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なにげない褒めをずっと覚えている

室木おすしさんのこの漫画が好きだ。

中学生のとき、友達の家にピザポテトを持っていったら友達から「お前まじセンスあるわ」と褒められたことを40代になった今もときおり思い出してはにやけてしまう……という内容のエッセイ漫画だ。

すごくわかる。私も、相手がなにげなく口に出したであろう褒め言葉を、何年もしつこく覚えていることがあるから。

言った本人は翌日にはもう忘れているくらいの、言われた自分だってすぐ忘れるだろうと思っていた、そんな些細な褒め言葉。それを自分でも引くくらい長いことポケットに入れていて、ときおり取り出してはニヤニヤする。その気持ちが、自分の一部を形づくっているような気すらする。

私のそれは、山小屋で働いていたときに後輩のカンジ(仮名)に言われた言葉だ。

最盛期前のある日、私は休暇で麓の町に下りてきていた。同じく休暇だったメンバーと4人で焼き肉を食べに行くことになり、幹事気質のカンジが「気になってる焼き肉屋があるんですけど、今日営業しているかどうか調べますね」とスマホで検索する。その結果、今日はちゃんと営業日だったので一同は安心し、カンジが運転する車で出発した。

そして、カンジが目星をつけていた焼き肉屋に到着。時刻は夕飯時で、ばっちり営業時間内だ。しかしお店の窓は暗く、営業している雰囲気はない。扉には「準備中」の札がかかっていた。念のため車から降りてノックなどしてみるが人の気配はない。どう見ても休業日だ。

車に戻ると、みんなは口々に「なんでだよ、今日は営業日って書いてあったじゃん!」「休業日ならそう書いとけよ」と怒りだした。私はなにげなく「なんかあったのかな?」と言った。

するとカンジが感心したように「あぁ、そう考えればいいんですね」と言った。

「ん?」

「いや、俺らは営業してるはずの焼き肉屋が休業してたら怒るけど、サキさんは怒るより先にまず相手の事情を考えたでしょ? どう考えてもそっちのほうがいいじゃないですか。やっぱり、サキさんって性格いいですよね

人から真正面に性格を褒められたのは初めてで、私は何も言えなくなった。性格がいいだなんて、親にも夫にも言われたことがない。そんなこと、自分では思ったこともなかった。

このときだって、私はたまたま「なんかあったのかな?」と言っただけで、そこまで本気で焼き肉屋を心配していたわけではない。機嫌が悪ければみんなと一緒に悪口を言っていただろう。私は別に、性格がいいわけではない。

だけど、このときたまたま性格がいい人の考え方をした。それを、カンジは見逃さずに拾ってくれた。それが、なんだかとても嬉しかった。

それから6年が経った今も、私はカンジのこの言葉をたまに思い出す。カンジ本人はとっくに忘れているだろうけれど。

この言葉を思い出すたび、私は少し性格がよくなる気がする。カンジが評した通りの人間になろうと、「そっち」に寄せてしまうのだ。つまりは、思い通りにならないことが起きたとき、怒るより先に相手の事情を慮るような人間に。

カンジがなにげなく発した言葉が、私という人間の輪郭を少しだけ変えた。それはきっとめずらしいことではなくて、みんな多かれ少なかれ、誰かの小さな褒めに影響を受けているのだろう。

意地の悪い考え方をしてしまいそうになったとき、私はカンジからもらった褒めをポケットから取り出して眺める。そうすると、私は焼き肉屋の事情を慮れたときの自分に戻れる。

これを持っている限り、私は少しだけいい人になれる気がする。


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