見出し画像

生まれ育った街をぶらり・・・その2

深川を代表するもうひとつ 成田山不動堂東京別院

画像1

前回のNOTEで ご紹介しました 富岡八幡宮 その すぐとなりにあります 成田山不動堂東京別院 地元では「お不動様」という愛称で呼ばれることも多い場所で 吉田家の初詣は 八幡様とお不動様のダブルヘッダー この2箇所を回るのが元日のコースでした
正面にあるのは 旧本堂 その奥にそびえ立つ建物は内仏殿


画像2

そしてひときわ目立つのが 梵字で囲まれた 本堂 ですね 詳しくはリンクで見ていただくとして この中にはクリスタルの なんちゃらがあったり・・・ まあ 歴史あるテーマパークかと?自分は思っております(笑)

石造灯明台

ひっそりとですが この不動堂の隣に石造灯明台があるのを知らない方も多いんじゃないでしょうか?

画像3

これ 文化財らしいです 自分もなんかあったなあ 程度しか思っていなかったんですが調べてみると歴史的なものだったんですねえ・・・

画像4

そしてもうひとつ

画像5

日進日露戦争の戦没者慰霊碑です 戦争=第二次世界大戦 という感覚が多いですが その前にも戦争の歴史がありましたね 石碑って後世に残すものとしては非常に有効な手段なんだなあ って最近思います いつも反戦を思っていようとまでは言わないですが 戦争があった歴史をたまに思い返したり勉強したりするのは悪くないと思いますね

深川公園

画像6

画像7

先程の灯明台や戦没者の石碑が建っているのもこの公園内です そして 寛少年の小学校時代の遊び場でもあります 
何気なく遊んでいた公園ですが 日本で最初にできた いくつかの公園のうちの一つらしいです 
以下 別サイトから引用

辰巳新道

画像8

深川公園のすぐ近く 赤札堂の前から伸びる小道 「辰巳新道」です 地元で50年おりますが あまり飲み歩く感じではない自分は いまだに足を踏み入れていないところです 今でも昭和で時間が進んでいる感じがします

八幡堀遊歩道

ここまで門前仲町界隈を紹介してきましたが 今度は八幡様の東側にある遊歩道をご紹介します

画像9

画像10

以前の記事にも書きましたが江東区は以前 運河(堀)だったところを公園や遊歩道にしているところが多いです ここもその一つ 正面に見える錆びた橋は「八幡橋」です 歩行者専用橋で 自分の小学生の時の通学路でもありました
ちなみに この橋は歴史的にも貴重なものらしく 都内で最古の鉄橋だそうですよ・・・

そして この八幡堀の途中に展示されているもう一つの橋があります

新田橋

画像11

画像12

無造作におかれたこの橋 新田橋と言いまして 木場5丁目にあったんです

画像13

この橋は現在の新田橋 幅が広くなった歩行者専用橋なのですが これの前にかかっていたのが先程の写真の橋だったんですね
自分が幼き頃は 幅の狭い橋だったこと記憶にあります
なぜ新田というかというと この橋の近所に地元の開業医で新田先生とおっしゃる方がいらしたそうです うちの祖母は かかりつけ医だったと聞いております とても良くしてもらっったようで その評判も高く橋の名前になったと聞いております

画像14

八幡橋の下にはこんな場所も・・・

画像15

お休み中でしたので そっとしておきましょうね!

画像16

この下町は 昭和20年3月10日 東京大空襲によりおおくの方が亡くなられたと小学校の社会科の地元史で習ったことがありました 個人でもその歴史を伝えるためお地蔵様を建立されている場所があります・・・これもまた一つの歴史です

プラモデルに熱中した少年時代

画像17

うちの近所には2軒の模型店があり いまでも営業されています(コロナの影響で時短や営業休止中ではありますが)
あの頃は ガンプラ(ガンダム)派 と 戦艦派 がうちのクラスにはあり 自分は戦艦を多く作っていましたね ゲームよりもプラモデルに熱中した時代でした 多分細かな作業のルーツはそこから来ているのかもしれませんね プラモデルもまた自分のルーツのひとつです

歴史と現代の融合

画像18

古い商店のシャッターが閉まってしまうのは寂しいものです その街には大きなマンションができたりもします 街は生きているそんな気がします

橋ってかっこいい

画像19

江東区は運河の街なので橋は数多くあります そして 形も様々 一度別の機会に橋の特集をしてみようかな・・・

わが街の風景はいかがでしたか?とても魅力的な場所があちこちにあります そんな 下町を自転車で走ってみませんか?

本日も長文 最後までお付き合いありがとうございました

よろしければサポートお願いいたします 今後の活動資金に使います