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屋台ラジオ 26日 OA 橘川 幸夫さん

橘川幸夫さん
ある方、出版パーティにお邪魔をしたときにその人の師匠だと紹介された一人が橘川さんでした。しかし、他の方とはどこか違う空気感を纏い変わった人だなという印象しか当初はありませんでした。その後、「森を見る力」は発売され手に取った時にこの人としっかりとお話をしてみたいと思いご連絡をしました。そして今では橘川さんは代表を務めるデジタルメディア研究所に3年間といわれたのに5年間近く居座っているの私が改めてお話を伺ってみました。

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参加型社会とは一体なにか

参加型というのは仕組みでもないし、制度でもないんだよ。一人一人が参加をしたいと思わなければ意味がない。だから今のインターネットは参加型社会になっていなくて、むしろ参加をさせられていると思っているわけだよ。要するにnoteがなくてもTwitterがなくても表現をしたいという欲求のある人が集まって作るのが参加型メディアであって、参加型の仕組みがあるから表現をしたり、呟いたりしている人たちはそれがなければやらない人たち。むしろ無くてはやらない人たちが無理をしてやるから変な風になってしまうと思うんだよね。本当に表現をしたかったり伝えたいという想いを持っている人が自分たちで作っていくシステムが参加型システムであって、誰かが作ってくれるものでもないし、用意してくれるステージでもないんだよ。
吉池が屋台を始めたときに路上に学生がブルーシートを敷いて呑んでいて、「一緒にやりませんか」と声をかけられたわけだろ。その時に一緒にやりたい!と思った気持ちが参加型であって、屋台があって、一日店長という仕組みがあって皆さん来ませんかというのは形式。一番大事なのはそこでみんなと一緒になって騒ぎたいとか、もっとおしゃべりをしたいとかコミュニケーションをしたいという欲求が最大の意味であって、社会の仕組みでもなんでもないんだよ。

― 今と昔で欲求に対する変化というのはありますか —
世代論になってしまうけど、吉池は91年生まれだろ。ある意味では大変な世代で社会が成熟されているから欲しいものなんてそんないないわけだよ。コミュニケーションツールもできたし、携帯も普及している。でも、俺たちは何にもなかったから人と会うということも欲求としてあったんだよ。仕組みがなかったから、そこに企業は装置としてのビジネスを始めたわけで、今は豊かになったんだよ。

― 欲求が少ないと、表現できてないのでしょうか ―
表現って自分の中にハングリーなものがないと表現をする必要がないわけだよ。豊かであればそれを壊す必要はない。でも、自分が豊かでないと意識をしたときに、なにで豊かさを埋めていくかとかなるわけじゃない。多分それが表現だよな。
江戸時代に紀伊国屋文左衛門という人がいるんだけど、みかんの豊作が続いてお金がいっぱい入って、豊かな遊びをした。そういう豊かな時は文化は生まれないで文明が生まれる。そしてそのあとに飢饉とか災害が起きて文明の豊かさが無くなったときに写楽とかの文化が生まれた。文明という豊かさが一回壊れたときに人間の中のハングリーさというのが出てきて、それを表現で埋めていくというのが文化なんだよ。だから今は文明から文化への過渡期に突入しているということだと思うよ。

― それでも豊かさの中で、ハングリーさを持てない人はどうすればいいのか —
3.11の時に多くとは言わないかもしれないけど、少数の若者は人生を変えたわけだよね。震災がなければ普通に会社に入って出世をするような優秀な子たちが個人になっていくというケースを。今回のコロナはまだ始まりだし、地震や津波と違って一過性ではないよね。だから、今はまわりの意識に同調していたとしても、欲求がでてくると思うんだよね。その時に何が起きるかというのを見ていた方がいいんじゃない。人間は瞬間的な痛みには耐えられるけどジワジワくるものには弱いんだよ。

コロナによって変化をしてきたこと

大学で授業もやっているんだけどオンライン授業が始まったんだよ。最初は消極的な人もいたけど、生徒の方も結構アクティブになってきて、先生たちの方が可能性を感じたんだよね。これまでの授業だと質問をしなかった人も質問をしやすくなったり、授業が終わってからメールがきたりする。要するに今までの授業は先生は権威だから、黙って吸収をするというのが授業だったんだけど、オンラインになるとある意味で一対一の関係になるから対等の関係みたくなってくるんだよ。この間、大学生のことで話をしていたら授業が民主的になったというんだよね。それは大学だけでなくて企業でもオンラインで会議をやれば新入社員でもなんでも発言ができるようになる。そういうものの良さとか可能性に今一斉に気がつき始めていると思う。

