happy_yoshiko_takahashi
深い意識の底に 取り残された 過去の刹那の一片が 私の感性のチカラ。 刹那といふ時間の概念を 体感するとき 大きくひろがる 安心感へと導かれ 光へと昇華する
指でつくった望遠鏡を覗いたら エンデの言った時間泥棒が、 バツ悪そうに逃げていった。 まだ、あそこらへんに隠れているけれど。。 時間泥棒が居ない世界では 自分の世界を開くための意識を この先のパラレルワールドの彼方へと 瞬間移動させるのも容易い。 太陽も月も、ここには一つづつしか 存在しないのだから。 物事は至ってシンプルな中に。 真理が隠されている。 誰しもが知っている答えを 人は拒否するかのやうに 生きた時代の終わりは 始まりとシンクロしている。
ただ在ること☆ 不安も、恐怖も。 高みも、望みも。 希望も、同じやふにただ在る。 袈裟の大きな揺れすらも。 過ぎ去れば。静寂がただ在る。 あの日も遥か遠い未来も 自身の中にただ在り、 それを感じる故に我は存在す。 ただ在るを感じる事への喜びと 自身への信頼と安心感に浸る ゆったりした豊かな時間が 小川に流れる桜のやふに柔らかく流れている。 それは、何処に居ても 自身の中にアクセスできる とても素晴らしい場所だ。
ゆっくりと、リラックスして降りる感覚。 とても心地がいい。 みんなは、上昇したがる。 上がらなくてはいけない。 上がるのが凄いと感じる時代は 終わりを告げている。 頑張って上がろうとする人は 競争思考に囚われ、 苦しみを持つ。 そして、 上がったひとは、 上がって見える景色から 降りること。 落ちることへの恐怖から。 更に上がろうと、 歯をくいしばったり、 誰かを踏み台にする。 そして、恐怖は続く。 もしくは、現実維持に 苦しむ。 手にいれたものを 手放したくない
note初投稿。 時間と空間につひて 考察していたら、 繋がっている方の Facebookで日時計の投稿写真が 流れてきた☆ 分、秒といふ、 追われるやふな(あくまで感覚、 意識だが)現代の時計ありきな 時間に対しての意識よりも、 日時計のような感覚で 生きる。 を、もっとしていきたい。 日時計は曇りや、雨には 影を出さない故に機能しないけれど、 それでも大丈夫。といふ、生活。 雨天時。それは、それで 天の恵みとして その時間を受け取る。 そんな時間感覚が (