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屋台ラジオ 13日 OA 中村 瑞季さん

中村 瑞季さん
二年ほど前、私は仕事で飯田市に一週間くらい宿泊をするのですが、宿がなかなか見つからない。そんな時にやまいろゲストハウスを見つけて宿泊をさせてもらいました。営業が始まったばかりということでしたが、そこでの過ごした時間が親戚の家に遊びに来たような感覚でとても居心地が良かったことを覚えています。コロナの影響で環境が大きく変わったと思うのですが、今考えてることなどお話をお聞きしました。

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Yamairo guesthouse (やまいろゲストハウス)

長野県の飯田市というところでゲストハウスをやっています。飯田市の人口10万人くらいで小さなまちなんですけど、市内にゲストハウスはやまいろゲストハウスと少し離れたところに数軒あります。2年前にゲストハウスを始めたときには、ゲストハウスが飯田にできるんだ!っていう注目をいただいたり、地域の人たちに応援をしてもらいながらやってきました。

— なぜ、飯田市で —
飯田が地元だったというのがありますね。とはいえ私は地元を離れている期間が長くて、地元に戻るなんて思ってもいなかったんだけど、離れている期間に長期で海外に行くことがあってその時にゲストハウスをやりたいなって、どうせやるなら地元がいいなと。
ゲストハウスって結構そのまちの入り口になったりだとか、まちの盛り上げ役になれたりだとかいろいろな可能性があるので、地元に戻って自分の両親とか友達とか同じ世代の人たちに対しての楽しみになれたらいいなぁと。

— 飯田を離れてからはどういったことをしていたのですか —
17歳の時に1年間ニュージーランドに行って、英語と美術を勉強しました。帰国して東京の美大に入ったんだけど、そこでは絵ではなくてカフェや家の建築とインテリアデザインの間くらいの勉強をしていました。空間デザインっていうのかな。その後は東京の建築事務所に就職をして設計をしていました。なのでどちらかというとゲストハウスとかお店で働くというよりは逆にお店をデザイン、設計する側にすごい興味があってそういう道をずっと歩んできました。
数年たった後に仕事を辞めて、ワーキングホリデービザを使ってドイツに行って、カフェで働いたり、ヨーロッパを回ったりしていたんだけど、その空間がすごく楽しかったから設計をする側ではなくて、日本に帰ったら私もこういう自分の好きな空間で働く、そういう仕事をしたいと思いました。

— 帰国後、すぐにゲストハウスを始めたのですか —
最初、ゲストハウスはイメージでしかなかったので東京のゲストハウスで短期間なんだけどヘルパーをやらせてもらいました。色々教えてもらったり、日本の宿のことも勉強して自分でも視野が開けたと思います。
そのあとに地元に帰ってきました。でも、飯田が地元だといってもしばらく離れていたからまちを知ることが必要だなと思って地元のカフェで一年くらいバイトをしながらゲストハウスの準備をしていました。

— ゲストハウスを始めるにあたり何を準備しましたか —
ゲストハウスをやりたいという人がいたらアドバイスにもなると思うんだけど、まずはやる場所。このまちが好きでこのまちでゲストハウスをやりたいと思っても自分に合った規模とか立地とか予算とかでなかなか物件が見つからないんだよね。でも、場所さえ決まればあとはもう。笑

— 場所はどのように決まったのですか —
おばあちゃんの家が空き家だったのでそこでやろうと思っていたんだよね。でも、おばあちゃんのところはまだ親戚の人とかが使っていたりして、私一人が家を使ってお店を開くことはすぐには難しいねっていう感じになった。それで困っていたんだけど知り合いを通じて飯田ですごく立派な古民家が取り壊される寸前らしいよって話が舞い込んできてそれが今の建物でした。築200年くらい。

— 古民家をリノベーションをするときには学んでいた空間デザインなどを意識したんですか —
まったく。笑 実践になるとパソコンを使って図面を触るみたいなことは全く役に立たなくて。名称とか、断熱材とかに関しては普通の人よりはあったと思うんだけど。あと、自分たちでセルフリノベーションをした部分も多かったから。

— どういうところをセルフリノベーションしたんですか —
工事期間が7か月だったんだけど、最初から最後まで私たちは現場に入ってました。やっぱり誰でもできることはあるんだよね。
解体とかから始まって掃除をしたり、断熱材を貼るとかの地味な作業から最終的な床板を張ったり、壁を塗ったりとか細かい仕上げの作業までほとんど全部に関わっている。プロしかできない部分って柱を建てたりとかの構造に関わる部分と電気水道ガスくらいで、その部分は業者さんにお願いをして残りの工事は自分たちと両親、ボランティアの方と一緒にトンテンカンテンやりました。大変だったけど、作っているときから始まっていた感じはしますね。
でも、本当にボロボロで全部直さなくてはいけないような状況だったから果てしなかった…笑。

