数学を憎んでいた

こんにちは、ライターの吉口青花です。今回は、私が長いこと数学を憎んでいた話、30年ほどの時を経てようやっと数学と仲直りできるかもしれない話をします。

中学レベルの数学の知識が真っ白!

PythonやITパスポートを学習していて突きつけられるのが、自分の数学の知識があまりに不足していて、中学レベルでさえ真っ白なこと。勉強を進めながらひっかかり、ググってみたら中学レベルで習うことだった、というケースが頻発しました。

待って、直角三角形の斜辺の長さを求めるコードでなんでこういう式が出てくるの? なんで説明ないの?
→三平方の定理(ピタゴラスの定理)だった

待って、aの0乗はなんで1なの? 0じゃないの?
→なんかそう決まってた

に、2進数???
→確かにやったけど理解を放棄した記憶

今までに引っかかったところを挙げるときりがないので3つぐらいにしておきますが、まあそれはそれは中学レベルの数学知識が真っ白なのです。

数学と学習環境と私

私の数学嫌いの萌芽は小学校時代にあります。正直に言うと九九も怪しいし、つるかめ算とか植木算とか聞いただけでサブイボが立ちそうになります。

いま原因を振り返れば思い当たることはあります。当時私に算数や数学を教えてくれた先生方の教え方と私の相性が悪かったこと。今のようにデバイスを使って学習できる環境でもないし、知りたいことをすぐにネット検索できるような時代でもなかったこと……

30年とかそれ以上前の話ですからね。現在よりもずっと「子どもは大人の言うことを素直に聞くべき」という風潮が強かった。教育学も現在のようには洗練されておらず、立場の上の者が下の者をよろしく指導する、みたいなパターナリスティックな感覚だったのではないかと想像します。それに、言動や成績が平均的でない子どもがいればそれが障害由来とはよもや思われず、単に性格が悪いとかさぼっているとかされがちでした。

私は基本的にいつもかなりの好成績。でも算数と数学だけは苦手でした。手書きのノートが苦手だった私は、手書きしか選択肢のなかった当時の学習環境では自分の読みづらいノートのせいで計算ミスを頻発。加えて、理屈っぽくてなんでも理由を納得できないと許せなかった私は「算数・数学ではこう決まっているからとりあえずこうしておけ」みたいな説明が大嫌いでした。

分数を分数で割るってどういうことですか? どうしてひっくり返してかけるんですか?
無理数ってなんですか? 虚数ってなんですか? なんでそんなものを作ってまで何か計算しなきゃいけないんですか?

そんなことを先生に訊いては、最初は適当に流され、次にムッとした顔で「ともかくそういうことになっているんだ」と言われ、最後には「いいかげんにしろ、大人の言うことは素直に聞け、なんて失礼な子なんだ、先生をからかって楽しんでいるのか!」などと怒鳴られるのでした。

私は先生をからかって楽しんでいたわけではありません。大真面目でした。あれはとても切実で、いま思えば教育上の意味を考えてもとても大事な質問だったはずです。

ほかの教科だったら楽しみながら好成績をとれるのに、算数や数学は楽しくない、理解も納得もできない。あげく先生からは理不尽な誤解を受け、怒鳴られまでする。これはそうとうな屈辱です。

それに、なぜだかわからないけど学校に通うだけで毎日くたくたに疲れ切ってしまっていた私。軽くこなせる得意教科ならいざ知らず、苦手教科に根気よく取り組んでいけるようなエネルギーはありませんでした。算数や数学の時間にはいつも頭がぼうっとしていたように思います。
※のちに障害由来の疲れやすさがあったことが判明しました

私はそんなことを経てついに、算数や数学を憎むようになりました。

こんな教科、こちらから願い下げだ。
そんな不誠実で不十分で失礼な説明で、理解してやるものか。
私には数学がわからない、できない。そういう頭に生まれついたんだ。
決めた、数学の授業ではひたすら時間が過ぎるのを待つことにしよう。

私はそんなふうに考えることで自分を守るようになったのです。 ……そういう経緯だったと、いまになって中学数学の内容に触れることで初めてさかのぼって理解しました。

数学を避けて生きてきた

私は人生において、数学ができないこと、数学を憎み数学を避けることでずいぶんと損をしてきたように思います。

実は理系の教科は大好きでした。生物、物理、化学。むしろクラスの誰よりも目を輝かせて授業を聴いていました。計算ができないからテストの点はとれませんでしたが。

科学雑誌Newtonを愛読し、マッドサイエンティストに憧れていた私。でも高2の文理選択のとき、数学がここまでできないと理系は難しいと周囲にたしなめられました。そうして泣く泣く文系を選択したところから、私の数学への憎しみはこじれていったように思います。

高1だかの頃に泣きながら勉強した数学の定期テストで13点。知ってました? 確か20点未満の点数って赤点じゃなくて青点なのです。青いペンで13と書かれていました。高2になって学校で数学をやらなくてよくなかったとき、もう二度と数学なんかやるもんかと教科書をゴミ箱に投げ捨てたのを覚えています。

大学のときに高校の同窓会がありました。居酒屋に文系コースと理系コースで分かれて座ったら、文系コースの皆はなんとなくくすんで愚痴っぽく、理系コースの皆はいかにも人生楽しそうで華やかにさざめいていて(少なくとも私にはそう見えて)愕然としました。

理系の子たちは医者や薬剤師になり、同じ文系でも国公立に行った子たちは堅実な職に就き…… でもド文系の皆、いや私は……

このへんの詳細はまた別の機会にお話しようと思いますが、まあ何をやってもうまくいかない時期が10年ぐらい続きました。実家を離れて結婚し、くたびれた心身をぼちぼち回復させるまでに5年ぐらいかかって、それから在宅でライターの仕事を始め、現在に至ります。

数学との仲直り

でもね、いまはね。なんでもできる気がするんです。

今はテキストや先生を自分でいくらでも選べるでしょう。計算自体はPCがやってくれるでしょう。わからないことはいつでもググれて、誰に怒られるわけでもないでしょう。身体もずいぶん元気になったでしょう ……私の数学の学習にとってボトルネックとなっていた要素が、いまはすべてクリア可能なのです。

反射的に理解を拒否しようとする頭をなだめすかし、いや、これはみんなが中学生の頭でやってこれたものなんだから私にだってできるはずだ、と根気よく取り組む、そうしたら …… スルッとはいかないにしろ、わかるじゃないですか!! しかも、これが楽しい。

ごめん数学、今まで嫌ってきてごめん。君、別にイヤな奴じゃなかったんだね。心の中で頭を下げて謝りました。

先生たちから誤解を向けられつづけるうちに、幼かった私はいつしか先生たちへの怒りを数学自体に向けるようになっていた、そう気づきました。

数学を嫌うあまりに避けてきたこと、全部やってみたい。見れなかった世界を見てみたい。できるはず。PythonやITパスポートと一緒にまずは中学の数学をおさらいしよう。Pythonの機械学習やAI構築のための高校数学とか、いまは本の目次を見ただけで頭がくらくらしそうだけど、中学レベルをできる人にはできる内容のはず!

数学セラピー

これは私にとってセラピーです。私の中の、数学に対する憎しみ、数学のできない自分への不全感を癒やしていくための。

癒やしになるだけでなく、数学ができるようになることは実際に必ず仕事や人生にとってプラスになる。仮にプラスにはならなかったとしてもマイナスにはならない。自分や他人の人生の解像度度が上がる、そしてそれは楽しいことのはず。

頑張っていきますよ。自分が癒やされていく感覚を大事にしながら。

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