― リモートワークがいいという声も聞こえますよね ―
出勤とか通勤とか仕事をする前の余計なことが多かったんだよ。会社では通勤することが仕事なんだよね。でも、そんなのただの移動なんだから仕事でも何でもないわけだよ。今まではタイムレコーダーを押しに行くのが仕事だったんだよ。そういう形式的な仕事でない仕事の中身そのものが問われてくると組織が変わる。そして、その流れについてこられない企業の経営者とか幹部クラス、先生なんかは脱落していくと思うんだよ。若い人たちに新しい会社作りにどんどん入っていってもらいたいな。コロナ以前ならそういう奴はスポイルされたけど今は逆に可能性があると思うし、企業も新しい模索をしなくてはいけないんだから。
若い人が会社に入りたくないというのは、古い会社に入りたくないって話をしていると思うんだよ。今その会社の構造自体が変わりつつあるんだよ。もしかしたら会社というのが若者にとって可能性に満ちた場になる可能性もあるんだよね。

― 仕事が変化をしてきているということですか ―
今までは前段階のプロセスにメチャクチャ時間がかかっていたわけだよ。それはビジネスでもアーティストでも同じなんだけど、本番に行くまでの下準備が仕事だったんだよね。その部分がかなりショートカットされていきなり本番みたいな感じ。
だから吉池のインタビューも17人どころじゃなくて、何百人でもできることなんだよね。それを一本一本テープ起こしをしようとか考えてしまうからダメで、1000本やってそのなかのから厳選すればいい。今までは手間がかかるから聞いた話はフォローをしなくてはいけないと思うわけじゃない。でもzoomとかインターネット環境はそうじゃないと思うよ。どんどんやっちゃう、やってみてプラスの部分だけ残していけばいいんだよ。全部が基礎取材だと思えばいいわけ。そのなかで自分の興味関心でフィルターをかけて編集する。積み上げていくのは旧来型のコンテンツの仕組みだから。
一緒にやった未来フェスもなんの計算も何もないじゃん。発起人の一人の後藤健市さんが言ってくれたけど「行き当たりばっちり」でいいんだよ。やってしまってそのあとで自分が得たものをまとめ直せばいいわけでさ。まとめるものは一人一人違うかもしれないし、律儀にやっちゃだめだよ、ネットは。

― 会社や学校以外で変化をしてきたことはありますか ―
キャバ嬢っているじゃない。いろいろな子たちがいるけど今は店が閉鎖をして、しばらくは水商売系はお店を開けない。それでその子たちが何を始めたかというとネット配信なんだよね。最初は今までのキャバレーをネット上に置き換えることをやったんだけど、そんなの何にも面白くないわけじゃない。最近は17LiveとかLINEライブとか課金のシステムのある所にいって自分のお客さんに向かってお話をしたり、歌を歌ったりパフォーマンスをしたり一種のYouTuberみたいなものをキャバ嬢の女の子たちが始めているわけだよ。これは、キャバを復活させるとかバーチャルを作るとかよりも次のステップだと思うんだよね。一人一人の個人が自分のパフォーマンスで生きていく道を探っていく。組織を作るとか仕組みを作るではなくて一人一人の魅力と力なんだよね。それが参加型だと俺は言っているんだよ。参加型社会という会社を作ったり組織を作るんじゃないんだよ。一人一人が自分の想いとか自分の能力とか自分の持っているもので表現をして生きていくというかさ、道を探るのが参加型なんだよな。
だから、吉池の屋台もステージというよりは、一人一人が自分を発揮できるキッカケの場になっていっていけばいい。要するに一番初めの部分だけでいいんだよ。

― 外に情報がでることを恐れる人もいるんじゃないですか ―
それはある意味では古い。ウチとソトってものはもうないんだよ。ネットというのは全部ウチでありソトであるわけなんだよね。喋った瞬間に世界に繋がっているわけで、古い意味での権利関係は無くなっていくと思うよ。
最終的になことをいえば名前も個人も無くなる。言葉とかロジックだけが残っていく。だから、誰が言ったっていいんだよ。
「行き当たりばっちり」でやった方がいいよ、それが財産になる。大変だけど 笑 。

― 個人が目立つと同時に、信者生み出してしまうことはどう思いますか ―
でも、信者ができるくらいだからそれには魅力があると思うんだよな。問題は信者同士が権力になってくるんだよ。大体宗教もそうだけど教祖は普通の偉人なんだけど、弟子たちが教祖を利用して利権を要求してくるわけだよ。今、首相なんかでも、首相自身が下手なことをやっているというよりも首相を利用してまわりの連中が悪だくみを大体するんだよ。虎の威を借りる狐だな。そこまでの能力がないくせにまわりについて仕切ろうとする連中たちが一番問題。
だから俺も吉池にも最初に3年だよって言っただろ。俺のまわりに永続的にいられるのは嫌なんだよ。別にそれで喧嘩をするわけではないし、仲は良いわけで。だたそういう教祖と弟子みたいに密着するのが嫌。人を育てたりするのは結果であって、自分のことで精一杯に生きているから構ってられない。

