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制作日記「顔だけ候補イケザワ掲載。」

2023年1月19日(木)ジャンプ+アプリにて加藤航平先生(@ktktkatoko)原作「顔だけ候補イケザワ」が公開されております。
私が作画を担当しました。
無料で読めますので、是非読んでください。

熱筆しました。



まさかジャンプ(プラス)に自分の漫画が載る日が来るとは思ってもみませんでした。

90年代ジャンプ600万部時代に少年期を過ごした者にとって、ジャンプは特別な存在であり、僕も多分に漏れずそうなのですが、その上僕の場合、「漫画家になりたい」と思ったキッカケが「ドラゴンボール」であったり、「幽遊白書」であったりするわけですから、そのジャンプへの憧れといったら並々なものではありません。

しかしいざ漫画家への道を一歩踏み出すと、一読者であった時のようにジャンプに対して「憧れのまま」というわけにはいかず、今はどうか知りませんが、特に20年ほど前までは「25歳までじゃないとジャンプでは連載できない。」とか「ジャンプに行くと目の大きさまで指定される。」とか「ジャンプに行くならジャンプでしか描かないという覚悟が必要」といった噂がまことしやかに囁かれていて、僕としても「どうやらジャンプは一味違うみたいだぞ…」と思っていました。
その昔、実際に思い切ってジャンプに持ち込みに行ったこともあります。

まだ20代前半だった僕は破裂しそうな心臓を抑えながら、集英社の前に約束の時間15分前に到着して、イヤホンで「チェインギャング」を聴きながら戦意を高め、その建物をじっと睨みつけ、5分前に受付して待合室で待ってたのですが、編集者は一向にやって来ず、やってきた頃には約束の時間を30分も過ぎていて、その編集者は無愛想に僕の原稿を手に取ると、ペラペラと3分で読み終わり、「これで終わり?あとはない?」と言って、先に立ち去られた時に、「ああ、おれにはジャンプはないんだな…。」と強く思いました。


43歳(画業17年目)からのジャンプ+デビュー。

思い出話が長くなってしまいましたが、制作日記です。
そんな思い出しかないジャンプの編集者さん(もちろん20年前の持ち込みの編集者とは違う方です。)から去年の春先にTwitterのDMが来たものですから、僕は完全に目を疑いました。

「ジャンプで読切掲載を狙っているのだが、作画を吉田さんに依頼できないか。」とのこと。

「なぜ?おれ(当時42歳)に?」

しかもその編集者のTwitterアカウントのアイコンがいわゆる「たまごアイコン」と呼ばれるデフォルトのもので、プロフィール欄には「仕事用アカです。」と一言添えられているだけ。フォロワーも30人くらいしかいないので、「これは完全に偽物だな。」と思いました。
しかし偽物だとしても何のために僕に「作画依頼」をしてくるのか。
あとで金品を請求してくるのか、漫画を描かせて転売しようとしているのか、それともぬか喜びさせて陰で笑い者にするのか、すっかり漫画界一の人間不信になっていた僕はあれこれと思案しましたが、「最終的に金を請求された時点で手を引いても遅くはないだろう。」と判断してひとまず詳細を聞いてみることにしました。


ミッション1「キャラ表」

「今はまだ掲載が決まっているわけではなく、吉田さんにキャラ表を描いてもらって、それで会議にかけて通れば掲載決定。」とのこと。
僕は送られてきたネームを読んで、キャラ表を描くことにしました。(何らかの詐欺だとしてもキャラ表ぐらい描いても致命的な損害はないだろう。)
そして描いたキャラ表がこちらです。

