2021/3/6

何かを書き連ねたくなったので。

 今日は正月ぶりに実家へ帰る。父は勉強会、母は今度のイベントの準備と、二人とも忙しいらしい。『A子さんの恋人』を読み終えようと思う。
 できれば、父と話をしたい。私の中に「父」の存在が出てきたのはつい最近のことである。今、私にとって「父」はホットトピックなのだ。
 父はもう還暦を迎えている。おそらく息子である私と会話らしい会話をしたのはここ数年で初めてのことだと、父自身も思っているのではないか。私が生まれてからもう25年が経とうというのに。父と息子の関係性は一般的にこういうものなのだろうか。息子としては、まともに会話できる人間になるのが遅くて申し訳ないと思っている。

 私が幼少期の頃の父は仕事で忙しく、毎日、私が目覚める前に仕事に行き、私が寝た後に仕事から帰ってきていた。休みの日は、大好きなクラシックを、お高いアンプで聴いていた。私も休みの日はいつも少年野球の練習や試合に行っており、生活の中で私たちが交差するポイントは、休日の食事ぐらいしかなかった。あとは父のクラシック鑑賞中、私と弟が騒ぎすぎた場合に仲良くゲンコツを一発ずつもらうくらいだった。
 それくらいしか交流がなかったから、私にとってしばらく「父」は得体の知れないもので、どう付き合ったらいいのか全くわからなかった。自分が成長するにつれ、自分の世界が出来上がっていき、父の存在が希薄になっていったことも、このことに多分に影響しているだろう。
 そんな「父」と、話すことができるようになった転機はなんだったのか。今はわからない。しかし、父の定年退職や還暦など、父が歳をとってきたことに対して、私が勝手に哀愁を覚えて、一種の同情めいた感情を抱いたことは、父との交流を加速させた。誠に失礼な話である。

 実家を出て親元を離れ、自覚はないが、ようやく私は「一人の人間」になったのだろう。父の話が理解できるようになった。
 昨年、実家に届いた桃を父から渋谷で受け取った。その際、渋谷の喫茶店で二人で話をした。父は弟の就活を心配していた。私が就職をする時も、両親に心配されたことを思い出した。
 話の内容如何はさておき、父と二人きりで話をするのは滅多にないことで、もしかしたらその時が初めてだった可能性もある。
 父と息子の関係といえば、酒を酌み交わしながら「お前も一人前になったんだな」と大人になった息子が父から認められるといったイメージが世の中にはあり(そういうCMを何回か見たことがある)、それが一つの美しい関係とされ、私も何となくいつしかそうなるイメージを持っていた。けれど、その喫茶店での会話は、私に「父から認められた」という感覚を与えることはなく、ただただ、「私と父は本当に似ているのだな」と感じさせるばかりだった。私が父によく似ていることは、幼い頃から指摘されていた。それに対して苛立ちを覚える時期もあったが、今ではそんなこともない。無風である。これは別に、父への興味関心が無くなった、ということではなく、父の存在を私が受け入れられるようになった証左だと思う。

 実家を出て、デジタル音痴の父もスマホを持ち、家族のLINEグループもできた。そこではぽつぽつと会話が生まれている。父の絵文字付きメッセージで会話が終わることがよくある。その父のメッセージを見て、姉と弟は「父のメッセージはよくスベる」と笑っているが(まあ実際に面白くはない)、私はまたもや同情して、「頑張れ父よ」と、父に似た者として心の中で密かにメッセージを送るのである。

 自分のことを文章にして、何の恥ずかしげもなく公共の場に出す。こうしたことは、自分が社会の中でどう見られているのかに対して、ある程度無頓着でいなければできないことだと思う。私小説家やエッセイストなどは、中々にすごい生き物だ。自分もこうして書いてますけども。


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