「共感性羞恥」についてよくわからずに使ったり耳にしたりしている人向けの記事

「共感性羞恥」という言葉は、ジェンダーギャップ指数と同じくらい馬鹿発見機になりかかっています。この言葉をよく知らずに使うと共感性羞恥どころじゃすまなくて馬鹿をさらして赤っ恥をかくようになるから気を付けてください。


例えばこの記事。

「共感性羞恥を感じないものはサイコパスなんじゃないの?」とか言い出すのでついにここまで来たかと。釣りの可能性もあるけどマジレスしておきます。


「共感性羞恥」の意味を語感で勝手に考えると100%間違った理解をしてしまう

あとで説明しますけど、そもそも共感性羞恥ってのは「英語を逐語訳した結果ニュアンスが変わってしまった言葉」です。語感で意味を考えると間違います。和製英語あるあるですね。

あと、こっちのほうが重要ですが、そもそも「共感性羞恥」という言葉から連想されるものは現在になって研究では否定され気味です。


日本でこの共感性羞恥という言葉が雑に広まったきっかけ

番組では、それが10人に1人の割合で経験する「共感性羞恥」と定義していましたが、これをどう受け止めるかで、その人の知性が問われるといってよいと思います。


勘違いしてはいけないのが「感じるのが当たり前」ではないことです

当たり前だよね。感じるのが当たり前であれば、<ドッキリやメロドラマに代表される「誰かが恥ずかしい」番組>については観ることができない視聴者数はもっと多かったはずです。それこそそれを感じない人間はサイコパス(共感性がない人間)ってことになるよね。

そういう風に思いたい人には残念ですが、そんなわけがありません。明らかに感じる側の人間が10%しかいないんだよ。そっちが少数派なの。いつからここを勘違いしていた?

つまり、

「人が恥ずかしい目にあってる描写がある」

「それを見ると共感性が高い人がいたたまれない気持ちになる」

「これが共感性羞恥だ」

というのは成り立たないんですよ。この増田じゃなくてもそういうミラーニューロンみたいなメカニズムだと思ってる人いるでしょ? 



というわけで、この言葉の語源というかもともとどういう経緯で提唱されるようになったかと、それが最新の研究で否定され気味であるという話をします。(目次だけで言いたいことは全部書いてますので特に続きを読む必要はありません)

ここから先は

1,931字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?