健脚
どうしようもなく運動不足です。
元来の運動不足にコロナ禍がさらに拍車をかけ、外出の頻度も減りました。さらにはリモートワークの導入により、今思えば身体にある程度の負荷をかけることができていた通勤時間も生活の中から消えて無くなりました。
満員電車による通勤それ自体は無くなってくれて大いに結構で、いくら多少エネルギーを消費できるからといって、あったほうがいいというものでは決してありません。ですので、リモートワークの導入自体は大歓迎。問題は、能動的な運動によってしかエネルギーを消費し得なくなっている現状です。
それはそれとして、年が明けようとしています。私の20代ラストイヤーが幕を開けました。
30代の自分に健脚を贈るため、ここから1年で東海道五十三次を徒歩で制覇してみようと思い至りました。
ただ運動量を増やしてもいいのですが、私の好きな地図・歴史・旅行と組み合わせて楽しく歩くほうが長続きしそうだし、距離にして495.5kmを歩くという目標があれば、この上ないモチベーションになるのではないかと考えました。
東海道五十三次とは
東海道五十三次は、江戸時代に整備された五街道の一つである東海道に設けられた53の宿場のことを指します。江戸・日本橋から小田原、駿府、浜松、宮、桑名、草津を経て、京都・三条大橋まで至ります。歌川広重の浮世絵でも有名です。
五街道整備への着手と宿駅制度については割愛しますが、めちゃくちゃ端的に言えば、長い距離の道を効率よく往復するためのものであり、幕府としても全国支配のため主要街道を取り締まりたいという背景から整備されたものであると理解しています。
歩く
この東海道五十三次を何日もかけて一気に歩き切るほどには、時間の融通を効かせることができる立場にありません。よって、週末を利用して少しずつ歩を進めていくこととします。
また、ただ歩くだけではなく、道々の名所や名物を余すことなく堪能し、東海道のすべてを味わい尽くそうと思います。
日本橋
長い旅路のスタート地点、日本橋。日本橋麒麟像をひとしきり眺めたのち、東海道歩きの旅がスタートしました。
普段家の周りを散歩している感覚から、1日に歩ける距離の限界はだいたい20kmくらいと目星をつけていました。そのため初日は日本橋 - 品川宿 - 川崎宿と歩いて京急川崎駅でフィニッシュする予定を立てました。ガイドブックによると合計で17.7kmで、朝10時にスタートしてダラダラと観光・休憩を挟んでも日没前16時くらいには川崎に着くだろう、と、この時はそう思っていました。
日本橋はまさに日本のど真ん中で、東京のど真ん中でもあります。めっちゃ都会です。日本橋 - 品川宿の間に徒歩で通過する道は、鉄道の駅で列挙すれば、日本橋・京橋・銀座・新橋・大門・三田・泉岳寺・品川・北品川といったところです。地下鉄やJRの路線も数多く、今も昔もここは都心の大動脈区間であるといえます。
この区間は名所らしい名所は少なく、なんらかの発祥の地が点在しています。東海道あるある「なんらかの発祥の地ありがち」
品川宿
東海道新幹線をよく利用する方は、東京駅ではなく品川駅で乗降する方も多いのではないかと思います。私自身も西方面への旅行や帰省の際には品川駅をよく利用しています。
のぼり東海道新幹線で品川駅付近に至ると、都会のビル群が出迎えてくれます。上京前は、岡山から東京に来るたびにそのビル群にそわそわして「東京に着いた!」という興奮を感じていました。上京してからは、「東京に着いた…」と旅の終わりを嘆くような、翌日からの日常の再開に絶望するような感慨を抱くようになりました。
「お江戸日本橋」という唄で、日本橋を七つ立ちして高輪で夜が明けるという節があります。
高輪のあたりにある高輪大木戸跡が江戸の南端だと考えると、品川宿まではそこからわずか1kmちょっとの距離です。
昔の人も、品川を事実上のスタート地点としたような感覚があったのかもしれません。
未達・川崎宿
このあと蒲田のあたりで日が暮れてしまい、足の疲労も相まってこの日はギブアップすることにしました。道中の観光や休憩で時間を使ったとはいえ、予定していた距離を4kmほど残しての日没です。ショックです。
AppleWatchの距離計をみても20kmをとうに越しており、日本橋 - 川崎宿まで17.7kmなのになぜこんなに歩いてるのか、なぜこんなに時間がかかっているのかわからないまま、満身創痍で京急蒲田駅からエスケープしました。
京急快速
予定していた川崎宿まで到達できず、負け犬と成り果てた私は、京急快速の中で「なぜ予定通りに歩けなかったのか」を考えました。負け犬のくせに快速に乗っています。
たしか事前に調べた距離だと、日本橋 - 品川宿は7.9km、品川宿 - 川崎宿は9.8km、合計で17.7kmだったはずです。しかし、実際にGoogleMapで徒歩経路を表示してみると、20kmを超えていました。
ここであることに気づきました。品川宿、めちゃくちゃ縦に長いな、と。
品川宿自体が2km以上あるように見えます。もしこれがガイドブックなどの距離に含まれていないのならば、今回の誤算も納得できます。
調べてみると、各宿場には江戸方面と京方面それぞれに見附があり、江戸方見附・京方見附(上方見附)と呼んでいるそうです。見附とは見張りの番兵をおいた軍事施設で、赤坂見附や四谷見附などの江戸城三十六見附が馴染み深いものですが、宿駅の両サイドにも門のように見附が存在するというのです。
この見附間の距離が宿駅の幅といえるものですが、これがガイドブックなどの距離には含まれていないように思います。
つまり、事前に私がイメージしていた予定コースの距離はこうでした。
しかし、実際の距離はこうです。
これが真実なら、仮に全ての宿駅の幅を2kmと仮定すると、これから歩こうとする距離は全長495.5km + (2km x 53次) となり、600km近いのでは…?恐ろしいことです。
私たちには京急快速がありますが、江戸時代に京急快速はありません。日が暮れる前に次の宿駅に入らなければ、山賊に襲われてしまうか、宿なく野垂れ死んでしまうところでしょう。昔の東海道の旅は相当に危険なものだったということを改めて認識することになりました。
次は川崎から、ではなく京急蒲田から再開したいと思います。今度は宿駅の幅も考慮して計画を立て、予定通りに歩き終えたいところです。私は藤沢市在住なので、小田原あたりまでは日帰りでスイスイと進めることができそうです。
京三条大橋に到達し、必ず健脚を手に入れます。
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