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屋台ラジオ OA 20日 奥井希さん

奥井希さん
私が屋台を始めて少ししたときに、「関西で面白い活動があるぞ」と教えてもらったのが奥井さんたちが行っていた「流しのこたつ」でした。屋台が重くて移動に苦労をしていたころだったので、「こんな手があったのか…」と当初は一本取られた感がありました。その後、大阪に行く際にこたつに入りに行きました。そんなこたつ事情を中心にお話を聞いていければと思います。

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流しのこたつ

私が個人の活動として2,3年前から「流しのこたつ」という活動をしています。手運びできるモバイル式のこたつというのをいろいろなところに持っていってその場で広げて、道行く人であったり、友人であったりその場にいる人と一時こたつを囲んで時間を過ごすということをやっている活動です。若い人には流しという言葉がなかなか通じなくなってきていて笑。
一緒にやっている大島亮君が家具とかを作れる人なので彼がこたつを作ってくれて、私がいろいろなところへ持っていくみたいな役割分担でやっています。また、誰とどこで囲んだのかというのを簡単なレポートにしてFacebookに記録をしています。

― どういうところからこたつが始まっていったんですか ―
本当に思いつきとノリって感じなんですけど、最初はゲリラこたつ部という名前だったんですけど、大島君がこたつをつくるから、ゲリラこたつ部をやろうと持ちかけられて、面白そうだからやるよって。それそれでもっといい名前がないかなってことで流しのこたつに改名をしたり、後からいろいろ決まっていきました。
そもそもは私が大阪市内に住んでいた時、友達とかその周辺の人たちと遊びたいけど、家だと狭かったりするのでやりづらいということで公園とか外で色々なことをやっていたんです。その一環で朝日を見ながら朝ご飯を食べようというのを近所の公園でやっていて、そこに大島君がきてくれたのがキッカケです。

― なぜ、こたつなんですか ―
最初は屋台というアイデアも出ていたんすよ。でも屋台は意外と持ち運びがしづらいんじゃないかと。こたつの方が気軽で続けやすいんじゃないかと。それと、お外のあそびって夏場はいいですけど冬になると寒いからできなくなってしまうんですよね。だけどこたつがあれば天気のいい日であれば冬も遊べるんじゃないかなって思ったのが最初やりたいなと思った理由だったりします。

― 外でやることにテーマがあったんですか —
タダで使えるスペースあるやんってところですね。知り合いに公共空間の隙間を活用してパブリックスペースの私的利用を広げていったら面白いんじゃないということを提唱している方がいてその考えにも共感をしました。大阪市は都会なので店もいっぱいあるので、友だちと遊ぶときは晩御飯を食べに行くかとかお茶をするかみたいな感じになるんですけど、行っても何か食べて飲んで話をしているということが多いのでそれってお金をかけなくてもできるんじゃないかと。それにお店でやるとキャパシティーを考えなくてはいけなかったりだとかいろいろと決めないとやりにくい。でも外ならどこまでも緩やかに広がっていける。集まりすぎても何とかなるし、人が来なかったとしても小規模に楽しむことができるのでお外が好きでした。

― こたつだと入れる人が少なくないですか ―
一時に座れる人は大人6人くらいが限界なんですけど、長い時間出していると入れ代わり立ち代わりで延べ人数は増えたりしますね。

― どれくらいの人がいつもはくるんですか ―
場所にもよるんですけど、イベントスペースとか人の多いところではたくさんの人が気にかけてくれます。公園とかだと2時間くらいで5,6人。多くて10人っていう感じですね。

― 参加費を取るわけではないですよね —
路上でやるのでできるだけクリーンな形にしようと思っていて、なのでお金はいただかないようにしています。

― こたつを始める前と始めた後でギャップなどはありますか ―
あまり始める前にビジョンみたいなものがなかったんですね。どんな感じになるか分からないからやってみようみたいな。なのでいわゆる思っていたのと違うなというのはないんです。
でも、私自身の気持ちの変化として公園とかではなくて、境界線となる部分を突き詰めていきたいという気持ちが芽生えてきたというのはあるかもしれないです。予測不可能性がより面白くなってきた感じですかね。
公園にはすでにいろいろな人がいろいろな使い方をしている場所なのでその一例として見られることで終わるんですけど、道端でやるとかなり浮くので引っかかってくれる人が増えるというか、そこでのおしゃべりとかがおもしろくなっていったというのはあります。とはいえアウトローを極めることが目的でもないので怒られないけど刺激のある所はどこかないかなみたいなことで色々試していきました。

― 場所はどうやって決めるんですか ―
ここいいよって声をかけてもらうこともあるんですけど、基本的には私が決めています。でも、怒られるのは嫌ですし、私はチキンなので最初の方は一緒にやってくれる人がいる環境を意図的に作っていました。
あちこちに出してきて思うのは、イベント会場内とかではなく外のほうが面白いと思えてきました。もちろん野外音楽イベントとかにこたつを持って参加すると、面白がってくれる人とも仲良くなってとても楽しいんです。そればかりになると面白くないというか予測不可能性が下がってしまうのでイベントが続くと違うところに行こうかなという切り替えはしているかもしれないです。

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屋台はあそび?

