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トリコロールに染まるまでのお話と、中村俊輔へ。

中村俊輔が引退を発表した。

言わずと知れた稀代のファンタジスタ。あの左足から繰り出されるプレースキックやパスに魅了されたサッカーファンは多いだろう。
Jリーグに興味が無くても日本代表で彼を知り、あの華麗なプレイを観たいが為にスタジアムを訪れ、そのままマリサポに、若しくはジュビロサポに、横浜FCのサポーターになった人は少なくないはず。

寂しくなるけど、まずは身体をゆっくり休めて下さい、お疲れ様でした。

さて、今回は自分の話をさせて下さい。
実は、yoshihitさんはマリノスのガチなサポーターになってまだ10年経ってません。ファンではあったけどスタジアムで見るようになったのは2014年のホーム最終節からと古参の方から見ればまだまだ新入りなんです。

そんなマリノスとの出会いはJリーグの開幕戦まで遡る。あの日のカードはマリノス対ヴェルディ。日産自動車のサッカー部の頃からファンだった叔母に「教育」された小学生のyoshihitさん。
サッカーボールを買ってもらうのはもちろん、Jリーグチップス(知ってるお前はオッサン)のおまけカードはマリノスの選手以外は問答無用で手裏剣にしたり、田舎から3時間かけて三ツ沢へマリノスを観に行ったりとマリサポ街道まっしぐら……のはずが、当時絶大な人気を誇ったスラムダンクに影響されてバスケを始め、中学は女の子にモテそうといった理由でテニス部へ。高校は帰宅部でその辺をフラフラしてました。
サッカー?日本代表とウイイレでいいや!
何て少年時代でしょう。叔母涙目。
それでも「教育」のせいか、心の何処かでマリノスだけは何故か特別だった。試合結果は新聞とかテレビで確認していたし、所属選手も全員ではないが大体は知っていた。
2003年の優勝、翌年の連覇は嬉しかったなあ。帰宅部でヒマしてたから興奮したぜ。
そしてもう一つ、自分とサッカーを繋ぐものがあった。

中村俊輔その人だ。

初めて見た叔母が「とんでもないのが入ってきた」と言った通り、高卒新人とは思えない足元のテクニック、パスセンス、そして別次元のフリーキック。
バスケとテニスと隠れタバコしかしてない当時の自分にもわかる、あの華麗で天才的なプレイ。一瞬で虜になった。自分にとってのアイドルだった。今で言うと個サポ?
日韓ワールドカップのメンバーから落選したあの日はトルシエをブチこr文句言いに行ってやろうかと本気で思ったり。若いっておバカで困るね。

……それは置いといて、中村俊輔に惚れこんだあの頃のyoshihitさんはその後のジーコジャパン、そして世界で大活躍する彼をずっと追っていた。当時は夜中に海外サッカーをよく放送していたので眠い目を擦りながら異国の地で戦う彼を応援したものだ。
誰もが知ってるCLのフリーキック。マンチェスターUに叩き込んだあの2発に狂喜乱舞した方は多いだろう。嬉しさと興奮のあまりテレビにダイブする所だった。そんなアホはオレだけか…?
彼が活躍する度に自分の事のように嬉しくなった。誇らしかった。
しかしながら、彼がエスパニョールに移籍した頃のyoshihitさんは大学を卒業し社会人デビュー。慣れない東京の地で右往左往、悪戦苦闘する日々を送る事に。朝も早いため、以前のように夜は起きていられない。今みたいにDAZNもないし。
中村俊輔?それどころじゃねぇ!寝ないと死ぬ!
完全に社畜ですね。
2010年にマリノスに帰って来たのは知っていたけど、日々に忙殺されてサッカーどころか好きだった色々な事にすっかり冷めてしまっていた。
南アフリカワールドカップも殆ど見てない。
エネルギッシュな20代だというのに、土日休みを待つだけの社会人生活。
サッカー、そして中村俊輔は自分にとって完全に過去のものになりつつあった。

そして2011年。
松田直樹が亡くなった。
大きなショックを受けたものだ。一度しか生で見たことないのに。サッカー熱は冷めてるのに。
更に2014年。
奥大介も旅立ってしまった。
2003年の優勝の立役者たちが、日本代表で観てきた彼らが。

人は必ずいつの日か死ぬ。
思い知った。打ちのめされた。

そして、自分は何をしているんだろうと焦燥感に駆られた。
仕事終わり、その辺をフラフラ飲み歩いているだけで楽しい?
この間の休日、何してた?ずっとスマホをポチポチしてたね。
あれだけ好きだったギターもピアノも、随分長い事弾いてないんじゃない?
最後に友達と遊んだのはいつ?
最近何かに熱中してる?
熱くなれるのはGガンダム見てる時だけですか?だからお前はアホなのだあ!
忙しい、疲れたって言って何もしない間に時間は過ぎていく。

会いたい人はいないの?


