Day 17 : 理屈っぽい自分が、理屈より優先すべきものは - 1か月間連続ブログチャレンジ !


私は自他ともに認める理屈っぽい性格です。思えば物心をついたときからら「屁理屈を言うな」と言われていた気がします。小学生のころは、理屈で自分を正当化してばかりでしたので、将来は弁護士になれと言われてました。

その性格は今でも残っていて、一部は仕事にもなっていると思います。結論を導くための過程を論理的に考えることが好きなのです。自分の意見や提案に対して、根拠を問われて困るということは記憶にないです。

しかし、この性格が仕事でマイナスになることがあります。簡単に言うと、情報が、相手が求める分量に対して、過多になってしまいます。

例えば、”A”という結論を納得してもらうには「B⇒C⇒D」といった流れが必要と思ったら、それを全部書類に書く、全部説明する、ということをついついやってしまいます。書類の見せ方、話し方にはソコソコ気を使っているので、読み手、聞き手が「もううんざり」とかにはなっていないと思いますが、よくあるのは、結果として、「B⇒C⇒D」を覚えていない、頭に入っていない人が本当に多い。

タイと日本を比較すると、タイのほうが、あまり考えることが好きでない人が多いのか、「結論の"A"だけ教えてくれればいい」という人が多い気がします。もちろん、こうした聞き手の状況を嘆いているのではなく、そうした現実を前提としたうえで、発信者である私が生産的な手法をとれていないことに問題を感じます。

先方の望むとおり、「結論だけ教えてくれ」というのは、ただの指示待ち人間を増やしてしまうリスクがあり、「主体性を引き出す」をミッションに掲げる弊社としては、避けたいです。しかし、順を追って丁寧に説明しすぎると、聞いてもらえない。

そのため今は、バランスをとって「結論はA、なぜならばD」くらいの感覚で話しています。理屈っぽい私にとって「B⇒C」を切り捨てることは、かなり勇気がいることでしたが、結果、それが一番生産的と感じています。人材育成やコミュニケーションにおいて、論理的整合性を優先するあまりに、失ってしまうものがあると気づかされました。

と、いうような記事を書いている自分は、やはり理屈っぽいなと思います。

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