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最近の「ポリコレオタク」の人たちの行動パターンは完全に「店で急に話しかけてくるなれなれしいオタク」になっているので、逃げられるのが当然

最近ゴールデンカムイについて、洋画オタクや洋ドラで中途半端に「ポリコレ」に目覚めて「ポリコレオタク」になった人たちがやたら上から目線でいっちょかみしてくる事例が多いですが、この人たちはコミュニケーションにとって最も大切なことを忘れているのではないでしょうか。

ほかの人がゴールデンカムイを楽しんでいるところにやってきて、「ゴールデンカムイのことはあんまりよく知らんけど俺の〇〇〇の話を聞け」という態度をとっても聞いてもらえるわけがない。

これは言ってることが正しい正しくないという話じゃなくて、社会に生きる人間として当然知っておくべきコミュニケーションの基本である。

それが通じると思っているのであれば単に「最もイタいオタク」あるいは「宗教の狂信者やエウリアン」のムーブをしていることになる。一言でいうと、めっちゃ胡散臭いというか怪しい人に見えるのだ。

当然「逃げられる」か「にげないまでもウザがられる」のが当たり前だ。

ところが、ポリコレ的な話になるとなぜかこの基本を忘れてしまう人がいるようだ。 会話が唐突すぎるのである。巷ではそういう人を「コミュ障」という。ポリコレの話をするときだけコミュ障になる人がすごく多い。

こうしたコミュ障化を防ぐためには、反発する人もいるかもしれないが(コミュニケーションとしては)ポリコレも一つの「オタク趣味」である、くらいに考えるのが良い。ポリコレに変な特権性を持たせいようとしない。


オタクは他人を何かに勧誘したいなら、自分が「沼」にハマッた経緯をステップに分けて丁寧に再現していこう

「私が正しいんだから相手がわかる努力をするべき」という傲慢さを捨てて、相手が自分に興味を持つようにすればいいのだ。例えばアイヌ問題についてちゃんと興味を持ってほしいなら

①ほかのアイヌについての作品を紹介し、より興味を持ってもらう。

別にマンガでなくてもよい。こういう感じで「この人は本当に詳しい人だ」とか「この人は面白いものを知ってる」「この人とは感性があいそう」と思てもらうことがとても大事。


このさいにもっともやっちゃダメなことは

「俺はすごいと自称する」こと。

たとえばこういうツイート。

「社会の人権抑圧を否定的に描いてもエンターテイメントとしてどえらく面白い作品をたくさん見てきた洋画海外ドラマファンからすると」って自称することで会話のハードルをめっちゃ上げてる。その上で相手の興味を引けない発言をしてる。コミュ障の極みといえる。

これで話を聞いてもらえると思ってるなら狂人でしょ。この手の「マウントしながらじゃないと他人と安心して話せない」人間から話を聞きたいと思う人はいない。

勧誘の際に焦ったり手抜きしたりマウントしようとすると逆に敵を作る

「勧誘なんかしてない」というなら、他人の意見を否定したり、押しつけがましい意見を言わないように気を付けるべきだ。

それができないのは、ポリコレを語るという行為を特権的なものと勘違いしているからだ。仮にポリコレ自体が優れたものだとしても「それを語る自分」に特権性は付与されない。そのことを勘違いすると、壊滅的なコミュ障ぶりを発揮することになる。


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