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釧路商工会議所青年部 次年度会長挨拶

北海道新聞釧路版に掲載されました

本日、8月28日(土) 北海道新聞釧路版 ボイス@釧路より、私の釧路商工会議所青年部(YEG)における次年度会長の件で、掲載されたので、挨拶で語った内容をYEGメンバーだけではなく、皆さんとも共有させて頂き、これから地域住民や行政・各団体と連携しながら、地域づくりを推進出来ればと思っている。なので、大した内容では無いが、挨拶全文を公開したい。

全文公開の前に、ちょっとだけ新聞のお話を・・・。

 新聞は世の中の出来事や、他人の想いを咀嚼して記事にし、それを見た人々が、自分事として喜んだり悲しんだり、怒ったり、行動に移したりする役割を担っている。私の想いも、新聞には書かれてあったが、挨拶全文を公開することで、読み手が、また記事とは違った感情になると思う。

 私個人としては、新聞×noteというのは、非常に相性が良いと感じている。新聞屋さんなので、もちろん新聞は大好きだし、効率よく情報を取得するのは、紙の新聞だと思っているし、それを配達までしてくれる日本のシステムはすごいと思っているので、多くの世代に新聞購読はして欲しい。

ただ、定期購読の3,800円(朝刊)4,400円(朝夕刊セット)をこのSNSが発達した時代に、若者が支払うか?が、ちょっとハードルが高いと感じる。

新聞が果たしている役割と、SNSの果たす役割を上手く融合させ、新聞×note×宅配アプリなどで、ベースは紙の定期購読で、テーマごとの課金型記事や地域物産や健康系の商品などの宅配なども通じて、北海道を元気に出来ないものかなあ~とも思う。

紙の新聞が減少して→新聞用紙を製造している日本製紙釧路工場が撤退し→配達している新聞販売店が街からどんどん無くなる。という最悪シナリオにならないように、色々とチャレンジしながら、新聞社とも協議しながら、地域活性化を図って行きたい。

選考委員会からの推薦紹介

話は全然逸れたので、本題に・・・・。

8月20日、定時総会において私の挨拶前に、現会長の池田一己さんや、直前会長の山下徹也さんから、次年度会長が決まる時に関する熱いお言葉があり、既に感極まってしまった。その後更に、私を推薦いただいた紹介がとてもうれしくて、そこでもジーンとしてしまった。

