歳だったかでその人のその後の人生や物の見方が随分と違ってくるんですよね。男子の場合は一歳違うだけでも生死を分けた。父は終戦当時13歳。天皇陛下のためにいつかは自分も死ぬのだと思っていたら、民主主義の時代になって教科書に墨を塗らされた世代です。皆さんもお祖父さん/お祖母さん、ちょっと気になる年配の方の年齢をあの年表に書き入れてみて下さい。彼らの子供時代や青春時代が想像出来るだけでなく、あの時代が今の自分に繋がる生きた年表になります。

2) 吉田ドクトリン、当時は悪くない手だったと思います。そういう強かさというか狡猾さは弱者側にいる間はあっても良いというか、外交上は必要だと思います。寧ろ戦前の日本にそういう図太さがあればよかったのにと思います。(※自分より弱い立場の者には狡いことしちゃダメです)

3-1) 日本は文明国家としてはまだ未熟な若い国であるというのはまさにその通りだと思います。しかも、国民一人一人が主体性を持って自由や権利を勝ち取った訳でも、きちんとした骨組みのうえにコツコツ形成した共通の理念や思想がある訳でもない。建物に例えると、ちゃんと土台を組む前に場当たり的に規格の違うユニットを積んで増築を重ねたような家という感じがします。

3-2) Liveを聞きながら、実はかつて私が体験したある場面を思い出していました。
かつてのパートナー(ユダヤ+α系カナダ人)の実家に行った時のことです。家族のアルバムを見ていたら、彼の父上が高校の仲間とメープルリーフをモチーフにした旗と記念撮影をしている一枚がありました。私がこれまで見たことのない図柄です。その旗は何かと尋ねると、こんな答えが。「僕らが若い頃はまだカナダ国旗は左上にユニオンジャックがあるものだったんだ。でも僕たちカナダ人は独自の国旗が欲しかった。政府は何年にも渡って新デザインを公募したり、国民も色々案を出した。この旗は僕やクラスメイトが考えたデザイン。」「日いづる国として長い歴史のある君の国と比べると僕たちの国はまだとても若く、僕たちの親の世代から今まで負の遺産も含めて少しずつ作り上げてたのが今のカナダという国であり、それは今だ現在進行中なんだよ。」
建国してからの長さと、成熟度とは比例しないのだと最初に気づいた瞬間です。(明治維新前に日本国民に「一つの国」という意識があったかどうかは不明)

今回もLive開催をありがとうございました。コメントが長くなってすみません。もっと簡潔にと思うのですが、yoshi さんのLiveの後は色々思う事、書きたい事が出て来て困ります。学ぶ面白さの一つに、自分の人生や生活のどこかと交差する瞬間というのがあると思うのですが、今回もそれがありました。ストーンズのせいもあるかな。(今度ドアーズ登場しないかなぁ。レニクラやレッチリも。いやいやロックだけじゃなく… )
(Izumi S. Lovizoomer)


自由記入15

ライブ中にありましたけど、確かにこの内容は今の支配層は教えたくないんでしょうね。日本史の授業でつまらないときは授業でやらないこのあたりのところを読んでいたようなおぼろげな記憶があります。


自由記入16

独立後に「平和と民主主義」というスローガンがあちこちで言われていたというのが初耳でした。戦後は戦争関連の番組などが地上波でよく放送されていたということを聞いたことがあり、戦争に対しての反省の色はそれなりに見られたのではと感じます。私は今年の8月6日に、NHKスペシャルの原爆特番を見ましたが、かなり前に放送されたものの再放送でしたし、その再放送自体も深夜にやっていました(日中はほぼオリンピック)。なのでこんな遅くに見る人は非常に少ないのではないかなとその時思いましたが、これもどんどん戦争特集を地上波から無くしていこうという働きの一環なのか、たまたま今年五輪だったから仕方なく深夜に放送したのか、どっちなのだろうと思いました。

また日本の戦後史において、1947年の二・一ゼネスト中止が大きな意味を持っているということを今回初めて知りました。そして戦後日本の改革プログラムが上手くいかなくなったのは、冷戦の影響が大きかったというのも自分にとって新しい視点でした。そうなると、もし冷戦が無ければ今日の日本の状況は大分変わっていたかもしれないなとこのお話を聞いて思いました。それを考え始めると、もし戦犯の恩赦がなかったら、もし日本人が自分たちで東京裁判をやっていたら今ごろは…というようなIfが頭の中に次々と浮かんでしまいました。逆コースの事例も本当に沢山あり、「そんなに!?」とビックリしました。近現代史は重要だなと思い知らされました。今後も勉強を続けたいです。(佐藤千夏)


自由記入17

ゼネストの中止という出来事があったことは知っていたのかもしれませんが、私の頭からはすっぽり抜け落ちていました。でも、これがとても象徴的な出来事だったのだと、今回のお話を聞いていて思いました。Yoshiさんのご指摘があった「自分たちで戦争の責任の検証をしなかった(するべきだったのに)」というその事が今のこの日本を作り出してしまったように思います。


自由記入18

参加するたびに感動することは、よしログさんのお話の仕方です。
極端にわかりやすくキャッチーにするわけではないし比較的ゆっくりな話し方ですが、すべての言葉(音?)がぜんぶ脳みそまで届く感じです。地理的条件や外部環境をまず説明→その時の主語にあたる国や人物の気分やモチベーションを説明→だからこういうことが起こったという組み立てで説明してくれるので。
よく途中で「ぜんぜん進んでへんやん・・・」とボヤいていましたが、聞いてる方からすると無駄な時間はなく、心の中でだいじょうぶですよーと思ってます。

