オセローが「Active Analysis」するとき、ハムレットは、「STRONG ZERO」を飲むのか?

あなたは今まで、誰かに嫉妬したことはありますか?
生まれた時に、既に先に生まれていて、自分より優位に立つ兄や姉に、または、一人っ子だったはずなのに、後から生まれてきたにも関わらず、両親の愛を奪っていく弟や妹に。
学力やスポーツで、自分よりも優秀な同級生に。
相思相愛だと思っていたのに、自分のただの思い込みで、その人の本命が別の人だった時に。

嫉妬によって構成されている、ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇『オセロー』、こまばアゴラ劇場にて2024年1月31日[水] - 2月7日[水]に滋企画が上演した。滋企画は青年団の俳優である佐藤滋が「大好きな仲間と、やりたいことをやる。しあわせな冒険」と銘打って公演している企画だ。昨年上演した、アメリカの劇作家パトリック・メイヤーズの戯曲『K2』に続き、2回目の公演となる。演出はニシサトシ。俳優自身から演劇の企画を行なっていくという仕組みそのものが、作演出が主催となることが多い日本の小劇場の中では、珍しい企画とも言える。それと同時に、作演出と俳優の力関係を逆にしただけの、映画におけるトム・クルーズや、スターシステムのような俳優が最強となるような仕組みとも異なっているようにも見える。むしろそういった、誰かが主導的にトップダウンに制作していくような仕組みそのものを否定して、作品を制作しようとしていることが、演出ノート(https://docs.google.com/document/d/15eTKV3J1jOIvESfjx5c28JHA62y2ge1VYrwadMw2k80/edit)からも読み取れる。

客入れの時から、上演は既に始まっている。舞台上で赤いジャージを着た中川友香、永井茉梨奈、佐藤友の3人が、シェイクスピアの戯曲を全て思い出そうとしている。上演回によっては本編が始まる前に、全て言えなかった回もあったと話していた。一作品、一作品ごとに内容を逐次思い出しながら、彼女たちは、シェイクスピアの作品を舞台上に上げていく。
パンフレットを読むと、演出家のニシサトシ自身が「創作に当たって、池内美奈子さんからシェアしてもらった方法、俳優が主体的に戯曲読解に関わる「アクティブ・アナリシス」を使いました。」とある。この池内美奈子さんは、昨年の9月に森下スタジオにて、プロの俳優、演出家に対して「アクティブ・アナリシス」のワークショップを行い、紹介文には「スタニスラフスキーが亡くなる前に、テーブル稽古の代わりに始めたアクティヴ・アナリシスという稽古方法を実践します。彼の言う”etude”(エチュード)まで持って行くためにどういう作業が必要なのか、何にどれくらいエネルギーを注ぐと俳優が場面に歩いて入っていけるのかをみます。また我々が身に着けてきた「時間がない」から速く結果を出そうという強迫観念をデトックスします。」とあった。早速気になり、マリア・クネーベルによる『Active Analysis』を電子書籍で買い読んでみることにした。(https://www.amazon.co.jp/Active-Analysis-Maria-Knebel/dp/0415498538
そこには、「most important reason that prompted Stanislavski to talk of active analysis was the primary importance he attributed to words onstage.」とあって、セリフを舞台上で上演するための方法が書いてあった。そのための方法が、各項目ごとに書かれ「The Supertask」(究極課題)の章もある。ところどころに「deconstruction」(脱構築)の単語も垣間見える。「we are obliged to deliver lines that belong to the character we portray, lines which are quite alien to us.」「筋」に疎外されてしまうことや、「Once we are able to navigate our character's train of thought with ease and fluency, we are no longer slaves to the text,」登場人物の思考の連なりに沿うことができれば、もはやテキストの奴隷でなくなる領域についても書いている。オセローに関しても記述が多く、Etude rehearsalsの箇所では、オセローのspeechを通したキャラクター理解に関する記述等、39箇所も引用されている。
そんなことをしているうちに、舞台上の3人はシェイクスピアの作品を全て、いい終わりそうだ。四大悲劇の『マクベス』『リア王』『ハムレット』、そして、3人声を合わせて『オセロー』!

かくして、上演が始まる。

この文章の冒頭で、『オセロー』が嫉妬によって構成されていると書いた。しかし、タイトルにもなっているオセローは、嫉妬とは無縁の存在として、始めは舞台上に現れる。それは、「オセローって例えば、大谷翔平?」と、前述したニシサトシの演出ノートにもあるように、舞台上でもっとも手足が長く、堂々とした存在感で、ビロード調のダークレッドのスーツをまとった佐藤滋が、何にも、誰にも負けたことがないオセローを演じ、トルコ人を撃退する。ここで、ヒロイン、デズデモーナを演じる伊東沙保が、オセローに飛びついたりと全身で愛情表現を行う。しかし、部下の副官キャシオーの処遇をめぐり、第3幕の3場では、キャシオーの処遇を好転させることを約束したデズデモーナ、その場を後にするキャシオー、それをオセローに目撃させ、疑念を抱かせようとするイアゴーもまた伊東沙保が演じるのだ!それまでのオセローの愛情と信頼の対象であるデズデモーナから、信頼の対象がイアゴーに変わるこの瞬間、伊東沙保がクルクルと回りながら、オセローの信頼の対象の移り変わりを引き受ける。デズデモーナからイアゴーへ、しかし、演じるのは伊東沙保、独り。まるで落語の1人2役のカミシモを切るような身振りで、演じ分ける。その負荷に対応する姿は、最上級のコメディと化していた。蜜月関係の入れ替わりを見事に表現したこのあと、イアゴーが「キャシオーは正直な人です!」と元気よく言うと、イアゴーの言葉の裏を読んだオセローは「もうそれ、言っちゃってるよね?」と半笑いで発話する。(おそらく原文では、「Nay, yet there’s more in this.」)

そして、全ての上演がそうであるようにいずれ、カーテンコールを迎える。

人類にはおそらく訪れることのない結末を迎える長い、長い、カーテンコールを目撃しながら、僕はある光景を思い出していた。その光景の中では、デンマークのハムレット王子がストロングゼロを片手に、侍従長ポローニアスに正気を疑われながら、「ハムレットです。」と言いながら、お酒にまつわる駄洒落、韻踏み、謎かけをしていた。演出家・中野成樹をリーダーとする現代演劇カンパニー。通称ナカフラ。2022年よりハムレットを20年かけて徐々に上演する「EP」シリーズの稽古を見させていただいた時の光景だった。その劇作と言っていい、ストロングゼロを持ったハムレットが繰り出す言葉遊びを、中野氏は「僕は演出だと思っている」と言っていた。僕は心の底から感動していた。いったいどのレイヤー(戯曲、演出、上演)で、マジカルが起きているのか、魔法を魅せられていたんだと思う。

中心が2つある円は楕円軌道を描く、2つの演出家の中心、ニシサトシと、中野成樹。ここに関美能留(2016年にザ・スズナリにて『ヴェニスの商人』を上演している。手品のような上演だった)という3つ目の中心が加わったとき、そのシェイクスピア演劇が描く軌道は、「三体問題」よろしく予想できない天体運動になると勝手に妄想しながら、夜空を見上げ、僕は、5月に閉館するこまばアゴラ劇場から、渋谷に向かって歩いて行った。

2024年2月19日 滋企画の仕組みについてと、マリア・クネーベルによる『Active Analysis』内でのオセローへの言及に関して、加筆修正


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?