オタク差別が生まれる「源泉」は、「自分が後ろ指をさされたくない」という恐怖にあるんだろうなと感じた
まとめてみた思ったんですが。
安倍総理が辞任を表明した後白井聡氏が安倍総理をこき下ろす記事を書いた時、反安倍の人たちは白井聡氏がどういう人間かも知らずに大喜びでその記事を賞賛してましたが、その時と状況が似てるなーと思い返してニヤニヤしてる。
自分が善良だと信じたい人たちは「あなたは悪くない、悪いのはあいつらだ」という語りかけにコロッとやられる
それはそれとして。
賛同しているツイートに共通する点を感じただろうか?
私は赤字部分からは「私は良識あるオタクで、それにくらべてあいつらは……」という明確な線引き意識がビンビンと伝わってきててすごくいいなって思う。
みんなだれでも「悪いのはあいつらであなた方はまともですよ」とか「良識ある皆さんならお判りですよね」って感じの語り掛けに対してはめちゃくちゃ弱いんだなって思った。
特に自分はオタクであると言いながら新橋九段氏の記事に賛同する人たちのツイートは印象深い。「オタクはオタクでも私は良識的なオタクである」って思いたがる願望は、この手の「自分は問題がないオタクだと主張したい人」にとってものすごく死活問題なんだろうなと感じます。
何とかして「自分はまともである」と主張するために切断処理をしたいっていう気持ちが強いんだろうね。まとめで発言している人たちのツイートはどれもそういう「おそれ」を感じるものばかりでとても好感が持てる。 https://www.tyoshiki.com/entry/2018/11/07/225125
特に岡田育氏のツイートからは「デブとバカにされていたところからダイエットに成功した人が最もデブを軽蔑する言動をとる」という人間心理あるあるが浮き彫りにされていてとても好ましい。
岡田さん、自分は幸せだから問題なくて人畜無害なオタクであると主張したいんだろうね。
「男の体は気持ちいい」みたいなBL語り本を堂々とゾーニングせずに売り出してるからゾーニングについては反対する。だけど、「オタクが叩かれるのはオタクがきもいからだ(私は関係ない)」には嬉々として乗っかってしまうのが岡田育という人間なんだなーって思いました。
フェミニストがやらない切断処理をオタクは嬉々としてやる。そして自分だけはまともだと主張しようとする。
私は別にこの行為を醜いとは思いません。合理的だとすら思います。
それだけ、オタクはなんだかんだいって「他人から後ろ指をさされるのが怖い」んだなって思う。だから「自分とは切り離して後ろ指をさされる存在」を用意されると「捧げる」って唱えてしまうんだろうなって。
私はこの考え方を尊重する。
「自分が安心できるようになるためなら、顔も知らないオタクのことなんてどうでもいいじゃないか」って言えるのはむしろ人間あるあるだ。それで自分が胸を張れるのであれば、そういう風に考えること自体はむしろいいことだと思う。
ただしちゃんと「自分のためにあいつらを贄にささげた」という自覚を持てるのであれば、だが。「社会のため」みたいな欺瞞を述べないのであれば私はむしろその人たちを応援しても良いとすら思う。
グリフィスにはその覚悟があった。だから美しいと思う。けれど、新橋九段氏や岡田育氏にそれがあるか?と問うてみたいところだよね。
私はないと思う。そこに強烈な欺瞞を感じる。吐き気を催す欺瞞だ。少なくとも「美しくない」と思う。
オタク差別が生まれる源泉について
ここから先は
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?