インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話9
ナグプールの駅に着いたのは、2012年8月下旬のある日の午前の遅い時間だったと思います。
私は、前回の旅で出会った早稲田の学生のO君からもらっていた、佐々井秀嶺氏の拠点であるインドラ寺までの地図のデータを頼りに歩き出しましたが、いざ行こうとしてみると地図があまりに頼りなくて、歩いていくのは諦めました。
オートリクシャーを捕まえて、「インドラ!インドラ!」といってみたり、「ササイ・バンテージ!」などと叫んで連れて行ってもらおうとしましたが、どうやらリクシャーも場所がわからなかったようです。
ちなみに、「バンテージ」とはヒンドゥー語で「上人様(しょうにんさま)」という意味があるようです。
親鸞上人とか日蓮上人のように、仏教における高僧への敬称、称号でもある「上人」という言葉ですが、佐々井師はまさしく、その称号に相応しい人でしょう。
なので皆、佐々井秀嶺師のことを「バンテージ」と呼んでます。
ナグプールの街は、非常に標準的な街でした。 騒音けたたましく、過密な人口の中に蠢(うごめ)く民衆の活気はどこのインドの街とも変わらないものでしたが、カルカッタや、バラナシ、ニューデリーなどのバックパッカーが多い地域と比べても特に特徴も無し。 インド仏教徒の拠点でなければ、来てもたいして面白くもなんともないところでしょう。
また、インド主要都市にはうじゃうじゃいる欧米人のバックパッカーなど一人も見ることなく、おそらく安く旅ができるようなゲストハウスの類もあまりなさそうでした。
リクシャーは、いろんな人に聞いたり誰かに電話をかけながら、どうにかこうにかして、何とかインドラ寺までたどり着きます。
私は、インドラ寺に着くと急にドキドキしてきました。 勝手に佐々井秀嶺師など訪ねて良いものか、迷惑じゃないのか、いきなりそんな心配をするようになったのですが、もういくしかありません。
しかし、インドラ寺には佐々井師はいないようでしたので、そこにいる世話人だったか近所の人だったかが、別のところへ行けというので、リクシャーは今度は別のところに私をつれていきました。
そこが、いわゆる「(通称)ゲストハウス」でした。 佐々井師を訪ねてくる来客用の宿泊施設です。
そこでは、数人のお坊さんや世話人のような人が出てきて、私を快く迎えてくれました。
そして、中でも一人色の真っ黒な精悍そうな、英語をよく話す若い坊さんがおり、こう言います。
「佐々井バンテージは今、ナグプールにはいない。 1週間くらい戻ってこないからそれまでここにいろ。 8月30日が佐々井バンテージの誕生日で、パーティがあるから、それまでには戻ってくるはず。」
彼は、岡山県のある禅寺で修行をしているインド人僧で、一時的にナグプールに帰ってきている坊さんでした。 彼の名はPrajna Bodhi (プラジュニャ・ボーディ)。
「日本語では『菩提・般若(ぼだい・はんにゃ)』です。」
と彼が急に日本語で喋り出したとき、思わず吹き出しそうになった。
と同時に
「すげえ名前だな〜」
と思い、実際彼にそう言ったのを覚えています。
私はサンスクリット語の知識はありませんが、Prajna(プラジュニャ)の意味は仏教でいうところの「智慧」を意味し、つまり「全ての事物や道理を明らかに見抜く智慧」ということ、「Bodhi(ボーディ)」とは「悟りの境地、仏の智、極楽往生して成仏すること」の意味です。
このPrajnaを古代中国人が音訳したのが「般若(はんにゃ)」であり、日本で1番有名なお経ともいえる「般若心経」の「般若」も、あのおぞましい般若のお面の「般若」もこのPrajnaです。
そしてBodhiを音訳したのが「菩提(ぼだい)」ですが、菩提寺とか菩提樹とか言う言葉を聞くことがあると思いますがその「菩提」のことです。
仏教者はこの「Prajna(般若)」、「Bodhi(菩提)」を目指して修行をすると言っても言い過ぎではないと思いますが、その言葉がそのまま名前になっていることに恐れ入りました。
とにかく、佐々井師はしばらく帰ってこない。
とにかく待つしかないのかと思いつつ、仕方ないと少し諦めて、ゲストハウスに滞在させてくれるというので、ここにて待つことにしました。
夕方には、インドラ寺でのお勤めに参加し、ナグプールの信者たちがお経を読んでいるのを瞑目しながら聞き入るだけでした。 ときおり、チベットの観音菩薩の真言「オンマニペムフム」とか日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」とか聞こえてくるので、いろんなものがミックスになっていて面白い。
パーリ語の三帰依文
「ブッダン サラナン ガッチャーミー、云々」
と唱えるのも聞こえ、これもタイの寺やヴィパッサナー瞑想で聞いたことがあったので懐かしかったです。
初日は何をしたか覚えておりませんがたしか、夜は信者さんがご飯を供養してくれ、その後はさっきの菩提般若さんと話したりしたくらいでその日は終わったように思います。
続く