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意識の時間と空間

note初投稿。

時間と空間につひて
考察していたら、

繋がっている方の
Facebookで日時計の投稿写真が
流れてきた☆

分、秒といふ、
追われるやふな(あくまで感覚、
意識だが)現代の時計ありきな
時間に対しての意識よりも、

日時計のような感覚で
生きる。

を、もっとしていきたい。

日時計は曇りや、雨には
影を出さない故に機能しないけれど、
それでも大丈夫。といふ、生活。

雨天時。それは、それで
天の恵みとして
その時間を受け取る。

そんな時間感覚が
(過去か前世か宇宙かわからんが)
時にリラックスさせてくれる時がある。


野外撮影の際も
スタジオ撮影の際にも
常に方位と時間をチェックする。

そんな話をしながら
光を追い、紅葉繁る大きな公園で
アウトドア防災コンサルタントの
あんどうりす さんを撮影
させて頂いた時に、

これいいよ!!と、
アウトドア用の方位磁石を
勧められたくらいに。

無意識に光を感じまくる。



撮影とは太陽との調和。
好きな時間でもある


自然光といふ、
あたたかな光を使わせて頂き
光と共に、動く自分が
デフォルトであるやふに。

もっと、そんな自然な感覚で
普段の生活もしたい☆

撮影時、日暮れが早い冬は
もはや、焦って終われている現実
もありつつ。。

時間は早く感じたり、
遅く感じたり。
意識の中で伸び縮みする事は
間違いはない。

どう捉えるか?
といふ、意識で、、
ひとりひとりの時間、
人生の体感距離は
変わるのだと思う。

時計や、人と比べずに。
自身の満足度で良いのではないか?
と、思う☆

時間に対しての考察は、
哲学的にも何百年前から
言われているし、
量子力学的にも少しづつ解明され、
そんな記事や本も
たくさんある今世♪

あえて、
アナログ。いや、
アナログやデジタルといふ
枠を超えた、

自然な方向に、自身を
向かわせたひ。


そして、こちらの家。
実験的に建てられたようだが、
非常に興味深い。

光と風を意識して
建てられる家も多いが、
(無印良品の家とか)

この説明、日時計の
説明ににあるように

「機器」
といふ物質の豊かさにより
畏敬。を感じる事を
忘れてしまいがちな現代に

生活する家(物質)を通して
体感できる、
新たな可能性と面白さがある。

太陽や風を都合のよい「空調機器」のように感じさせてしまう。この感覚は畏敬すべき存在としての自然を忘れてしまうことにもつながっていく。そこで、天空を巡る大きな存在としての太陽を感じるために、日時計を建築内部に設置する。


あくまでも、時間は
生活上による区切りの為に
人が創り出した概念。

そもそもは、
天空を巡る大きな存在としての
太陽を感じるための、
数字的指針。

時間と空間。

過去、現在、未来と
横に繋がっているのではなく、
同時進行的なイメージを
感じながら☆

時間とは、
人が観察することにより、
時間というものが
確立されるだけであり、

もはや、時間の定義は
ひとり、ひとり、
幸せであれば。

急かされる必要もないものだ。
とも思いつつも、

時に、未来や老後も
不安要素として頭によぎる、
私自身のへっぴり腰な意識ごとをも
考察、探求しながら。



パラレルワールド的に
好きな方向(時空間)へ
向かう人生といふ
ゲームをしようと想ふ。




宙地(そらち)の間—
日時計のあるパッシブハウス

Home between Earth and Sky-Passive house with Sundial

 日時計が内蔵されたパッシブソーラーハウスである。パッシブシステムは、太陽や風などの自然作用を、機械によらず建物そのもので制御することにより、夏涼しく冬暖かい室内環境を生み出す仕組みである。地球環境の悪化が深刻な現在においてきわめて重要な技術といえる。

 しかし、パッシブシステムによる太陽の受容と制御は、ともすれば、太陽や風を都合のよい「空調機器」のように感じさせてしまう。この感覚は畏敬すべき存在としての自然を忘れてしまうことにもつながっていく。そこで、天空を巡る大きな存在としての太陽を感じるために、日時計を建築内部に設置する。

日時計は太陽の軌跡を影で刻み時を知らせる。影の移動はそのまま太陽の運行を示す。否応なく天体としての太陽を実感する。太陽の巡りを感じながら、良好な室内環境に身を置く時、我々は自然の大きさと同時に、その恵みの深さを噛み締めることができるであろう。

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