インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話7(タイ遍2)
続きから
ワット・スワンタワナーラームには5日程いたでしょうか。
中には私以外の日本人もおりまして、その方は名前は忘れましたが真言宗のお坊さんでした。
元警察官の方で、人助けをしていきたいという思いがずっとあったことから、警察を辞めて坊主になった人です。
私のように半分旅行できているのではなく、数か月みっちり修行に来ている人でした。
アキさんは彼の事を
「ボディサットヴァ」
と呼んでいました。
大乗仏教では「悟りの世界へ行かずこの世にとどまり衆生を救うための救済活動に邁進する人」のことを「菩薩(ぼさつ)」と呼びます。
「菩薩」は「菩提薩埵(ぼだいさった)」という言葉を短くした語であり、サンスクリット語の「ボディサットヴァ(bodhisattva)」の音訳です。
つまり、人助けをするために真言宗のお坊さんになったこの人のことを、アキさんは
「菩薩 (ボディサットヴァ)」
と呼んでいたのです。
大乗仏教は、「己の悟り」よりも「衆生の救済」を重視する宗教といって良いでしょう。
なので、特に日本では、「困っている人がいたら一緒に酒を飲んで励ましてやることも菩薩行」、だとかいって坊さんも酒を飲むことも止む無しとするのです。それが良いのか悪いのか私にはわかりません。
タイではまずこんなことはありえないでしょう。
とにかく、この坊さんは人助けの為にお坊さんになった、正真正銘の大乗の徒なのでした。
前々回ここに来た時アキさんが言っておりましたが、この寺に来る日本人は前世チベットの坊主だった、だから皆ここに集まり修行をするのだと、霊感のある日本人の尼さんがそう言い残して帰っていったらしい。
ならばこの坊さんも、過去世はチベット人だったのか!? だから同じ密教である真言宗を選んだのではないか、などと考えました。
ちなみに、私がアキさんに、「うちの家系は浄土真宗にも関わらず、何故か小さい頃から真言密教・修験道のお寺にいってたんです」と話したら、
「だから、お前は前世はチベット(密教)の坊主だったんだよ。だから密教と縁のある家に生まれたんだよ」などと言われたことがあります。
私はそれを完全に信じているわけではないですが、まあそれもありえると考えるとなかなか面白い。
ちなみに、私が来る前に、日本の臨済宗の人がここにいたらしいです。
その人のお寺というのが、禅宗にしては大変珍しい不動明王が本尊の禅寺であったそうな。
不動明王というのは基本的に密教のお寺でしか祀られませんが、ここに修行にきた禅宗の人の守っているお寺が不動明王を祀っている。
禅で出家したにもかかわらず、不動明王の供養をせねばならなかったのは、その人の前世が密教の坊主(チベット密教)だったからかもしれない、私はそんなことを考えておりました。
なんとも不思議なお寺です。
私は、5日目の朝にこのワット・スワンタワナーラームを出ました。インドビザがもうすぐ出来上がる頃でした。
ここに来る前は酒に堕ち、女にフラれそうで気分は何だか最悪でしたが、ここでのアキさんのレクチャーと祈りと瞑想に日々によって蘇りました。
アキさんは、カンチャナブリまで帰る信者さんの車に私を乗せていくよう手配してくれ、私はその車で寺を出発しました。
アキさんは最後まで私を見送ってくれましたが、私が見えなくなるまで、鼻の所に指をやり水平にして、その指を上下に動かしています。
「アーナパーナサティ、『呼吸』に常に気づき意識することを忘れるなよ」
ということです。
その時の姿が印象深く、「呼吸」を常に意識することは、アキさんからの教訓だと受け止め、今でも常々意識するようにしています。
この寺の滞在以降、「思考」、「言葉」、「呼吸」に気を付けるようになった私は、完璧にはできないにせよ、ネガティブな思考をしないように気を付け、ネガティブな言葉を極力吐かず、また長く深い呼吸を意識するようになった。
よく人やテレビやニュースに向かっては「死ね」とか「消えてしまえ」とか、「クソ」とか吐き続けていた私でしたが、この時以来、かなり性格が良くなったような氣がします(笑)
これも、アキさんのお蔭だと思っています。
私はカンチャナブリでバスを乗り換え、バンコクに戻りました。
タイの話はもう少しだけ続きます
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