こたつを出している中ではお金はいただかないので、ノルマがあるわけでのなく趣味の活動として始めていたことろではあるんですけど、やっていく中で面白がってくださる方がいらっしゃってイベントなどでで講師をさせてもらう機会もありました。

― お金とかけ離れるとモチベーションはどこになる気がしますか —
こたつの生産体制が整っていないというのもあるので収益事業にするつもりは全くなかったです。ただ、スマホでゲームをするとかだけじゃない自ら楽しいこと、遊びは作れるよ!みたいなことをいろいろな人に見せていきたいなというところは想いとしてあります。
とはいえ、モバイル性のあるこたつは一般的ではないので、そこは解決のできていないところなんですけど、気軽にまちなかをつかうということはもっと広がっていってほしいなと思います。

― でも、このまえ10台くらいこたつを作っていませんでしたか —
パブリックシップスクールという、まちなかの使い方を学びながら考えていこうという方々と一緒に行ったイベントでした。その時は日程も決まっていたし、参加者の人数もわかっていたのでつくる人の大島くんが頑張ってくれて、私が普段使っているものよりも少し簡単なものを10台弱くらい作りました。

― どういう人が参加しているんですか ―
自分の遊べるツールを増やしたいという人が多い印象でした。そのあとも自分たちでこたつをやってくださっている様子はInstagramとかで見ています。

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流しのこたつブランドがブームになるより、まちなかを使う活動が広がること

別に流しのこたつという名前じゃないとやってはいけないとも思っていないですし、ちゃぶ台スタイルがいいという人がいればそちらでやってもらってもいいと思います。ただ、流しのこたつという名前でやるのであれば身内の利用だけではなくてまちの人との接点になったりだとか行き交う人とのコミュニケーションの一端にはなっていてほしいなと思っています。

― さまざまな場所のパブリックな場所が増えていくことにどんな魅力を感じていますか ―
自分の場所を自分で作れる人というのは増えていった方が私は世の中としてもいいなと持っています。その人がその場所で自分をちょっと表現するというか、そういう機会がある方が豊かじゃないかなって思うのでそういう意味で増えていってほしいなと思っています。
あと、そういうチャンネルがあるとコロナなどで生じてくる流れを受け入れることで精一杯飲まれてしまうという状況でも、本当にそれでいいのかと考えるキッカケの一つにもなるんじゃないのかなと思っています。会社に行って、帰ってきて、時々お酒を飲むみたいな生活にイレギュラーを起こすことで私は思考が深まっていったのでそういったチャンネルがあることはいいことだと思います。

― 不要不急という言葉にはどういった認識をもっていますか —
不要不急という言葉って割と資本主義的だと思っています。いわゆる経済活動にのらないと、すぐに価値に変換をされないと不要不急なのかと考えた方がいいと個人的には思っています。お金をもらうことだけが仕事ではないと思っていますし、すぐに対価として帰ってこなくても時間の尺を長くみることはできると思っているので、そういう考えを持っていきたいと思っています。あえて言うとするなら不要不急という言葉だけで判断してくれるなということですかね。

集まるということに対して

結果的に集まってはいるんですけど、集まっていることを目的にはしていないので「集まれないからやらないね」ということにはならないと思っているんですけど。なので集まることに対しては考えていないかもしれないです。

― 結果的に集まってしまうことに対してはどう思いますか ―
ご飯とかを食べていると滞在時間が長くなってしまうので、人のいる規模と時間が増えていくということはあると思うんですけど、こたつの場合はその時にその場にいる人は2、3人なので集まることなのかと思ったりはします。すれ違うと集まることの境界線はどこなんだろうって。すれ違いの延長という感じですかね。

― 通り過ぎていく人に可能性を感じませんか ―
すごく思います。こたつを出している人がいたよ!あれなんだろうねってことで答えはでないんだけど置いておく、みたいなことの積み重ねが社会の許容を広くしていくことに繋がるのかなって。その場にいる人たちだけでなくて周辺にいる人たちというのも考えながらやっているのは一緒ですね。
こたつの関わり度でいうと、
「見なかったことにして通り過ぎていく人」
「見るけどすぐに目をそらす人」
「目が合う人」
「あいさつに対して会釈をして去ってゆく人」
「あいさつを返してくれる人」
「向こうから問いを投げかけてくれる人」
いろいろグラデーションはあるんですけどそれを観察しているのはすごく楽しいですね。

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こたつから生まれた縁

こたつをやっていたことで高校の先生が声をかけていただいて、総合学習の時間の一環で授業をやらせてもらったのはすごく面白かったです。こんな事が人生にあるとは思っていなかったので。

― 高校生の反応はどうでしたか ―
講師の方々が私たち以外はお仕事としてまちづくりをやっている人たちだったので、その中で我々の話がどれだけ伝わったのかなというのはわからないです。なのですぐには繋がらないと思うんですけど、外で何かをやるという選択肢が意外と楽しい、あとは仕事としてじゃなくてもこういうことができるという選択肢が伝わっていたらいいなと思っています。

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編集後記

「遊び」というテーマは私の屋台でもとても大切にしているものでした。世の中が豊かになればなるほど、自分で「遊び」を見つけるのではなく準備されたもので「遊んでいる」ことに変化をしていっているのではないかという思いがあったからです。そして遊んでいる瞬間は、誰かの評価ではなく自分自身の興味に没頭できると思うのです。そんな私を受け入れてくれる人とは人間同士の関係性が作れると思いますし、そういった場所をつくることに興味があったんだなと再認識をしました。
そして、回数をこなせばこなすほどいかにみんなに遊んでもらうかということに目が行ってしまっていることにも気がつかせてもらいました。必要なのは遊びやすいルール作りではなくて、いかに自分が楽しそうに遊んでいる姿をみせることなのかもしれません。

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