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人生における赤色のみの点滅信号機

外国被れの気ままな田舎生活 人生の転機編 国内編

今日仕事で行ったところで赤色のみの信号機を見たのです。その信号機は、赤色のみで交差点の真上に設置してありました。点滅しているので進めるのだけれど、赤色なので慎重に進む事になります。そんなことを考えていたら、ああ、そうか、この交差点って人生の転機を象徴してないかなって思ったのでした。誰でも人生の中で、自分でも、考えて、なおも考えて、慎重に進んだつもりでもうまくいかなかったりすることってありますよね。

自分の生き方を振り返って、様々な転機があったなあと思うのです。親の仕事の都合で中学生の時、転校しました。九州から広島に引っ越して言葉から何もかも違うので戸惑いました。九州では、ゲンコツで先生から殴られるのは当たり前でしたが、広島では、先生と友達感覚で話すのにビックリし、クラスの中で男子と女子が普通に話すのにもおどろきました。何故って、九州時代、同じクラスの中では、男子と女子が話しするのは周りの目を気にして出来なかったのでした。とまあ、この九州から広島への移動も私の中では、紛れもなく一つの転機でした。

広島に行ったおかげで、世間が広がりましたし、その地で教会にも熱心に通わせられた?ので、多くの人々に接する機会を得ました。その時友達になった1人とは、40年経った今でも交流があります。

間違いなく、この広島への移動がなければ、人生が変わっていたでしょう。

その後、東京へと進み、新聞配達の奨学金を得て専門学校へと進みました。毎日同じことの繰り返しに思えました。毎朝、新聞を配達して学校行き、帰ってから夕刊の配達と集金を行い、寝る前までに学校の課題をおえる。これを4年続けて卒業。そして就活して就職出来ました。この時、すでに父親は他界していました。それもあって、奨学金を得ないと学校に行けないということは、わかり過ぎるほどわかっていたので、何とか卒業できたのでした。

このことも私にとってはひとつの転機でした。そして、この最初の就職先で頑張ろうと決意も新たにして、彼女も出来ました。結婚を意識して積み立ても始めていました。そして3年目の時です。突然、海外で日本語教師をしていた長兄から、電話があったのです。英語の勉強にこないか?半年後、私は、パスポートを初めて作り、旅行社の友人に飛行機のチケットの手配を頼んでいました。その後の波乱万丈の人生が続いているとも知らずに。 とまあここまでを国内編として。次回は、海外編で、お話しします。


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