去る7月27日に選考委員会を開催し、選考委員満場一致で、次年度会 長を選出させて頂きましたことを先にご報告申し上げます。 第15代会長 におかれましては、 ㈱マルカツ吉田新聞店 代表取締役、YEG では本年度 持続可能なまち 会議 議長 を務められております 吉田 勝幸(よしだ かつゆき)くん を選出させていただきました。 ここで吉田くんのご経歴と、YEG のみならず地域におけるご活躍の一部を 紹介し、選考理由を申し上げます。 吉田 勝幸さんは、昭和51年5月12日生まれ 現在45歳であります。 旭川大学をご卒業され、出版社へ勤務の後、平成17年に㈱マルカツ吉 田新聞店へ入社、平成20年より専務取締役を13年務め、本年4月より、 代表取締役に就任されております。 新聞業という市場が縮小傾向にある業界ではありますが、吉田さんは既 存の枠に捉われない新たな発想で、「人の健康を支える企業」 ㈱マイシ ーの設立や、コロナで人の移動がはばかられる中、釧路の「食」を全国に 届けたいと発案された「クシロバコ」の販売など、持ち前の企画力と豊かな 発想力で新たな挑戦を続けております。 一方、釧路西部たらふく商店会の副会長という立場では、日本製紙撤退 という大きな課題に直面し、今後の地域がどうあるべきかを会の仲間と考 えるなど、地域に根差した活動もされております。 YEG 歴は15年と長く、入会年度は平成18年、白崎会長年度であり、最初 は研修委員会に配属されました。 平成22年、佐渡会長年度には Love くしろ委員会の委員長を務め、冬の 中心市街地・歓楽街を盛り上げるために「LOVE 釧路イルミネーション」を 開催し、幣舞広場で集客イベントを行うなど「幣舞橋を中心とするリバーサ イドの活性化」に向け活動されました。今、幣舞橋はライトアップされ、「ク ール釧路」のモニュメントが設置されたきっかけを作られた事業でありま す。 平成30年、31年には経営力向上委員会の委員長となり、この釧路が「魅 力ある企業と、エネルギーある優秀な人財で溢れるまち」となることをビジ ョンに掲げて活動を展開し、2年目の委員長の際には、企業情報誌「はた らくしろう」を発刊し、関係各所より高い評価を受けております。 昨年はコロナの流行により前途に不安を抱えながらのスタートとなった池 田会長年度において、三役で立ち上げた「たの・うま・ベイフェスティバル」 の企画時、釧路市の補助金を獲得するために、自ら進んでプレゼンの場 に立ったと聞いております。自分の得意分野や担いを理解し、後は目標 に向けて突き進む吉田さんらしい一面の現われと私自身は感じておりま す。 スポーツ産業委員会の担当副会長としてもその職責を全うされ、委員会メ ンバーとともにウインターパーク構想の実現に向け大きな一歩を進められ ましたのは、記憶に新しいと思います。 以上のご経歴からもご理解いただけると思いますが、地域に根差した仕 事をする中で培われた郷土への思いは熱いものがあり、且つ既存の枠に 捉われない豊かな発想力と新たなことにも恐れず積極的に挑戦する力、 目標が決まったら一気にトップスピードで駆け抜ける実行力を持つ方であ ります。 人一倍ある行動力ではありますが、その行動から培われたネットワークか らは地域を発展させるための計画性も見られ、先ほどご紹介した「クシロバ コ」はオンラインツアーや、東京歌舞伎座で行われた「ひがし北海道 十八 番店釧路編」など、釧路を全国に知らしめる活動へと見事に発展を遂げ ております。 この「郷土愛」と「行動力」に加え、YEG での長い在籍によって、脈々と受 け継がれてきた理念や先輩方の思い、その時代時代に合わせ繰り広げら れてきた活動を経験している吉田くんは、地域に不安と閉塞感を与えるこ のコロナ禍において、固定概念に縛られない豊かな発想力で新たな価値 を創造し、地域に新しい風をもたらす、転換期に相応しい人物であり、彼 はこの YEG の進むべき道を誤ることなく導くことができる人であると確信し ております。 以上の理由から、本総会におきまして、吉田勝幸さんを次年度会長にご 推挙申し上げ、ご出席皆様の満場一致のご承認を賜りますようお願い申 し上げます。

YEG次年度会長 吉田勝幸 挨拶全文

こんな素敵な紹介をされてしまったので、書いてきた原稿をもう一回書き直したいぐらいだったが、もう、内容を変えると、全部飛んでしまいそうだったので、原稿をポッケにしまったまま、以下をそのままストレートにお話しした。

