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夢を記述するとは

しつこいが夢を記述するとは、言うまでなく目覚めたときの意識をもって、睡眠時の夢の世界に身をかがめることである。
しかし言葉に書こうしたとき、夢はすでに変容してしまっているが、このような記述を繰り返すことによって、夢はしだいに現実の生の領域である昼間の意識を占領しはじめる。

夢をみるのは結構脳を疲弊させる
であるから毎日みるのは、正直辛い
昔は毎日の様に夢をみたものだ
しかし
最近はたまにしか夢をみなくなった
睡眠時にみる夢は、自由を希求し自由を己の快楽とする空想とはおおいに異なり、僕たちをいきなり限定された時空へと連れ去り、封じ込めてしまう
壁に突き当り、押し戻され、地上をころげまわる自己の存在を凝視し続ける作業には、終始なんとも言えない薄気味悪さか幸福が伴う
しかし、夢をそのまま言葉にすることで、開放感を得るのは稀であると想う
しかし、夢を作品化する芸術には、夢はおおいに役に立つ
それと同時に現実の己の心の中の空想も補強していくことも大切であり、あらゆる電波を日頃から駆り立てる必要性を感じる
良くも悪くも
しかし、余り電波も張り巡らせる作業は、身体を疲弊させる行為にも繋がるので、電波を張り巡らせ過ぎず適度に使えば良いのだろう

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