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メンタルは三沢さんみたいに考え無しに強くしようとしてもボキッと折れるだけなので、「強く」するよりも「靭やか」にすることを目指そう

三沢さんの「病まないメンタルの作り方」は読めば読むほど質が悪くて、三沢さんという人間がいかに歪んでるかよく分かる内容でしたがあまりに駄目すぎて反面教師としては良いかもしれません。

三沢さんの駄目本に駄目だしするだけだと付加価値がないので、「じゃあお前ならどうするんだよ」って話をします。



最初に結論

特に一度傷ついてそこから立ち直ろうとする人はメンタルを「強く」しようとするのではなく、「靭やか」さを目指したほうが良いと思います。英語でいうとHardnessとかToughnessではなくRobustnessやResilienceを目指すということです。

「robustness」は、物事が困難な状況や予期せぬ変化に対しても、その機能や性能を維持する能力を指す英単語である。 一般的には、物理的な強さや耐久性を指すが、情報技術の分野では、システムやソフトウェアがエラーや障害に対しても正常に動作し続ける能力を指す

レジリエンス(resilience)とは、「回復力」「弾性(しなやかさ)」を意味します。 「レジリエントな」と形容される人物は、困難な問題、危機的な状況、ストレスといった要素に遭遇しても、すぐに立ち直ることができます

メンタルが一度折れてしまったような人は、「最強のわたし」みたいなメンタルになるのを目指さない方が良いです。むしろそういう人たちが合わなかったから心が折れたはずなのに、考え無しにメンタルを強くしようというのは「自分が嫌いな人になれ」って言ってるようなもんです。強くなっても自分がきらいになったら元も子もありません。

そうじゃなくて自分らしさを維持したまま、それでいてしっかりと自分がやりたいことのために努力し続ける人間を目指しましょう。

結論だけは三沢さんと私は同じなんですが、残念ながら三沢さんの本の通りにやったら途中で破綻します。なぜ三沢さんの本の通りでは無理なのか。三沢さんの本の致命的な間違いを指摘したうえで、代替となる本を紹介しておきます。


「強いメンタルであろう」「いい子でいよう」という考え方はその気持が強すぎると自分を破壊してしまう


「メンタルが弱い子が、今の自分を否定して無理やりメンタル強い子のフリをする」「本当はネガティブ感情を持ちやすいのに、無理していい子でいようとする」

三沢さんに限らずですが中途半端に自己啓発をかじるとこういう方向に進みがちです。私も新入社員の頃はそういう風に考えてました。実践してないから理解が浅かったなと反省してます・・・。生兵法は怪我の元というやつですね。

当たり前ですが、これだけの考え方でうまくいくならこの世に自己啓発書は何冊も必要ありません。致命的なところが足りないんです。世の中にはそういう「足りてない」本が山のようにあります。三沢さんは一生懸命自分の頭でいろいろこねくり回して考えた挙げ句、世の中の凡百の自己啓発書と同じ間違いを再生産してしまっているんですね。


なぜ三沢さんのやり方だと途中で破綻するのかについて説明してくれてる本がこちらです。三沢さんと違ってプロの心理カウンセラーが書いています。

こういうことをすると自分が歪んでしまうよ、ということをわかりやすく説明してくれています。



不自然に強がったり、不自然にいい子になろうとしない。それを続けてると心が壊れる


三沢さんの本は「弱さ」を悪とし「強さ」を目指すという典型的な初心者向け自己啓発本です。 

本の中でも何度も「弱いからいけないんだ。なんとしても俺は強くなるんだ」という感じで強さが全てだった頃のベジータみたいな発言が出てきます。そのためどんだけ工夫しようが根っこの部分が「メンタルが強くなれば解決」という発想しかない。

こういう発想の元で生まれるのは「エリア4」なんですよね・・・。

今の三沢さん自身がそうであるように「不自然に強がってるだけ」の人間しか作れない。決して「自然に健康」な領域になれない。

なぜかというとメンタルの軸が強いか弱いかしかないからです。「強くなれば救われる」という願望のもとにがむしゃらに強さだけ追求してるだけで、大事なことを取りこぼしてるんです。


