2021/3/1

 お金がないことは苦しいことだ。お金というもののために、いま自分にとって必要なもの、快をもたらしてくれるものを、削っていかなくてはならない。それは少しずつ、ジワリジワリと自分の世界を狭めていく。「真綿で首を締める」感覚はまさにこのことを表しているように思う。
 また厄介なことは、「お金のことしか考えられなくなること」だ。全ての物事を自分の所持金と比べて判断しなくてはならない。自分の所持金はあくまでお金であって、自分ではないので、自分自身とは離れたところで判断するということだ。お金によって、自分の生活が決められていく。考えることも決められてしまう。それはとても貧しい。
 去年の暮れは本当に苦しかった。年を越す頃には転職先が決まって、お金の目処が立った。それがどれだけ嬉しかったか。ありがたいことだったか。お金がない状態をもう二度と経験したくない、と私は強く思っている。
 たくさんはいらないけど、少し余裕があるくらいには欲しい。必要なだけでは不十分。十分にあってちょうど良い。十二分にあったら贅沢。去年の貧しさで、今ではすっかり物欲がなくなってしまった。それは良いのか良くないのかわからないが、とりあえず今は精神も身体も小康状態にある。

 日常的な快を見つけて、それを日々行う。自分の好きな時間の過ごし方を見つけること、そしてまた同時に、何をすると自分は疲れるのか、不快になるのかを見つけることもとても重要だ。好きなこと・快いことをして過ごして、疲れること・不快になることは徹底的に避ける。それが健やかな自分を生み出す。
 そうして自分なりの日常の過ごし方を見つけてくると、それがルーティンとなって毎日が同じような日々になる。すると段々、自分は何もしていないのでは無いか、日々を無為に過ごしているのでは無いか、という気持ちに襲われる。別にそんなことはないんだけど。ただ、そうした気持ちにならないために大切なことは、何かしらを自分の外に出していくことだと思う。自分が今何を考えているか、思っているか。今日は何を見たか、聞いたか。そうしたことをどこか外に出すと、日々同じように過ごしている中で、自分がいかに変化しているかがわかる。自分が変化していることがわかると、同じような日々を過ごすことが、退屈なことでも悪いことでも無いように思える。「毎日こうして過ごすことは自分にとって快いことであり、それは自分を良い方向へ変化させるのだ」。そう思えれば、自分の日常に対して自分で意味を与えられるし、何より自信を持って過ごせるようになる。意気揚々と過ごす日々はとっても良い。

 まだ私は若く、溌剌とした身体を持っているのに、なかなか外の世界に飛び出すことのできない情勢が続いている。悲しくもどかしいことだと思う。外に出て新たな刺激を得ることができないので、自分の精神世界を探訪することにする。いつまで経っても実年齢に追いつかない私の精神。未だに成人した頃のままでいる。今年に入って本を良く読んで、自分の中の言葉が入れ替わってきた。このタイミングで、今一度自分の精神を紡ぎ直そうと思った。

今日は風が強く、雨も降る。空気は生暖かい。春の嵐は身体に悪い。

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