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ゲストハウスの中で生れるコミュニケーション

— ちょい飲みのスペースががありましたよね —
元々宿だけではなくて地元の人たちが立ち寄れる機会を設けたいなと。東京で修業をさせてもらったゲストハウスも常連さんと宿泊者さんとスタッフがワイワイやっているバーがあったんだけどそういう空間は必要だなぁと思っていました。
このゲストハウスのまわりも飲食店は本当に少ないし、飲み歩いている人もいないのでただ飲み物だけのバーだとなかなか人がきにくいかなぁと思って簡単なおつまみとお食事、お酒を出しています。「ちょい飲み屋」って呼んでいるんだけど。
今、どのゲストハウスもバーを構えているところがほとんどだと思うけど、コミュニティスペースを持つ宿がほとんどだと思う。

— 丸2年をそろそろ迎えられて、当初の計画とのギャップなどはありますか —
その場、その時々で「こうしたほうがいいんじゃないかな」「ああしたほうがいいんじゃないかな」って感じでその場の流れに合わせてやってきたから、理想像があって、そこに向かって追及してきたわけじゃない。イメージも漠然としか考えていなかったから、流れだよね。
でも、「ちょい飲み屋」さんの方に地元の人たちが来てくれて、ちょい飲みだけでは終わらなかったり、毎週来てくれたり、宴会をしてくれたり、そういうのが嬉しかった。
あと、宿泊も一人旅の人たちとか若者が多いというイメージだったんだけど、結構ファミリーや子どもさんが夏とか多かったり、赤ちゃんが泊まったこともあるし、60歳とか70歳くらいの人も泊ってくれたり、そういう幅広い年代の方が来てくれるのはすごい楽しい。

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— 海外の訪問者、宿泊者の傾向などはありますか —
飯田市自体がそんなに観光客の多いまちではないから、海外の方は全体の一割くらい。たまにきてくれると新鮮な気持ちで「英語しゃべらなきゃ」ってなる。笑
飯田って割と通り道になることが多くて、関東から関西に行く途中とか。横断をするときの寄り道的な感覚で泊ってくれる人もかなりいます。
定期的にはやっていないんだけど、イベントはいくつかやっていて昼間の時間に解放してヤマイロカフェみたいな感じでやったりとか体験ワークショップとかトークイベントとか。宿泊者さんとどこかへ行こうとかはまだやっていない。

— とても居心地のよさを私は感じたのですが、心掛けていることはあるんですか —
一日限りのシェアハウスみたいな。私もここの住人で、ゲストさんも一日限りの住人みたいな。そんなイメージ。

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コロナとゲストハウス

すぐには先が見えない感じだよね。自分では決められないし、来週どうなるか分からない状況がずっと続いているから、そんなに長期なイメージはないけど無期限休業ってしていて。希望としては夏前には開けたいなって思っていて。

— 一夜限りのシェアハウスはなかなかできないですものね —
宿泊業界、特にゲストハウスは厳しいよね。ゲストハウスってコミュニケーションとか人と人との距離が近づくことが強みだったからそれがダメってことになると身動きとれない感じ。
やまいろはちょい飲み屋で地域の人たちに来てもらっていたのが強みかなって思っていて、地元の人で「家が近くても泊りたい」って言ってくれてる人たちもいて、そういった人たちに飲食+宿泊で活用してもらえるような提案をできたらいいなって思っていたり。
コロナは深く考えるキッカケにもなったかも。ここにやまいろゲストハウスがあってみんな何を求めてくれているんだろうとか。今は焦って開けるよりは安心して移動できるようになったときにどんなやまいろだったらみんなに受け入れてもらえるかなって。なので今は改装工事をやったりしてレベルアップをしてお迎えをできるようにしようかなって思っています。

— やってみたい企画などはありますか ―
今までやりたかったけどできていなかったこと。それこそ改装工事をするとかお散歩マップを作ったりとかオンラインでできるイベントを考えてみたりとか。企画がどんどんできているのでチェックしてほしいです。
あと、飯田市のもう一つのゲストハウスと一緒に飯田市のご当地グルメや詰め合わせボックスを事前に参加者さんにお送りして、それをみんなで食べたり飲んだし観たりしながらおしゃべりをするみたいなことをしたいなぁと。遠隔だけど繋がりはあるというのをやってみたい。
飯田市は高校生時代に住んでいたよりもいろいろなお店ができて、何かをやろうという若い人もたくさん出てきている印象がある。今までは割とシャットダウンされているイメージだったんだんだけど、みんな外から情報を取り入れて、まだこれからもっと面白くなっていくはず。ゲストハウスも初めてだったし、今なら何を始めてもパイオニアになれるまちなんだよね。

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編集後記

コロナの渦中で最も影響を受けている業種にも関わらず、焦る素振りはまったくなく、楽しくお話ができたのことがとても嬉しかったです。やはりそれはガチガチに決めたことをやろうとするのではなく、その場に合わせて変化をしてきたやまいろゲストハウスだからできる反応なのだと感じました。オフレコ的に話したことで、コロナが明ければ一斉に競争がはじまるので、お客さんがどれだけ来てくれるのか分からないと言っていたのですが、どんな状況でも変化に身を任せながら、中村さんたちの感性を活かした新しいゲストハウスをみせてくるんだろうなと思うと、その変化も楽しみでもあり、魅力になっていくのだなと感じました。

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