2022年度の会長に選任いただきました
吉田勝幸です。よろしくお願いいたします。
来年度の方向性や組織などは、改めて皆様との意見交換を重ねながら決めていき、
今後いろんな場面でお話ししていく機会はあると思いますので、本日しかお話しする機会が無いであろう、私個人が何者なのか?という事をお話しして、お見知り置き頂いた中で、今後皆様と様々な議論を重ね、異(こと)なった感性同士で化学反応を起こしながら、豊かな郷土を築き上げる活動を行いたいと思っております。
私の生年月日は1976年5月12日、釧路生まれの、45歳でA型です。
商売は新聞販売店を営んでおり、4月にマルカツ吉田新聞店の4代目社長になったばかりです。
元々は祖父が阿寒町で豆腐屋を営んでおりました。実直な姿が北海道新聞の目に留まり、新聞販売店を任されるようになりました。その後、釧路エリアも任されるようにもなり、もう亡くなっておりますが、長男である私の父と、次男の現会長である叔父(おじ)と共に鳥取地域を運営していました。
 私はそんな家系の長男に生まれ、小さな頃から家業を継ぐということは決めておりました。兄弟は、妹が2人と弟が1人です。弟はダウン症という障害がありましたが、父も母も悲観することも、恥ずかしがる事なく、どんどん色んな人に紹介していました。自分と違う人を受け入れて、助け合うというマインドは、そんなところから養われたような気がします。
 また、幼い頃から祖父の厳しい教育が吉田家の原点にあり、正月や誕生会などで、いとこ含め、親族が集まった時は、美味しい料理を目の前にして、30分くらいの訓示を聞かせられました。なぜ、こういう食事にありつけているか?家族が仲良くいれるか?というお話や、正月のお年玉をもらう時は、キチンと整列をして大きな声でありがとうございました。と言わないと、お金をもらえませんでした。子供にしては酷でしたが、おかげで、
兄弟含めて、いとこは全員商売をしています。ちなみに、私と同じ歳のいとこで、佐藤紙店の社長がいて、今でも切磋琢磨しております。
家業を継ぐ前の経歴としましては、釧路の小中高を卒業した後、旭川大学を経て、修行のため青森の出版社で就職をしたり、東京でフリーターをしたりした後、札幌の販売店で2年研修をしまして、2005年5月に釧路に戻ってきました。
青森という文化も方言も違う町で3年半、毎日教材の訪問販売を繰り返し行ってきた経験は、人との距離感や人を動かす言葉の強さについて学ぶ機会になりました。
自己紹介が長くなりましたが、
最後に、なぜ、私が様々な街づくりに取り組んでいるか?という動機をお話しさせてください。
まず1つは、新聞販売店という職種が、大きく影響していると思います。
新聞の購読と人口の増減というのはかなり密接な関係があります。また、人口の増減は、その街や地区の活気やマインドに比例していると思っております。新聞販売店エリアである、阿寒町の雄別炭鉱閉山や現在日本製紙の工場閉鎖など、街を定点観測していると様々な移り変わりが見えてきます。そんな事から街に愛着がわき、色々と活動はしていますが、最初から崇高な思いで街づくりをしていた訳ではありませんでした。
やはり、会に所属して、様々なイベントや事業などに参画したのは大きかったです。
はじめに入会したのがYEGでした。2006年の私が釧路に帰ってきて1年目の頃でした。当時は販売店の鳥取昭和エリアは新聞部数が一番ピークの時でしたので、
商売をなんとかしたいとか、街をなんとかしたいというよりも、父や叔父の紹介で何もわからずYEGに飛び込んだ。というのが正直なところです。
ただ、様々な役職を受けていくうちに、街を調べたり、深堀りしたりするようになり、釧路の産業・文化などに愛着がわいたと同時に、商売にも関わる街の活気や人口動態などは、大小関わらず、結局企業やお店が作り出していると感じることが出来ましたし、さらに企業やお店が進化を繰り返していくことが重要だと思い、今でも様々な会活動を通じて、自己研鑽をするようにしています。
企業やお店を運営している、私たち経営者や経営幹部が、世の中の事、街の事、歴史・文化・伝統・流行などを調べ会社や家族を通して未来へ繋いで行くことや、
YEGで街づくりの政策や活動を通して、いろんな人と出会い、切磋琢磨することで、個人の成長が図られ、我々の商売が更に発展することは、とても重要な事だと思っております。
我々が、この混沌とした時代を率先して、明るく照らしていきましょう!
歴代の会長や今年度池田会長が2年間かけて実現したかった未来像も、しっかり受け継ぎ、また更に進化させ、
輝きを放つ、豊かな地域づくりに貢献していきたいと思っていますので、皆様のご支援、ご協力宜しくおねがいします。
役職にお声がかかった方は、是非、快く受けてくださいね。
本日はお急がし中お集まり頂いた皆様、またzoom参加の皆様、総会をご準備頂いた事務局の皆様ありがとうございました。
以上で会長予定者の挨拶とさせていただきます。

これからのはなし。

今後は、専務理事や副会長を選出し、会長の方針を作成し、それに見合った委員会や会議体の組織を作り、委員長や副委員長を選出し、歴代のYEG会長や、親会である釧路商工会議所の皆さんなどからも、様々なアドバイスを頂き、今から下準備をして、2022年4月から2023年3月まで、約1年半程、走り抜けたいなと思います。記事にもあったと通り、地域を明るく照らしながら・・・。

おまけ

最近は、この18祭というNHKの番組YOUTUBEを観て奮い立たせています。18歳のこのエネルギーを超える熱量を大人が持たないと、地域は変わんない!・・・と。ちなみに、18祭において、RADWIMPSの「正解」の歌詞が最高です。https://youtu.be/xKjFYKWCDas

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