テーマは「イケメン」
しかし本当に「夜神月」のようなイケメンを描いた方がいいなら、僕に依頼がくるはずがありません。僕にテクニックはない。
ならば最低限「キャラの見分け方が分からなくなることだけは避けよう。」と思いました。
主人公池沢面太郎は白っぽい髪。妖志 あやかしくんは逆に黒髪。怪しいキャラなので片目を隠す。これで読者が「どっちがどっち?」と間違えることはないでしょう。
木綱聖きづなひじりは女性キャラなのだけど、特別可愛かったりセクシーだとストーリーの邪魔になるので中性的にした方がいいなと思いました。なのでスカートではなくパンツルック。個人的に好きなニガミ17才の平沢あくびさんを参考に描いてみました。
(しかし今キャラ表を見返してみると、池沢面太郎はなんか普通の人ですね。)
送って待つこと1ヶ月。会議に通ったとの連絡が来て、一度原作の加藤さんを踏まえて打ち合わせしましょう。ということになりました。
「ん?偽物だとしたら会うはずがない…。もしかして本物なのだろうか。いや、でもたまごアイコンだし…」とまだこの時も思っていました。


ミッション2「打ち合わせ」

集英社は20年前持ち込みした時の場所にはなく、新しいビルにお引越ししていました。
編集者さんと原作の加藤さんにご挨拶をしてお話したところ、加藤さんは何と僕の「やれたかも委員会」のファンで、書籍化のクラウドファンディングをした時に出資してくれていたとのことでした。


確かに2巻の巻末にお名前が!持ってる人は確認しましょう!

クラウドファンディングしたのは2018年ですから5年前。
それから加藤さんはジャンプに持ち込みして、漫画原作者になり、私に仕事を振ってくれたとのこと。
クラファン参加までしてくれて、仕事までくれて、しかもそれがジャンプ。。。
持つべきものは将来有望なファンです。
編集者の方には今日会うまで完全に偽物だと思っていたこと、「昔持ち込みに来た時に30分遅れて3分で帰られたことがある。」という話をしましたが、ややウケ(苦笑い)に終わりました。
打ち合わせの中で池沢面太郎は実際にかっこいいわけではなく、「記号としてかっこいい方がいいのではないか。」みたいな話になり、加藤さんと編集の方が「例えば〇〇とか〜、〇〇とか〜(多分ジャンプ作品のキャラ)」と例えを出してくださるのだが、浅学とジェネレーションギャップがあり、例えがことごとくわからない。しかしさもわかってるような感じで相槌を打ち、「ちびまる子ちゃんの花輪くんみたいな感じですかね?」と質問したら「そうですね!それもいいかも!」と言っていただけたので、自分の中で面太郎の方向性が決まりました。
「やり過ぎた花輪くん。」

そんなこんなで依頼は本物であったことがわかり、作画を正式に引き受けることになったのですが、「笹高コスメ部」の月刊連載があるので月に8枚くらいずつ描き進めることになりました。全67ページ。結局年末ぐらいまでかかったので、最初の方のコマと最後のコマでは最大8ヶ月くらいの間があり、最後にそれを手直ししたりして、時間かけるのも結構大変だなと思いました。
さらにその間に安倍元首相が暗殺されたり、旧統一教会の問題が出てきて、「政治と宗教」の問題が急速に立ち上がってきて、「今アップできたらいいのになー。」とスケベ心が出たりしましたが、とにかく手を抜かず淡々と描き進めることに注力しました。


最終的な感想

そんな感じで完成して、ジャンプ本誌に予告が載った時は流石に嬉しかったです。

うれしくてパシャリ

しかしもう僕はすっかり大人なので、ジャンプに載るという淡い夢が叶ったことよりも、単純にお仕事が頂けたこと、その上、原作者の方から「吉田さんに描いてほしい。」と言っていただけたことの方が何倍も嬉しかったです。
加藤航平先生の「イケザワ」は絶対僕には描けないストーリーだし、こういう真っ直ぐなことが描けないから、今ひとつメジャーに行けないのでは?、なんて考えたりとても勉強になりました。
完成品を見ると「もっとこう出来たんじゃないか。」と思うこともないことはないですが、ひとまずいい感じに完成したので、本当に良かったと思います。
そして僕が少年期に全盛だった「週刊少年ジャンプ」が今も業界の第一線であることにただただ尊敬します。
というわけでまだの方はぜひお読みください。
そんな感じの制作日記でした。
ではでは。

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