自分が文章を書き始めるきっかけになった先輩
自分が「様」付けをする方が2名いらっしゃいます。ふるやさまとその方なんですけど。
この方は超天才なんですよ。ずっとぶちょうはファンですね。
(中略。『勉強力大全』という本がいずれ出るのでそれを読んでください。)
他専攻の方に恵まれた
「社会調査法」という公共政策大学院の授業をきっかけに、法学政治学研究科と公共政策大学院の方と仲良くなり、こうちゃん(法学部・公共政策大学院出身)とも元々関わりがあった方だった。
博士課程に進んでそのまま大学の教職に就くような東大の中でも「有智高才」な方々の仲間になることになった。
何故か修士論文のパワポもがっつり直していただいたし、発表も見て頂いて、自分が賞を受賞したり、自分の研究が本になったのは絶対その方々と指導教員のお陰なので、感謝しかない。
「自分は大したことがない」
代表取締役 / 主任研究員 / 東北大学工学研究科博士課程/東北大学特任准教授(客員)という超人のふるやさまと自分は「でも、自分は大したことがないと思っている」という話をして、結構2人共共感したことを覚えている(いや、ふるやさまは自分の1,500倍すごいんだけど。自分はどう頑張れば修士時代に査読論文を8本生み出せたのか一生分からない)。
何故ならふるやさまも自分も、そのような「自分よりも凄い方」を沢山知っているからだ。
「自分がまだまだで、これからも身に着けなくてはならない」と思っているのは事実だ。
でも2人とも自信がないのかと言えば、絶対そんなことはないのでそこは注意しようw
何か「わーい」とやっていたらたまたま結果が出た
2人とも『何か「わーい」とやっていたらたまたま結果が出た』だけなのである。マジでただそれだけである。
作者は研究と執筆と英語と(ふるやさまの応援)が好きなのは事実で、それを続けていただけだ。
「様」付けしている方のSNSを見るのが唯一の娯楽だった
学生時代はSNSを一切やっていなかったので、その方はずっとインターネットをやっていて、「何て素晴らしい文章を書くのだろう」と思っていて、まさかその自分が10年後こんなにSNSを使い倒すとは思っていなかった。
時間というのは恐ろしい。
文章面における憧れの方が初めて出来た
自分は残念ながら本を元から趣味で読むタイプではなく、今や自分が書く本の「参考文献」でしかなくなっている。
しかし、文章面における憧れの方が初めて明確に出来た。
あと絵が上手いのがさらに羨ましい。
他の方も仰っていたのが、「結局何でも出来る」のが本当に羨ましい。
出身大学が共通しているphaさんっぽい「貴方人生何周目なの」の雰囲気もあるし、何か陰りもあるし、大変酒を飲んでいた記憶があるがあれは幻だったのだろうか。
自分が実際に書き始めるのは大分後になってしまうが、自分が文章を書くきっかけになったのはその方とphaさんだと記憶している。
専攻に対する唯一の「希望」
結構真面目だったので本郷や駒場の図書館に朝から22時までいてとか、真っ暗闇の帰りのバスを待つ間に、その方のブログやTwitterを見るのが唯一の娯楽だった。今考えれば、専攻に対する唯一の「希望」だったと思う。
一言も喋った記憶がない
ただ、残念ながら作者は大学院時代の交友網は一切シャットダウンしたので、その方と一言も喋った記憶がない。
というか、大学院時代の記憶が殆どない。そのほかにも嫌なことはたくさんあったので、多分脳がdeleteしろと指示が働いているのだ。
自分は別の細胞になった
そんな奴が440人超のコミュニティオーナーになるとは。
多分大学・大学院時代の方々は今自分がやっていることは全く理解して頂いていないのだろう。でも別に良い。
今自分には会社と編集部がある。それで充分である。自分は別の細胞になったのだ。
自分は意味のあることしかやれないのが弱点
文章力と言うのは月間1万PVとかそんなものではない。その方の文章を改めて読んで思った。自分には絶対生み出せられない。
自分は意味のあることしかやれないのが弱点だ。
編集部がなければTwitterもnoteもFacebookもInstagramもイベントも講演会も出版もやれない。
だから意味のない文章を書き続けられる方が羨ましい。
意味のない文章を書き続けて欲しい
久々に文章で面食らった。phaさんもそうだが、インターネットを続けてほしい。
そして意味のない文章を書き続けて欲しいと密かに思っている。