ライブ参加当初は「お勉強!」と思って身構えてた部分があったんですが、よしログさんのお話の仕方に助けられ、また自分の日常と切り離した「お勉強」じゃだめだよなと思い、今回は秋葉原のカフェのテラスで待ちゆく人たちを眺めながら参加してみました。13hぐらい?時差のある場所から発信されているよしログさんのお話は自分の生まれる前の世界の出来事で、それと地続きで目の前にある景色が存在するんだと、過去や世界と今の自分を連続したものとして考えられるようになんとか自分なりに工夫しています。今後もいろんな方法を試しながら参加したいです。

スライド2枚目だったでしょうか?赤いラインで日本のフィーバーと転落を表している図がありました、なんでこれが学校の教科書に載ってないの?親がひぃひぃ言いながら長い間学校に通わせてくれて私が学んだことを、この1枚がさくっと追い越してしまった感じがして衝撃でした。

ライブが終わった後、やっぱメディアがやばいよなーと思いました。本当に人にしっかり物事を伝えようとしたら、よしログさんの話し方になるはずです。が、考えなくてもわかる言葉(安い!悪い!けしからん!先着順!)を四六時中私たちに浴びせようとしてきます。電車もバスも車内は広告だらけです。でも、そうなったのは私たちの主体性の無さが先なのかな?とも思います。誰かが良いって言わないと、自分で良いって決めれない。
身近で感じることとして、「なんで?」って聞くと攻撃的だと受け止められることが多いです。あなたが何故そう思うのか?に興味があるのだと説明しても、いままで何十年と「なんで?」を考えてこなかった人にとってはハラスメントらしいです。
自分の言動の「なんで?」を説明できない人間たちが、過去の反省なんてしないよなー

よしログライブの参加後はものすごく後味が悪いです。このあとやるべきことがハッキリしないからです。今まで見えてなかったモワモワを渡され、自分は見えてるし持ててるけどずっと手を動かしてその形を保っておかないと空気中に溶けていきそうです。人に共有したいんだけど、モワモワすぎて説明できないし渡せないです。説明できないのは私の勉強不足なので、しっかり輪郭をもって他人に共有できるようになりたいです。(tuna_tetsu)


自由記入19

いつもご指導ありがとうございます。
1945年から1952年、サンフランシスコ平和条約が公布されて日本国民は本当の独立を手に入れた。私の頭の中では占領されていたのは沖縄て本土はそうではないと捻れた認識を持っていた気がします。そんな話題を話す事がなかった。見聞きする気持ち(余裕も)も必要性もなく、理解と記憶が結びついていなかったと思います。これも物事の本質を結びつける経験のなさから来ているのでしょう。繰り返し繰り返し考える。目の前のものを朧げなく見るのではなく心して見る。私自身の課題が多くあります。歴史で何があったのかもっともっと知る努力考える努力をしなくてはと思いました。これからも宜しくお願いします。


自由記入20

今回も、考える余韻というか宿題のような時間をいただきありがとうございます。

感想をなかなか書けずにいます。
自分の今の暮らしがあるアメリカで、自分が生まれ育った日本の敗戦とその後の本当のことを聞くというのは、とてもへんな心境でした。
アメリカってなんだよ!と腹が立ってみたり、日本なにしてんだよ!と腹が立ってみたり情けなかったり、気持ちがいそがしかったです。
天皇という言葉が耳に残りました。

生まれそこなったとかうまく育たなかったという言葉はいい表現ではないと思うけれど、日本が生き物だとするならそういう感じだったんなんだなと私は思いました。
歴史のライブでいつも感じるのは、出来事から学ばない日本、です。
今の日本が自滅の一途をたどっているならば、この状況から今度こそ本気で学ばないとやばいんじゃないかと思うけれど、じゃあ自分は個人として何ができるんだろうと考えると無力。近現代史のライブのあとはいつもこうなります。

学びというものはやっぱり付け焼刃では歯が立たなくて、ある程度の時間をかけて折り重なっていくようなものなのかなと最近改めて思っています。自分の日々のなかでの経験とか体験みたいなものがそこに混ざっていかないとしっかり理解したと思える瞬間がなかなかやってこないので、こういったこれまでの苦手分野で自分なりの視点や意見を持つというところまでには、まだまだ時間がかかるなと痛感しています。
だから感想をなかなか書けないのか・・・というところに勝手に帰着しました。

感想にもならない感想で恐縮です。
ありがとうございます。


自由記入21

感想遅くなってしまい、すみません。
今回も貴重なライブありがとうございました。
高校生になって、ほとんど歴史の授業を受けていなくて、流れもあまり理解していない状態で聞いていました。
よしさんのお話を聞いて、流れは大体分かりました。ただ、自分の勉強不足で、出来事の単語の名前は知っていても、一つ一つの出来事の中身や背景を知らないことが多く、もっと勉強しなければという気持ちになりました。
降伏文書に日本が署名する際、アメリカ軍が日本に到着するまでの間、戦争犯罪に関する書類?を焼いたという話を聞いて、赤木ファイルやウィシュマさんの事件を思い出しました。日本は昔から自国のやったことに対して反省が無く、隠したり燃やしたり黒塗りしたり、本当に成長がないなと思いました。
よしさんのライブは、回を重ねていくごとに理解が深まります。出てきた単語で分からないものがあれば調べてみようと思います。とても勉強になっています。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします!
(四白)


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