クラウドファンディング出版

クラウドファンディングは元々なにかをやりたいけどお金がない人とか困っているから助けたいとかカンパじゃない。これは、新しい金融のシステムなんだよ。銀行からお金を借りるんじゃなくて一人一人から出資をしてもらって新しい事業を起こす。出版というのは一番小さな事業。そして集まった金額によっていろいろな予算の使い方ができるんだよ。オンデマンドでやればほとんどお金はかからないし、オフセットでやればそれなりにかかるとか。それなので新しい金融システムとしてクラウドファンディングをやってみようというのが始まり。

― 新刊のクラウドファンディングを終えてどうですか ―
それでいろいろやってみて何よりの発見は、今まで30冊は本を出しているけど、だけど誰が読んでくれたのか分からないから、読者がただの数なんだよ。今回のクラウドファンディングで126人の支援者が集まったんだけどその人たちは名前も住所も全部わかるんだよ。生れてはじめて読者が見えている中で本を出せる。今まで本はある意味で出会いがあって、本がキッカケで生涯の親友は数人できたんだけど、今回はすべて知っている人だから本を書きながらそいつらのことを考えながら書けるんだよ。今までは時代という宙に書いている感じだったけど、今回はリアルに人の顔を見ながら書いた。もしかしたら文章が少し変わってきているかもしれない。
いつもの通りだけど体を張った実験ですよ、それの一つとしてね。

― ネットにもかなり文章を書いていますが書籍との違いは何ですか ―
noteとかネットに書いたものって情報なんだよ。言ったことの意味とかニュースや考え方は全部ネットにあるわけだよ。でも、本を読むというのは体験なんだよ。例えば夏目漱石を学生時代に読んだというのは体験として覚えているわけじゃない。一冊の本を読んだというのはその人のなかに体験として残っていく。山登りに行ったとか女の子にフラれたとか同じレベルの体験なんだよ。でも、ネットの中の情報をいくら集めても体験ではなくて、知識にしかならない。なので、もう一回個別の体験というのが重要になってくると思っています。

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今は焼跡闇市状態

今のコロナ状況は本当に伝えたいものを一人一人が探し出していると思うわけ。今まではブランドとかキーマンという人が言ってることがかっこいいとか自分の内側から出てくる想いではなくて、外から入ってくるもので自分を固くしたりする表現だったと思うんだよね。今は一人一人になっているからここから新しい文化が生まれてくると思うんだよ。それで今までとは違う人が続々と出てくることによって新しいメディアが生まれてくると思っている。

― コロナ禍が戦後の状態だとnoteに書いてありましたよね ―
第二次世界大戦後に野坂昭如が焼跡闇市派というの言葉を言ったんだけど、今はまさにその状態、闇市なんだよ。要するに東京が全部焼かれてしまってそこに市場ができるたように、前のものがすべて壊れてしまった状態。戦後の闇市は食べるものがなかったからみんな田舎に行って着物と交換をしてきたり、ブローカーがお米を買い占めておかゆにして高く売りつけるとかそういうのをやっていたわけだけど、今はお米の代わりにマスクを売っている。マスクの転売ヤ―って闇市商人だったんだよ。
今はまさに焼跡闇市派の21世紀版ができていると思う。戦後は会社がすべて疲弊をしてしまったからみんなが自分で自分の仕事を選択していったんだよ。会社を選ぶんじゃなくて、仕事を選んだ。戦後を抜けて社会が完成をしてきたから会社を選ぶことが人生を選ぶことだったけど、またコロナによって今までの仕組みでは生きていけないからこそ、自分なりに商売を考えたり仕事を選択する時代がきている。これからは仕事を選ぶことが人生を選ぶことだよ。どういう仕事を選ぶか、それでどうやって生きていくか。

― 人の流れも変わりますか ―
東京とか札幌とか福岡も田舎から出てきた人なんだよな。いわゆる中心思考で上がってきた人たちじゃない。要するはそれの利便性があるから付き合っている。そういったピラミッドの頂点を目指すようなことは今回のことで止まると思うんだよね。反三密の時代になると地方分権が始まると思うな。日本を三密に指定はいけないという話だからさ。

編集後記

橘川さんが1977年に創刊をした雑誌で「おしゃべりマガジン ポンプ!」というものがありました。それは全面投稿雑誌でTwitterの先駆けともいえるものだったのですがそこでは建前ではない「体験」と「実感」を投稿するものでした。今回お話を聞いても、「体験」と「実感」の部分がそのころ以上に重要になってくるように感じました。やはり屋台を始めて私は自分の言葉で話せることが増えたのは、とても自信になりました。そして、そのウラには自分の「実感」が伴っていたと思います。この想いは誰に何を言われても変わることのない感覚でしたし、そんな瞬間に多く出会うことができたのが屋台だったのです。
戦後などの話と比べると欲望ということがとても大きなものと感じてしまうかしれませんが、「ただ、会いたい」という言葉でも、自粛期間に感じていたように見方を少し変えてたり、じっくりと見つめるとで、自分だけの欲望に繋がるのかもしれないと思いました。

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