刑務所と梅

ブラタモリ仙台編では伊達政宗が晩年を過ごした若林城をタモリさんが訪問している。
城跡は現在、宮城刑務所になっているため普段は入ることが出来ないが、年に一度、矯正展の日は刑務所内の見学が一部可能だ。
庭には政宗が朝鮮出兵の際に持ち帰ったと言われる梅が植えられているので、刑務所内の見学と梅を見に矯正展に出かけた(2019年)。

矯正展は受刑者が作った家具などが展示即売され、和太鼓演奏やチアリーディングなどが披露され(受刑者の方々ではない)、出店もあり町内のお祭りのようだった。

施設見学ツアーに参加では、スマホやカメラ、ライターなどはビニールに入れ口を結ぶよう指示された。
よく事故現場で見る、危険!立ち入り禁止、と黒文字で書かれた黄色のテープが巡らされていて、刑務官から
「この虎テープには入らないで下さい」と説明を受けた。
虎テープという名前だと初めて知った。

まずは受刑者が普段、木工品を制作している工場見学。
壁に今年度の目標額が貼られていた。
おそらく製品の作製数目標を金額に換算したものだと思うが、横には月次目標額と実績の棒グラフも貼られていて、まるでどこかの営業所のよう。
どの月も実績が目標を上回っており何故か安心した。

次は浴室。広い銭湯のようだ。
週2回の入浴で時間は15分と限定されている。
ドリフターズの歌を口ずさむ暇はなさそうだ。

そして政宗が朝鮮から持ち帰ったという臥竜梅と対面。
タモリさんがこの木の前で記念撮影していたので、私も撮りたいところだが所内は撮影禁止なので断念。

最後に受刑者の今朝の朝食が飾られていた。
ご飯(米、麦7:3の割合)、味噌汁、一握りの鮭フレークと味付け海苔だった。
好きなものを食べる、ゆっくり風呂に入るというのは本当に幸せなことなんだなぁ、と思った。

さて、タモリさんも見た梅は江戸時代の仙台の絵師、菅井梅関が「古城朝鮮梅図」として描いており仙台市博物館に所蔵されている。
菅井梅関は幼少期より画才を発揮、家は商家であったため画壇に入るのが当時は難しかったが、才能を認められ支援者もつき、京に上り技術を習得していく。
上京中、江稼圃という中国人絵師の絵に衝撃に受け、すぐさま会いに長崎に発ったのは
その絵に清廉さを感じたからだった。
稼圃から多くを吸収し、絵の依頼も舞い込むようになり、画壇の中枢として認識され始めた矢先、母の死と家業を継いだ弟の失明の知らせを受け、帰仙。
不本意な帰郷ではあったが、当初は仙台画壇を率いて行く意気があった。
しかし京や大阪と違い絵の需要は少ないうえに、京に上る前からの梅関の支援者達が相次ぎ亡くなってしまう。
そこに天保の大飢饉が追い打ちをかけた。
周囲に理解されない不満、身内や支援者の相次ぐ他界による孤独、経済的困窮の不安。
そういった複数のものが重なったのか、梅関は井戸に身を投げて61歳の生涯を閉じた。
「古城朝鮮梅図」は、こういった背景を知っていたせいもあり、墨で描かれた梅の枝は力強いが生命力溢れるというより、内にある激しさと淋しさを感じさせる絵だった。

「古城朝鮮梅図」や宮城刑務所のことは以前から知っていたが、絵、梅、刑務所、といった無関係の点と点が自分の中ではブラタモリ関連という線で繋がった。
線で繋がると記憶に残るしストーリーも生まれてくる。
ブラブラ歩きながら地形と生活、文化、人を繋げるタモリさん。
ご本人はそのように思っていないかもしれないが、偉大な人というのは、こちらが勝手に色々な妄想を抱かせる許容力を持っているものだ、と思った。


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