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赤い闇:「スターリンの大粛清」は1933年に準備され1934年から本格化した 

赤い闇というウクライナで起きた「ホロドモール」を主題にした映画を見た。PrimeVideoでお手軽に見れるのでお勧め。

歴史を学んでいる人間からすると、スターリンは実験を握った1929年から強引な工業化計画を推し進め、その結果1932年から1933年にかけてウクライナに1000万人の死者を出した大飢饉「ホロドモール」が発生している。

ソビエト以外の国は1929年から世界大恐慌になっている中、ロシアだけはウクライナ農民などの犠牲のもと、工業生産をおおいに伸ばしたと宣伝していた。ちなみに75年後に「リーマンショック」の際に中国だけが経済成長して世界経済の需要を支え、世界のパワーバランスが大きく変化したのと似ている。通貨危機や世界大恐慌が起きるときは、世界経済のパワーバランスが崩れる時でもある。

さて、映画ではこの1933年頃に「世界で唯一経済発展している」ことになっていたソビエトに英国記者が訪れるところから始まる。

記者ガレス・ジョーンズが世界恐慌の中でソ連だけが繁栄している謎を解こうとする姿が映し出される。外国人記者を監視する当局の目をかいくぐり、汽車に乗ってウクライナにたどり着いたジョーンズ。そこで彼は想像を絶する悪夢のような光景を目の当たりにすることになる。

映画は1933年のウクライナがメインであるが、スターリンの大粛清についても描かれる。「大粛清」は1933年から開始され、1937年ころまで苛烈に行われ、その後も粛清はスターリンが死ぬまでずっと続いた。

大粛清は、ライバルを蹴落としていったんソビエトのトップの地位を獲得したが、苛烈な農業政策を断行するにあたり支配体制が脅かされたことが原因であり、つまり今のプーチンと同じようにやはり「ウクライナ問題」がスターリンを狂わせたのではないかというような話になっている。


スターリンが好きなように人民を屠殺できる「動物農場」の始まり

なお、大粛清の前に「法律が改正」されている。ナチスが全権委任法案を可決したのは1933年3月であり、その2か月後の1933年5月に行政権・司法権が両方ともスターリンの支配下にある内務人民委員部(元KGB)に移行している。
※余談だけど中国と日本の間に塘沽協定が結ばれたのもこの頃。

これによってスターリンの意志で誰でも「法に従って」処刑することができるようになった

これが、「動物農場」の中盤で描かれる処刑シーンです。

若いブタ–ナポレオンによる農場の乗っ取りについて不平を言うが、すぐに沈黙し、後に処刑された4頭のブタ。ナポレオンの農場で最初の動物が殺されました。おそらく

グリゴリー・ジノビエフ、
レフ・カーメネフ、
ニコライ・ブハーリン、
アレクセイ・ルイコフ

の大粛清に基づいています。

さらに憲法まで変えて粛清を強化していった

この憲法はヨシフ・スターリンを議長とする31名の特別委員によって執筆された。参加者にはアンドレイ・ヴィシンスキー、アンドレイ・ジダーノフ、マクシム・リトヴィノフ、クリメント・ヴォロシーロフ、ヴャチェスラフ・モロトフ、ラーザリ・カガノーヴィチ、ニコライ・ブハーリン、カール・ラデックなどがいた。ソビエト連邦の4憲法のうち、1936年憲法が最も長く続き、1944年に改定され、1977年憲法で置き換えられた。

憲法改定に同意させられ、その翌年に粛清された面々の気持ちはどうだったのだろうね……。

反革命分子に対する「公開裁判」。全部で三回行われた。外国ジャーナリストに「公開」することでスターリンによる大粛清を国際的に正当化する意味を持った。ソビエト連邦最高軍法会議に於いて提起され、裁判長はヴァシリー・ウルリヒ、検察官はアンドレイ・ヴィシンスキーがつとめた。またこれらの裁判中、しばしばヴィシンスキーがソ連経済の混乱や国民生活の貧困を被告人たちの「陰謀」として追及するなどしており、スターリンの失政を覆い隠す意味もなした


最後に粛清されたプハーリンの遺言

私はこの世を去る。私が頭を垂れるのは、容赦ないものであるべきだが、純潔なものであるべきプロレタリアの斧の前にではない。地獄の機械の前に自分の無力さを感ずる。それは、明らかに、中世の方法を使いながら、怪力をふるい、組織された中傷をでっち上げ、堂々と自信満々に振る舞っている。

ジェルジンスキーはもういない。チェーカーの立派な伝統は過去のものとなった。そのすべての行動を導き、敵に対する残忍さを正当化し、あらゆる反革命から国家を守ったのは革命のイデー(理念)であった。それゆえに、チェーカーの諸機関は特別な信頼、特別な名誉、権威、尊敬を得たのだ。

現在、いわゆる内務人民委員部の諸機関の大部分――それは無思想の、腐敗した、充分に生活を保証された官吏の組織に変質し、過去のチェーカーの権威を利用しつつ、スターリンの病的な猜疑心の言うなりになり、それ以上は言うことをはばかるが、勲章と名誉を追い求めて自分の醜悪な事業をつくり出している。

私は一度たりとも裏切り者になったことはないし、レーニンの生命を救うためなら、逡巡することなく自分の生命を差し出したであろう。私はキーロフを愛し、スターリンに対して何一つ企てたことはない。

党の指導者の新しい、若い、誠実な世代にお願いする。党中央委員会総会で私の手紙を読み上げ、私を無罪と認め、復党させていただきたい。同志たちよ、諸君が共産主義へ向かう勝利の行進においてかかげる赤旗には、私の血の一滴も含まれていることを知っていただきたい



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