私はこの「不自然に強がってる状態」の怖さはよくわかってます。

私は周りの人から期待されて、自分を押し殺していろいろ我慢して「いい子」「優等生」であろうと無駄な努力をしてた時期が長いので。

この状態は、たいていどこかで破綻するんですよ・・・。

※そのせいで、「無理をしていい子でいようとしてる」ように見える人がいるとつい「そういうのやめたほうがいいよ」って余計なおせっかいをしてしまうことがあります。あまり良くないけどね・・・。


なぜ不自然にメンタルが強いふりをしたり無理していい子になるのが良くないのか

1:自分の弱さを認められない=被害者意識や他責思考になる=成長を阻害するから

まあこっちはその人個人の問題なので、これだけだったらたいしたことないんですが、2つ目の問題は他人にとって迷惑になるので、自分が「うわべだけポジティブ」「うわべだけいい子」だと思ったら気をつけたほうが良いでしょう。

2:執拗に「弱い人」「良くない人」を攻撃する人間になって周りに迷惑をかけたり敵を作ってしまうから

真面目でない人とかを見た時に「私はこんなに頑張って強くあろうとしてるのに」「私は我慢していい子にしてたのに」みたいな気持ちになる人は、もう完全に無理をしてるので、他人に怒る時の原因になっちゃうくらいなら「俺はメンタル強い」とか「私はいい子だ」みたいなのいうのすぐやめたほうが良いです。(※)


不自然な強がりや、無理していい子のフリをするのをやめるかわりにどういう取り組みをすればいいかというと・・・


1:逆に考えるんだ。イライラとかピリピリすること自体は問題ないと考えるんだ。

その感情自体は否定せずに、その感情が出た時にどう対応するかを決めようって話です。

普通の人はまずここからスタートしたほうが良いです。なぜならまず感情をコントロールするためには感情そのものをちゃんと認めて感じないといけないからです。
つまり、このレベルを経由せずに「反応しない練習」とかいっても無理です。小学生が大学受験をやるようなもんです。

アホの子はいきなり「反応しない練習」を読んでそれができると思い込んでたわけですけどど、ステップアップとかいうならあれがどれだけ難しいかくらい理解したほうがいいですね。実際本人は全然出来てないでしょ


2 劣等感を感じる時は「このままだと自分は必要とされなくなる」と不安を感じているシグナル →必要とされるような行動を取らないとドツボにはまる


劣等感は完全に自分の問題です。「あいつは私のことを馬鹿にしている」と感じるなら、それは「自分の」劣等感が悪さをしています。

この時に「あいつにひどいこと言われた」「やり返してやる」と思ってやり返すと、実際には余計に劣等感は加速します。なぜかというと劣等感は「見捨てられ不安」が原因のことが多いからです。

VTuberの配信とかで、他の人が楽しんでる中自分だけが劣等感を感じたり見捨てられ不安を感じているとしたら、それは完全に自分の問題です。そこで「YouTuberの態度が悪いから」とか自分以外のところに原因を求めてもよけいに苦しくなるだけです。そのVTuberが何をやっても自分が劣等感を感じてる限りは自分は救われません。

3:無力感や悔しさを感じたら、悩むんじゃなくて行動のきっかけにする

「無力感」「学習性無気力」を言い訳にして何も行動しない人はめちゃくちゃ多いです。私もちょっとでも気を抜くとそうなります。おじさんになると「無力感」と「体力の限界」がセットになってさらにいろんなことが億劫に感じられます。

ですが、無力感は「自己責任の放棄=他責思考」に繋がります。この「私にはむり=誰かのせい=誰かがやってくれるでしょ」状態になるとその時点でもう自分の人生は半分くらい詰みです。

4:「自分は悪くない=誰かがわるい」じゃなく「誰も悪くない」という状態に耐えられるようになれれば健全なメンタルの最初のステップになる

実をいうと、「反応しない練習」で最も重要なのはここなんですよ。「誰も悪くなくとも悪いことは起きる」ということを認めること。他人の話だったら当たり前に受け入れられるのに、自分ごとのときだけ受け入れがたいこの事実と向き合うことです。

