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インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話7(タイ遍3)

(※今回もほぼ、インド、ナグプールとは関係ありません。)

カンチャナブリからバンコクに戻り、インドのビザをうけとった私は、今度はミャンマー大使館でミャンマーのツーリストビザを取得しました。

確か2日くらいで、出来たと覚えています。

ビザが出来上がるのを待っている間は、カオサンロードに戻り、日本人宿「さくらゲストハウス」に宿をとりました。

ここは前から宿泊費は安いのは知っていましたが、ベッドバグ(南京虫)が出るとかで有名なところでした。 ですが人との交流が恋しくなった私は、ここで泊まるのもやむ無しと思ったのです。


久々に、かつての世界一周の放浪の時のように安いドミトリーに泊まり、そこで出会った旅人たちと交流し、皆と屋台で夜飯を一緒に食べビールを飲んで語らいあったりしました。


でも、新たな出会いも昔のような新鮮味がなく、何故かあまり面白くなかったのを覚えています。 


同じことを何年も繰り返しているようで、俺はいつまでこんなことを繰り返しているのだろうという軽い自己嫌悪がむくむくと頭をもたげてくるのでした。

その時もうすぐ30歳になる頃だった私の周りには、年下のバックパッカーたちばかりが集まっていました。 彼らと話していると元来た道の上にいるような感じがして、新鮮味がなかったのだと思います。

確かに私は旅しすぎだったかもしれません。


長期にわたる根無し草の生活のせいか、彼らには私がかなりのヒッピーのように見えたらしいです。


確かに、ギターを抱え、ひらひらのタイパンツを履き、草履履きの汚い長髪を束ねた姿は完全なるヒッピーでしたが、私は本来「スクウェア」な人間なので、結構意外でした。

「スクウェア」とは、いわば「堅物」ということです。

60年代、ヒッピーたちが伝統的価値観に生きる真面目な人達をそう呼びました。

旅しているときも、一日中ジョイントをまわしあっているヒッピーたちとはあまり気があわなかったので、私はやはり「スクウェア」なのでしょう。



まあ、そんな私でも他の旅人たちの影響を受けないはずがなく、割と真面目な「ヒッピー」たちのように、禅や仏教をはじめ、その他ニューエイジ系の精神世界に傾倒しつつありました。


毎朝瞑想し、それまで好きだったヘビーーメタルから離れ、民族音楽を聞いてみたり、ジョン・レノンやボブ・マーリーの耳心地の良い平和のメッセージに酔いしれ、「愛こそ全て」だという思考が頭の中を占めるようになっておりました。

「聖なる予言」「神との対話」「アルケミスト」「バシャール」などを読み漁り、目に見えない世界や宇宙人、ハイヤーセルフ「偶然の一致」を信じました。 (今も割と信じています)

今思うと、ものすごくふわふわしていて、地に足がついておらず、まったく安定感がなかったです。


私のこの状態はこの後数年続きますが、良い面と悪い面と両方ありました。 


悪い面といえば、一般社会に適応するのが非常に難しくなったことや理性的であることをあまりに軽視するようになったこと、良い面といえば人に優しくなったこと、カルマを信じているので自業自得の考えが強くなり人を責めたり攻撃することが少なくなったことでしょうか。

今はだいぶニュートラルに戻ったのではないかとおもいますが、下手な 精神世界というのはやはり危険だと思います。なので、仏教など伝統的な宗教にはしっかりとした修行体系があるのかなと思います。


無駄話が多くなりました。


ビザは出来上がり、ミャンマーに旅立つときがきました。


出発の日だったかその前の日だったか、同じドミトリーでちょっと仲良くなった、渋谷のアパレル業界で働くギャル系バックパッカーのひろこちゃんに、佐々井秀嶺氏の「闘う仏教」という本を上げました。


「これから、インドで差別に苦しむ人を助けるために活動している日本人の偉大なお坊さんに会いに行くんだ。これはその人のことが書かれている本。 荷物を減らしたいから、この本君に上げる。」


すると少し目をキラキラさせ興味を持ったようだったので、ギャル系が仏教に興味を持つのかと内心驚き、その意外さが、ギャル系にありがちなキツさを和らげた感じがしてちょっと可愛かったです。(ちなみにひろこちゃんはその後結婚したことをFacebook上で知り、ちょっと残念な気持ちになったですよね)


私はその後、片道15000円くらいの飛行機に乗り、ミャンマーのヤンゴンに降り立ちました。

それから私は3週間くらいミャンマーを旅し、祖父の戦跡などを辿りました。 そのことはまた別に書くとして、次回からはやっとインドの話を進めましょうかね。 

続く


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