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VARから見えたスポーツのハイテクとアナログ

残念ながらクロアチアに敗れてしまったサッカー日本代表ですが、戦前の予想を大きく覆す大躍進に野球好きの私も大いに感化され、Abemaを開いては夜更かしが続いてるのですが今回話題となったこととしては「VAR」というのもがあったので少し思ったことを書いてみようと思います。

「VAR」とは「ビデオ・アシスタント・レフェリー」というもので最新の技術を使いながらミスジャッジを無くして公平なジャッジをしていこうというものという認識です。

この流れは私の好きな野球、アメフトやテニスなどでも多くのスポーツで取り入れられ、技術革新によって新しいルールがどんどんと生まれています。

この動きによってミスジャッジをなくすことで審判やファン、プレイヤーのストレスは多いに軽減されたと思います。現に私もテレビの前で審判に声を荒げることがなくなりました。
そして将来的に正確なジャッジが最適解であるとするならばもう人間の審判なんていらない時代がすくそこに来ているのかも知れません。

でも、私はミスジャッジが0のデジタル審判よりも、ミスジャッジも含めて人間がジャッジをした方が面白いと思っているのです。(ミスをヨシとするわけではないですが…)

野球に例えてしまうのですが
守備の際、ランナーへタッチプレーをする時に「アウト!」と大きな声を出して審判に見えやすいところでタッチをする様にと教わりました。理由は際どいプレーの時に声や見え方で審判にアピールをできるからというものです。
また、キャッチャーは投手からのボールを取るときに出来るだけ審判の方に見やすい様に、際どいボールはストライクゾーンに見える様に捕球をしてました。その他にもその日の審判の傾向などをみながら配球をする様に心がけたりということもありました。

何が言いたいのかというと
正確さが絶対正義というのであればこの様なプレーは、姑息な審判を欺く行為となるのかもしれませんが
選手としては姑息な行為ではなく、確固たる技術として何百、何千回も練習を積み重ねるものなのです。
何故なら、技術がなければ審判への侮辱行為ということで心象を悪くして不利に働くことだってあるからです。

今回の「VAR」はじめ、ハイテク技術のスポーツ参入はこう言った記録には残らない余白の部分をどの様に捉えるかということが大きな接点になるのだと思っています。
そしてこれは面白さの幅に繋がると思うのです。

ミスジャッジ0のデジタル審判が採用されるとストレスは少なくなり、観客は「選手」と「選手」の力勝負を楽しむことができます。
でも、時々ミスやユレのある審判が採用されると「選手」と「選手」の対決のとは別に「審判駆け引き」の要素が加わります。

もちろんミスジャッジは少ない方が良いですが
「力」と「力」の身体能力自慢とも言える様な対決ばかりで、目に見えない技術を感じるような駆け引きをなくしてしまうのであれば要素が減るわけなので魅力の低下につながると思います。

ただ、現実はハイテク技術導入へ進んでいくと思っています。

なぜなら人間はストレスにとても弱いからです。一度ビデオ判定を知ってしまったら前には正直戻れませんし、戻りたくないです。
そして誰でも文句を垂れる世の中ですからそんな中でのジャッジをする審判には相当なストレスがのしかかってしまいます。

ですので全てがハイテク技術の導入によって正確性が絶対正義となる前に、アナログという余白を楽しむ要素を忘れてほしくなぁなぁと思い久しぶりに書いてみました。

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