横浜にいるだろ!
帰ってきてるじゃんよ!
オレのアイドル!中村俊輔!

今行かないでいつ行くんだ?
また同じ休日過ごすのか?時間無駄にすんのか?
見ないうちにどっか行っちゃったらどうするんだ?

じゃあ、今すぐ会いに行けばいいじゃんよ!

気合と勢いで深夜のコンビニにチケットを買いに行った。テンションがおかしかったのか、帰りに職質に合ったのはここだけの話。
そして2014年のホーム最終節、日産スタジアムに自分はいた。対アルビレックス新潟。マリノスを、中村俊輔を観るために。

試合内容は素人目線ながら正直微妙だったが、この目で本物の中村俊輔を見たあの日は忘れられない。
交代で名前が呼ばれた時のアルビサポの大ブーイング。
それでも涼しい顔で試合に入るファンタジスタ。
ボールを持つだけで周りが沸く。何か起こしてくれるのを期待してる。
スタジアムで見るマリノスの10番はテレビで見ていた以上に華麗で美しく、自分の想像を遥かに超えていた。
もっと彼を、あの左足から繰り出される絶技を観たい。
試合後、来シーズンのファンクラブ案内を持って帰宅し、その日の内に入会手続き。あとは年明けに10番のユニフォームを買うだけ。たった1日でトリコロールに染まった。

こうしてyoshihitさんは20年近くの遠回りの末、マリサポとして生きる道を選んだのでした。
そう、自分も彼を見たいが為にサポーターになった1人です。
その2年後に移籍するなんて夢にも思わなかったが……嘘だと言ってよ俊輔。
多くを語るのは伏せるが2016年末の移籍報道の最中、彼を愛せなくなったマリサポが多くいるのは知ってる。
確かにもう少し言葉を選んで欲しかったと思うし、怒りや哀しみを憶える方がいるのは無理もない。
それでも、自分は彼を嫌いになれなかった。
「今日からあの人は敵なんだ」と分かっていても。
もしかしたら自分は誰よりも1番だらしないマリサポなのかもしれない。
きっと彼は帰ってくる。夏と冬の移籍期間になる度に願っていた。
エリク・モンバエルツが育てた選手が躍動した2017年、アンジェ・ポステコグルーが監督に就任し、今までとは全く違う攻撃的スタイルに変貌した2018年以降、そしてケヴィン・マスカットが率いる現在。
彼が帰って来たところで居場所が無いのは分かっていても、トリコロールを纏う中村俊輔をもう一度見たかった。
それほどまでに彼に魅了された。愛していた。
引退発表により自分の願いが叶う事はなくなったが、これからもその気持ちは変わらない。

突然だけど、これを読んでいるあなたへ。
思い出してほしい。
ペナルティエリア付近で笛が鳴り、マリノスのフリーキックチャンス。その瞬間、何人もの選手が主審に詰め寄っていく光景を。まるでレッドカードを出された時のようなあの猛抗議を。連動してスタジアムに響く相手サポーターの大ブーイング。

だってマリノスのキッカーはあの人だから。
何度もクラブと日本代表を救い、勝利に導いたあの左足が牙を剥くから。
壁に立つ相手選手、GKの緊張感が反対側のゴール裏にいるこちらにも伝わって来る。
そしてウルトラレフティのチャントを叫ぶマリサポ。
記憶にあるだろう?

……思い出せとお願いしておいてこんなこと言うのはアレだが、人によってはトラウマを呼び起こして血圧が上がりまくってるかもしれない。健康診断前日の方、それから読んでて吐きそうになった方はごめんなさい(ゲス顔

それはさておき、今では見る事が少なくなったそんな光景。今後、彼のような選手は中々出てこないだろう。
自分と同じ世代のサッカーファンならきっと同じ事を言うんじゃないだろうか。

そうそう、ここまで読んで下さったあなたなら、きっと一度は経験していると思う。
「1番好きなサッカー選手は誰?」
サッカー好きな方と話すと必ず出る質問。

オレはこれからもずっと、胸を張って答えるさ。

中村俊輔とね!

俊さん、こんな自分をサッカー好きにしてくれてありがとうございます。

そして本当にお疲れ様でした。

……何度でも言うよ!

中村俊輔!
オレらの誇り!ウルトラレフティ!

本当に、ほんとうにありがとうございました。














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