原田雄次+新本直登

原田雄次:瀬戸内(神戸)生まれ、横浜で学び、南米チリでの修行を経て、現在東京をベースに…

原田雄次+新本直登

原田雄次:瀬戸内(神戸)生まれ、横浜で学び、南米チリでの修行を経て、現在東京をベースに活動する建築家 。原田雄次建築工藝主宰。 新本直登:忠海生まれ、忠海育ち。忠海の人と町のために日々活動。大久野島のガイドや被爆体験伝承といった広島の戦争体験を伝える活動も行っている。

最近の記事

忠海ワークショップ2022スプリング

    • 忠海集学校計画案

      2022年3月に忠海ワークショップ2022スプリングとして忠海集学校の第2弾の施工ワークショップが開催予定であるが、そこでの制作予定物及び全体計画を紹介しようと思う。 <忠海集学校計画模型写真> 私が担当しているのは校庭に面した校舎南側1階部分(旧職員室・校長室・アクセス通路)および中庭である。計画はこの忠海東小学校を再生するにあたり、どのようなストーリーを描くかというところから始まった。廃校になってからも二窓の新明祭が行われる地域住民憩いの校庭、そして新しく忠海集学校と

      • 忠海ワークショップ2021サマー_完成編

        面のパーツが組みあがったところで設置場所へと運び、組み上げていく。作業中に何人かの地域の方が物珍しそうに声をかけてくださったが、「新明さんのお神輿の作り方を参考にしているのです。」と答えると、皆どこか誇らしげな表情を浮かべていた。 <組み立てプロセス> <組み立てプロセス> <地域の方からの差し入れ> <組み立てプロセス> <祭や地域のよろづ事を中心に活動する二窓「ざこの会」メンバー> 作業終盤に台風14号直撃の災難にも見舞われたが、幸い一晩の間に駆け抜けていった

        • 忠海ワークショップ2021サマー_制作編

          忠海集学校ワークショップ第1弾は2021年9月に行われた。コロナ第5波の影響により当初よりも参加者数は制限されたが、横浜国立大学、広島大学、近畿大学(広島キャンパス)からの学生の協力の元、実施された。 ワークショップ第1弾としてまずは計画の一部分を実験的に制作することとなった。そもそもこの廃校リノベーションプロジェクトを地域や学生を巻き込んだワークショップ形式にしようと考えたのは、この忠海町の二窓(ふたまど)エリアで400年前から行われている伝統の火祭り「二窓の新明祭(通称

        忠海ワークショップ2022スプリング

          吉田屋トーク vol.1 開催

           午前中の大久野島ツアーの後は今回のリノベーションワークショップの敷地である忠海集学校こと旧忠海東小学校を視察。地域の人も交えながら小学校の1階から3階、中庭まで見て回る。その後トークイベントの会場である吉田屋へ。  これまで吉田屋は地域の集会所的な役割を果たしてきたが、こうして私を含めた地域外の人間が主体的にイベントを開催するのは初めてだろう。吉田屋の活用法の拡張の第一歩である。  今回のトークにはこれまで、そしてこれからの忠海に関わってゆく4人のスピーカーが登壇した。

          吉田屋トーク vol.1 開催

          大久野島ツアー

           6月12日の記念すべき吉田屋トーク第1弾の前に、8月の忠海東小学校の自主施工のワークショップに向けての顔合わせも兼ねた大久野島ツアーを刊行した。朝9:00忠海港のフェリー乗り場集合。碇社長をはじめとするリングローメンバー、代表の城本さんを中心とする広島学生団体scaleのみなさん、そして普段から大久野島のガイドも務められている新本さんと私でフェリーに乗り込んだ。  島の第2桟橋に降り立つと、いつも通りウサギたちが駆け寄ってくる。コロナ以降に大久野島にやってくるのは初めてだ

          吉田屋トーク vol.1

          6月12日(土)の16時から今進めている忠海の吉田屋で 関係者を交えてトークをすることになりました。 吉田屋トーク vol.1「吉田屋から 忠海・大久野島から未来を考える」 吉田屋は広島県竹原市忠海にある地域の古民家です。 2019年の大久野島未来づくりワークショップや2021年のリングローさんによる忠海東小学校の再活用(おかえり集学校プロジェクト)など、近年大久野島・忠海地区は次なる未来に向けて歩みを進めています。 そうしたまちの状況について、IT企業・起業家・コミュニ

