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マネジメントという役割の本質について考えてみる(2019-10-14)

情報格差は、組織運営において、個々の行動阻害や、不信感に繋がると考えていた。でも、意外と間違っていたんじゃないかということに気づく。

メンバーから見れば、リーダーとの非対称性がある。
リーダーから見れば、マネージャーとの非対称性がある。
マネージャーから見れば、経営との非対称性がある。
経営から見れば、株主との非対称性がある。
また、企業から見れば、社会との非対称性がある。

たとえどんな立場に立ったとしても、自分の外側を自分との対立構造として捉えようとすると、そこに非対称性が生まれてしまう。組織における自分の存在は、もっとフラクタルな構造の中にいるはずなのに。

組織における情報格差なんてものは、『そもそもほとんど無いんだ。』という前提を置いて立ち返ってみると、個人それぞれの眼前にあるのは、ただユタユタと流れる情報の波であると、頭では理解することができるような気がする。

結局、情報と言うやつは、立場(己の立ち位置)によって見え方/捉え方が変わるだけで、情報の多い少ないで言えば、そこに大した差はなかったりするのかもしれないと思った。(もし、組織にマネジメントという職種があったとしたらそのポジションは情報が集まる箇所になっていて情報の解像度は上がる。)

情報、たとえば問題となっている一次情報に対して距離を詰めることで、
近距離で斬り込むことが可能になり、急所を撃ちやすくなるのではないか。

(一次情報を倒すために、その手前で倒さなくてはならない情報が
たくさんある場合もあると思う。また、断片情報を集めてようやくひとつの、一次情報になる場合もあると思う。)

問題意識を意識するだけに留めず、一次情報に対して自らの意志で距離を詰め、ゼロ距離で渾身の一撃を与えて、問題の息の根を止める。それが組織におけるマネジメントの役割なのではないかと考えた。

転じて僕は、マネジメントの本質は、『情報を集めて言語化(整理)して認知可能な状態にし、優先順位を付けること』だと考えるようになった。情報がコントロール可能な状態であることを維持する。

でも、人は合理では動かないので、情理の調整が必要になる。それがマネジメントの肝であり、難しいところなのかなーと、問題を平準化してみる。

加えると、見え方と触れられる角度が変わる。

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