ネタになる

新宿で焼身自殺がありました。

ツイッターでは多くの方があげていましたがその中で気になったものがあります。それは自殺ですらネタでしかないということです。

今回の事件はいいことだとは私も思いませんし迷惑だなと思います。でもタイムラインでさらしあげるようなことはしたくありません。

それでも多くの人がタイムラインにあげてお祭りにしてしまうのが今回だったし、現実だろう。

一体それはなぜなのか。


少し前からイイネを取るための投稿がうざいなんて話題があったが、その延長なのではないかと思う。

誰とでも繋がることができることで、他人に認められることのうれしさを知ったからこそその感覚を忘れられないし、また味わいたい。

これは私も同じだ。そういう投稿をしていることもあるように思う。だってイイネ増えたらうれしいもの。

これはまさに麻薬と同じだと感じた。

「楽しいからしいじゃないか」

「迷惑かけていないからいいじゃないか」

というものもあるだろう。しかし線引きはどこかでしなくてはいけないのではないだろうか。

感じたものをすべて出すのではなく、一回自分の「ふるい」にかけるべきだ。

気持ちいいからだけではいけない。

そこにある想いは一瞬の快感であって、その人のポリシーも信念も感じないからだ。

(その投稿でお前は何を感じてほしいのさ!)

その「ふるい」が快感に負けて壊れてきてしまっているのかもしれない。

さて、これから生まれてくる子どもたちは常に承認されるという麻薬がある状態で育つわけだが、どこで自分の「ふるい」を作ってゆくのだろうか。


まず一つとしては今のマスコミを壊すべきだ。

あれだけの事件なのにテレビではいまだに報道を見ない。

隠すからネットというものの評価が上がるし価値が出る。

マスメディアの信頼が失われていることに気が付くべきだ。(それともマスメディアだからこそ自殺一つは取り上げる価値がないということなのか)

しかしマスメディアが変わればいいというものではない。

ネットのよさを感じるから私もここで書くくわけだし、これからもSNSも使い続けるだろう。個人が世界に、個人々に想いを発信できるなんて最高ではないか。

じゃあどうすればいいのか

私も今は分かりません。

しかし問題意識をもって考えていかなくてはいけないテーマであることは確かだと思う。

だって自分の子どもとかが騙されてもほしくないし、ただ快感だけを求めてほしくないと考えるからです。


長文でグダグダと失礼しました。





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