          吉田屋トーク vol.1

          竹原市長にご相談

          3月中旬のことになりますが久しぶりに忠海に行ってきました。今回の目的や吉田屋での活動や旧忠海小学校への関りを多くの人に知ってもらい、今後の活動展開のアドバイスや協力者を募ることであった。  まずは忠海町が属する竹原市の今栄市長に新本さんと一緒にお会いして吉田屋の活動や今後の方針を相談させていただいた。活動への興味や理解はいただいたが、持続的な運営の難しさなどを指摘され、今後の課題が具体的になってきた。 こうして模型を囲んで話すとより具体的なイメージを共有しやすく、有意義な

          竹原市長にご相談

          大久野島との出会い

           大久野島は忠海の対岸に位置し、一周約3kmの小ぶりな島である。この島を世間的に有名にしているのは「ウサギ」と「毒ガス戦争遺構」である。 <発電所跡_1940s> <火薬庫跡_1920s>  戦争遺構は古くは1900年代の日清戦争の時代から要塞として用いられ、その後太平洋戦争の時には島内に毒ガス兵器工場が乱立していた。現在はそのうちいくつかがそのまま放置され、自然の中に廃墟として佇んでいる。  ウサギは島内に持ち込まれたものが天敵がいない環境下で増殖し、多い時は900

          大久野島との出会い

          旧忠海東小学校、校長室プロジェクト

          <旧忠海小学校で行われる二窓の神明祭(2020)> 忠海東小学校は忠海町の東側の二窓地区に位置し、眼前に瀬戸内海を望む素晴らしいロケーションである。現在は廃校になってはいるが、地域のお祭りである神明さんのお祭りが毎年行われていたり、グラウンドや体育館が貸し出されてたりされ、地域の小学校としての存在感は未だ健在である。また校庭はきちんと手入れされ、外の人間から見ても地域の人々に大事にされている小学校だということが良く分かる。 そして今この忠海東小学校が主に中古パソコンを

          旧忠海東小学校、校長室プロジェクト

          はじめまして。新本直登です。

          広島県竹原市忠海(ただのうみ)。  私は、忠海で生まれ、育ちました。 ふるさとでは、 気がつくと、大切なモノ・コトが、なにげなく葬り去られています。 これを「時代対応」というのでしょう? そして、ご多分にもれず、少子高齢化はどんどん進んでいます。 一方、沖合に浮かぶ「大久野島」は、たくさんのウサギさんで人気沸騰。 外国の方も含めて、たくさんの人たちが、忠海を訪れます。 私たちは、ポカーンと眺めている感じ。そう、ちょっと よそごと。 (最近、コロナ禍でさみしい限りですが)

          はじめまして。新本直登です。

          吉田屋について

           現在活動のアイデアを練っている古民家:吉田屋について。この町家型の古民家は築150年以上とも言われ、残っている古い写真を見ると元々は茶道具や陶器を扱うお店だったようで、「吉田屋」はその時の屋号になります。また前面の道路が埋め立てられるまでは塩田のお堀だったようで、その風光明媚な立地から映画のロケ地としても使われたそうです。  この吉田屋の特徴はその細長い形状かと思います。表通りから座敷①→中庭①→蔵→中庭②→座敷②という構成になっており、敷地内に2つの中庭を有しています。

          吉田屋の、忠海の未来を考える

          東京で設計事務所をしている原田雄次と申します。ちょうど1年くらい前から広島県竹原市忠海の吉田屋という古民家の活用について、地域のキーパーソンでもある新本直登さんと一緒に考え始めました。 私たちは吉田屋を地域の場所として、あるいは大久野島や竹原を訪れる人たちの情報発信の場所になればという思いを抱いてこれから活動していこうと思います。 このnoteでは、忠海生まれ忠海育ちの新本直登と、生まれは瀬戸内(神戸)→南米チリ生活を経て現在東京暮らしの建築家:原田雄次が、内からと外

          吉田屋の、忠海の未来を考える