テレビCMの値付けの仕組みを考える

テレビスポットの価格は、広告代理店各社からの見積もり依頼に基づいて、各局の担当スポットデスクによって値付けされます。当然価格はブラックボックス化され、最も安い価格をつけた局がそのキャンペーンを受注します。つまり官公庁の競合入札と同じような手続きが行われます。ルールも競合入札と同様で、

1.各局はお互いの提示価格を知ることはできない

2.入札は一度だけで、提示価格の出し直し・あと出しはできない(ファーストプライス・オークション)

という原則で行われることが多いです。一見公明正大で、買い手と売り手双方にメリットの多い取引方法ですが、そこには往々にしてジレンマが生じます。僕が過去に実際に体験した例を簡略化したうえで説明し、テレビスポットの値付けの仕組みと、その背景にあるジレンマを探りたいと思います。

<現方式が生む、売り手と買い手双方へのデメリット>

【ケース1】X社の夏の日焼け止めキャンペーン

以上のルールのもと、4ch~10chまでの4局がその競合入札に参加するとします。(この場合、官公庁入札と同様買い手は売り手を選ぶ立場にありますので、この状況を「逆オークション」と言います。)

入札の結果、以下のような価格提示がなされたとします。

A局:100,000円
B局:80,000円
C局:60,000円
D局:40,000円

この場合、最も安い値段をつけたD局が入札するわけですが、ここでファーストプライス・オークション特有のジレンマが生じます。それは念願かなって受注を獲得した勝利者であるはずのD局の担当者が、のちに各局の提示価格をみて「安い値づけをしすぎてしまった」と後悔してしまうことです。(この場合、D局にとって最も理想的な提示価格は59,999円だった、ということです)。こればどんな入札でも往々に生じる現象で、ゲーム理論では「勝者の呪縛」と呼ばれます。

さて、今回は安いお買い物ができたスポンサーX社ですが、同様のルールの下では買い手にとってもデメリットが生じる場合があります。たとえば以下のような状況です。

【ケース1-2】X社の冬の化粧水キャンペーン

半年後、冬にキャンペーンの見積もりをとったところ、以下のような提示価格であった。

A局:100,000円
B局:80,000円
C局:55,000円
D局:59,000円

結果として、最安値をつけたC局が受注しますが、ケース1に比べて入札価格が高くなってしまいました。ここで半年前と比べて価格を変えた2社の担当者の心理は以下のとおり。

C局の担当者:「前回D局に出し抜かれた。値下げしないと受注は難しい」

D局の担当者:「本当は40,000円まで値下げできるが、前回値下げしすぎて格安で受注してしまった。今回は値上げしよう」

結果として買い手であるスポンサーは、本来40,000円で買い付けできたはずのテレビCMを55,000円で買うことになってしまいました。(ついでに言うと、受注したC局はのちに提示価格結果を知り、D局との4,000円の差のせいで、勝者の呪縛に苛まれます)

このように、現在のテレビスポットの買い付けにおいては買い手と売り手双方が不幸せになってしまう状況が、往々にしておこります。問題点を改めて確認すると、

(A)テレビ局(売り手)の悩み:受注できても後悔してしまう

(B)スポンサー(買い手)の悩み:売り手が正直な価格を提示しないとき、高い値段で買わされてしまう

ということです。ではどのようにすれば、お互いの悩みを解消することができるのでしょうか?

そこでヒントとして考えられるのが、実際に海外の入札などで導入されている「セカンドプライス・オークション」という方法です。これは、少しややこしいのですが「一番安い値段を提示した業者が、二番目に高い値段を提示した価格で入札できる」というものです。(たとえばC局:60,000円、D局:65,000円であれば、C局が65,000円で受注するわけです。)これによって、まず(A)テレビ局の悩みである「無駄に値下げをしすぎた」という悩みは解消されます。また、(B)売り手であるテレビ局は正直に値付けをする(自分で設定した最安値を提示する)ことが合理的な行動になるので、ウソの値段を提示することはなくなり、結果として買い手は適正価格で購入することができます。まだ導入はされてませんが、売り手と買い手のロスをなくすための一つの方法だと思います。

<寡占ゆえに生じるジレンマ>

放送事業は免許事業であり、極めて高い参入障壁があるため新規参入はまずありません。結果として、経済学の教科書のような、極めて分かりやすい寡占市場が形成されます。

具体的に言うと、テレビ局は首都圏であればNTV、EX、TBS、CXの4局が、近畿圏であればMBS、ABC、KTV、YTVが企業の広告宣伝費という限られたパイを食い合っています。(概算すると日本の全業種トータルでの年間広告宣伝費は6兆円、そのうちテレビに割かれるのが2兆円、そのうち5割が首都圏、2割が近畿圏と言った感じです。)

そして、スポットCM市場に関して言うと、上に書いたとおり、広告代理店からの見積もり依頼にもとづく競合入札制度と採用しています。以上の前提を踏まえた上で、以下のようなケースを考えてみたいと思います。

【ケース2】Y社の焼きそばソースのキャンペーン(ターゲット=F2,F3,主婦)

クライアント特性:経費節減が全社的な命題の老舗企業。値下げしてくれればその局に割り増しして全予算を投下する。他方の局が値下げしてくれたのに自局だけ値下げを拒否するなら、1円も出稿しない。両局とも値下げしないなら、しぶしぶながら両局に出稿する。

という前提で、おばちゃん層に強いコンテンツをもつA局とB局に見積もり依頼が入りました。広告代理店からの事前情報をまとめると、4つのパターンが考えられそうです。

1.2局とも値下げしない → 2局とも7,000万円ずつ受注
2.A局だけ値下げ、B局は価格維持 → A局が1億円で扱い独り占め、B局はゼロ
3.B局だけ値下げ、A局は価格維持 → B局が1億円で扱い独り占め、A局はゼロ
4.2局とも値下げする → 2局とも4,000万円ずつ受注

もちろん、お互いの提示価格はブラックボックス化され、相手には分かりません。かつ、値段の後出しはできません。さて、担当者はいずれの選択肢を選ぶべきでしょうか。

担当者の心理には、以下のような矛盾した考えがよぎります。すなわち「一度値下げすると簡単には元の値段に戻せない。だから値下げしたくない」という思いと「こちらが何もしないで相手に出し抜かれると、当社の売上げがゼロになってしまう。だから値下げしたい」という思いです。

もうお分かりかと思いますが、これはゲーム理論でよく紹介される、有名な「囚人のジレンマ」と呼ばれるモデルで、パレート劣位のナッシュ均衡が形成されています。上記のような状況下では、両者は「相手の戦略が分からない以上、売上げがゼロになるくらいなら値下げして、少なくとも3,000万円を確保する方が良い」と考えて、「値下げ」戦略を採用するのが合理的になります。結果として、一度値崩れした商品はそう簡単には再度値上げができず、それどころか競合するたびにどんどん値段が下がっていきます。

上述のとおりテレビ業界は、高い参入障壁に守られた4人のプレーヤーによる典型的な寡占市場なので、経済学の教科書のような典型的な経済現象が現実として往々にして起こります。

どんな商品・サービスにおいても、モノの値付けというのは、本当に難しい作業です。スポンサーサイドから見れば「何でこんな値段になるのか分からない」ということも多いかも知れませんが、値付けの担当者は色々とアタマを悩ませながら値付けをしております。

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