仏教を持ち出すなら「諦念」という感覚が大事です。「①諦念を持ってあるがままを②判断せずに受け流す」というのが「反応をしない練習」の大前提です。 

どこかのアホの子は「アンタッチャブル」とかいう単語を作ってはしゃいでましたが、アンタッチャブルかどうかを判断してる時点でお前は「反応しない練習」を何も理解できてねえじゃねえかまじで理解力低すぎるだろ!「判断しない」の部分をちゃんと読め!って突っ込みたくなりましたよ・・・
結局彼は読んだ時にちゃんとメモを取らないから、自分の勝手解釈だけしか頭に残らなくていつも歪んだ理解をしてしまうんです。読書の基本所作から学びなおせと言いたいですね。

そもそもアホの子の提唱するソリューションはネットの引きこもり民にしか役に立ちません。普通の人はこちらから触らないと思っても向こうから触れてくるんだから「アンタッチャブル」なんて言っても意味がないんです。根幹からずれてるんだから彼の本がまともになるわけないってわかるでしょ?

繰り返しますけど触らないんじゃないんですよ、たとえ触れても反応せずに通りすぎさせないといけない。そのために「諦念」を身に着けないといけない。悪いもの探しをする思考から離れないといけない。正義ごっこをやめないといけない。それが「反応しない練習」なんです。

5:今集中してやるべきことを決めて、それ以外は「しない」と断れるようになろう

これ結構重要で、少なくとも「~できない」を人に言うのはやめたほうがいいですね。自分が取捨選択したのだからちゃんと「今日はこれをするから◯◯はしません」と少なくとも自分自身はごまかさないようにしたいですね。

6:人と接する時は「ゲームのコントローラーを奪うことは出来ないけれど、横からコメントはできる」という距離感は大事にする

要するに「直接思い通りにコントロールする」ことはないけれど影響は与えることはできるという当たり前の話です。

そういえば結構びっくりしたんですけども、三沢さんって著書の中の3割くらい、私が言ったことを割とそのまんま採用してましたね。当時は何言っても難癖つけて聞こうとしなかったのに結局時間差で受け入れてやんの。

まぁ三沢さんいつもそうといえばそうだけどね。だいたい言ってから半年後くらいにしれっと私のアドバイス受け入れる。 彼って「とりあえず拒否したり懐疑する」のが賢いと勘違いしてるタイプなんですけど、それでいて彼は手持ちの武器がすごく少なくて、その少ない武器を使って戦おうとすると、たとえ気に入らなくても私が置いておいた武器を手に取らざるを得なくなるみたいな構造なんだろうと思います。私を否定したければ私以外の考えを自分で探して身につければいいのに、それが出来ないんだろうな・・・。

まぁこういう例外は置いといて、このイメージは大事。

とりあえずアドバイスって直後に取り入れてくれなくても怒っちゃ駄目で、その人の家に攻略記事の切り抜きを置いていくみたいなイメージくらいがちょうどいいかもしれません。


結論:メンタルは三沢さんみたいに考え無しに強くしようとするとボキッと折れるのでは、強くするより靭やかにする。


英語でいうとStrongとかToughではなくRobustnessやResilienceを目指す。

「robustness」は、物事が困難な状況や予期せぬ変化に対しても、その機能や性能を維持する能力を指す英単語である。 一般的には、物理的な強さや耐久性を指すが、情報技術の分野では、システムやソフトウェアがエラーや障害に対しても正常に動作し続ける能力を指す

レジリエンス(resilience)とは、「回復力」「弾性(しなやかさ)」を意味する英単語です。 「レジリエントな」と形容される人物は、困難な問題、危機的な状況、ストレスといった要素に遭遇しても、すぐに立ち直ることができます


この本の後半部分にある「コミュニケーション」の部分はぜひ自分で読んでみてください。三沢さんのコミュニケーションの本と全然可読性が違うのでびっくりすると思います。




おまけの部分

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