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インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 4

続きから


私が佐々井秀嶺という人を知ったのは、2009年のこと。

当時、世界一周の旅をしていた私は、インドのチベット亡命政府が置かれているダラムサラという町で、O君という早稲田大学の学生と仲良くなりました。

私たちはよく「ルンタ」という日本食レストランに入り浸り、そこに置いてある仏教関連の本を読んだり、色んなことを語らいあっていたのでしたが、彼はあるときこう言うことをいうのです。


「タクさん、佐々井上人って知っていますか? インドのナグプールというところで、アンタッチャブルス、つまり不可触民と呼ばれるカーストにも入れない最下層の人達を仏教徒に改宗させて、差別解放運動をしている人がいるんです。 僕、ラダック(カシミール地方にあるチベット文化が今尚色濃く残る地域)に行った時に、佐々井上人のところで半年くらいお手伝いしていたという人と会ったんですよ。」


私は、そのような活動をしている日本人がいるということを、旅の前、日本の本屋でみつけた本で何となく知っていました。

たしか「男一代菩薩道」という本だったと思いますが、ど偉い日本人がいるもんだなあ、インドに行ったらそのような人とお会いしてみたい、そんなことを思ったのを覚えています。

ただ、その人が「佐々井秀嶺」という名前だということなどは知りませんでした。


O君は続けます。

「アンベードカルという、不可触民出身の政治家でインド憲法の起草者が、数十万人の不可触民の人達とヒンドゥ教から仏教に改宗したんですけど、佐々井上人はそのアンベードカルの意志を継いで、インド新仏教復興運動を起こし、差別解放運動を闘っているんですよ。」

「今ではインドで一億人くらい仏教徒がいると言われていますが、そのリーダーが日本人なんですよ! メチャメチャ凄くないですか!? 」

「ガンジーとか、マザーテレサ、キング牧師と匹敵するか、それ以上のことをやってるんですよ! それが日本人なんですよ! 」


O君は興奮気味に話していました。

その頃、自分の拠り所になるものが欲しかった私は仏教にのめり込んでいく最中のことでした。

日本の仏教の坊主が、仏教発祥の地インドの仏教復興運動に身を捧げ、しかも数千年続くカーストの軛(くびき)から不可触民を解放するべく闘争を繰り広げているというのを知って、猛烈に感動したのを覚えています。

その間、佐々井上人にお会いしたいと思っておりましたが当時はあまりにも佐々井師に関する情報が少な過ぎた。

今と違い、インターネットはどこでも使えるわけではなく、スマートフォンなど出ていない状況でしたし、またインドではWIFI環境が限られてましたし、ネットにもたいして情報が載っていない。

それにインドですので、日本の書籍はなかなか手に入りません。 また当時の私は英語もたいして話せず、英文をちゃんと読めるほどの英文読解力にも乏しかったので、英語での情報収集もできません。 ましてやヒンドゥー語は全くです。

かろうじて、ブッダガヤの日本寺の図書館でいくつか日本の文献を見つけましたが、それらを読み解く時間もあまりなく、結局私は佐々井上人のことをあまり知ることができず、その時のインド滞在中にナグプールに行くことを断念しました。

「まあ、またインドに来たら良いだろう。 しっかりとした情報を収集して改めてまたインドに来よう」

そう思い、インドを後にしました。 2009年の11月くらいのことだったと思います。

続く

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