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猛省

※この記事は謝罪文です。


前置き

私はどんなものであれ「なにかの信者」が嫌いだ。自分が「なにかの信者」だったときに一番人間として駄目になってたから、どうしてもその時のことを思い出して嫌悪感を持ってしまう。

正確に言うと「信者である=否定対象」というわけではない。信者の全否定は単に信者の裏返しでしか無い。

信仰とは、神に対する依存である。 神に従うもの、神に反目する者 この二者は違うもののようでいて 正邪の判断を神に委ねているのは同じ。 斉しく依存にすぎぬ。
神に叛逆せんとする谷の魔女よ、すなわちお前たちよ。 お前たちもまた神の御手に揺り動かされている熱心な信者にすぎぬ。 信仰が罪だと言うのならば まずは己を処断するがよかろう

たとえば、私が青◯才について言及する時の様子は、他人から見たら「こいつ青◯才信者だろ」としか見えてないと思う。アンチは信仰と同じだ


大事なのは、誰かを信じるあまり主体性を失っていないかどうか、だ。

・自分を主語にして語れなくなってないか
・なにかに依存していないかどうか
・その人なりに自分の判断基準があるかどうか

どんな情報についても自分なりの判断基準を持って「私は~と思う」とちゃんと自分を主語にして語れる。ちゃんと自分がその言葉の責任を持つ形で語ってくれる。そういう人かどうかが重要だと思う。 

己に基準がある人は、もちろん好き嫌いや趣味嗜好で偏りはあるだろうけれど、少なくともなにか一つに依存しきってしまうことはないし、自分の頭で是々非々で判断することができる人だろうと信頼することができる。

私はそういう人を信頼したいし、
自分もそういう人として振る舞いたいと思っているし
そういう人として認識されたいと思っている。
「自分の考えを持たないただの信者や党員ではなく、個人で意見を持って発信している人間だ」と信頼してもらえないと辛いと感じる。


本題

にもかかわらず、私は昨日ついカッとなって、骨しゃぶりさんに対して死ぬほど失礼なことを書いてしまいました。

深くお詫びします。

何をしたかというと「踏み絵」をふませるという行為です。「お前はこいつの信者かそうでないか=お前は誰かの信者になるような人間かどうか」と聞いたわけです。

これは、普段から自分の頭で考えて、「自分はこう思う」と意見表明している人にとってはかなりの侮辱だと思います

自立している人間については、まず「この人が言及してなかったらなにか考えがあるのだろう」と受け取るべきところです。そのうえで意見が聞きたいのであれば「なにか考えはあるだろうけれどどう思っているのか意見を聞きたい」という態度で臨むべきです。

また、そもそも人に対する評価というのは否定か肯定のゼロイチではない。「軽い否定でも全体としては肯定」とか、逆に「ほぼ全否定だけどこの意見だけは肯定」とか全然ありうる。それをいちいち言及していたらキリがない。


それをすっ飛ばして「お前はこいつを擁護するのか批判するのか答えろ」と0か1で迫るのは極めて無礼な行為です。

怒って当然。

少なくとも私だったら怒ります。はてブ民のうさぎアイコン野郎から「お前は壺信者だろう」ってしつこく言われたときに「お前はオレが自分の頭で考えられないやつだと思っているのか」とムカついたので開示請求したことさえあります。

その怒られて当然の行為をやってしまった。

ガチで切腹ものです。


これについて回答いただいてますが、もう本当に100%ご尤もであり、ぐうの音も出ないです。

シンプルな回答であるがゆえに「そもそもこんな無意味な質問を投げつけたアホは誰だ? ⇒ 自分だ・・・」という形で自分の愚かさが全て自分に跳ね返ってくる形です。


今回の件は

非常に敬意を欠いた行為であったと認識しており猛省したいと思います。

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