伊勢神宮 急ごしらえのプロップス

伊勢神宮を参拝する。伊勢神宮には皇祖伸天照大御神が祀られている。その御神体は八咫鏡である。私達は伊勢神宮に参り、内宮に秘匿されている御神体に向かい頭を下げ、手を合わせる。
しかし実は、祀られているのは天照大御神だけではない。タカミムスヒという国家神も祀られている。以下引用。
初めて王のなかの王、「大王」と呼ばれた雄略は五世紀後半、国家的最高神・タカミムスヒをまつる祭祀場を伊勢神宮・内宮の荒祭宮の地に設け、この神に仕える斎王を派遣しました。『 日本書紀』には、その後、何代かにわたって斎王関連 の記事がありますが、 やがて派遣は途絶えます。ところが七世紀後半に勃発した古代最大の国内戦争、壬申の乱で大勝利をおさめた天武天皇が即位するや、伊勢神宮をめぐる様相は 一変します。 天武は五十年ものブランクがつづいていた伊勢への斎王派遣を決定します。この時、斎王が仕えるべき神は、以前の斎王が仕えていたタカミムスヒではありませんでした。
「大君は神にしませば」と謳われた天武は,「神」と呼ばれた最初の天皇─ ─ 天武・持統 朝は「天皇」、そしてこれに正統性をあたえる「皇祖」を創出してゆきます。 それが「天照らす日女の命」、やがてアマテラスと呼ばれる神です。派遣された斎王が仕えたのは、この新しい神でした。
武澤秀一. 伊勢神宮の謎を解く ──アマテラスと天皇の「発明」 (ちくま新書) (Kindle の位置No.2379-2385). 筑摩書房. Kindle 版.
天皇に正当性を与えるということはどういうことか。そもそも第40代天皇、天武は壬申の乱で大友皇子を倒し、即位した天皇。いわば武力によって即位した天皇。その正統性を担保するのは皇祖(国家神=タカミムスヒ)-皇孫(皇祖神=アマテラス)-天武自身という関連(血縁)付けによって自分が新たにアマテラスを伊勢神宮に祀り、その系譜としての自信を権威づけ、日本を律令制で統治しようと、画策したのである。では、なぜ既存のタカミムスヒを祀るのではダメだったのか。以下引用。
-天武天皇の意思は、自身を現人神であるスメラミコト(天皇)として打ち出すことでした。それは人でありながら神である存在。これに根拠をあたえるには、血のつながっ た神が必要でした。当時の国家神タカミムスヒは政治的理由から半島経由で導入され た外来神でしたから、これを皇祖としても甚だリアリティを欠いています。タカミムスヒでは無理があったのです。その点、弥生以来、倭国に根を下ろしていて馴染み 深い〈ヒルメ─ アマテラス〉は、皇祖とするのに打ってつけでした。
武澤秀一. 伊勢神宮の謎を解く ──アマテラスと天皇の「発明」 (ちくま新書)
つまり、メイドインジャパンの自分の血縁にあるべきは、メイドインジャパンの神が必要。そのためにはタカミムスヒの心の御柱ではなく、アマテラスの御神体が必要。そこで古事記にもでた八咫鏡が正殿床下にある、タカミムスヒの心の御柱の直上に祀られたのだ。その関係には以下の様な説がある。
男根の象徴としての心の御柱、それは最初の国家神であるタカミムスヒの御神体。それ が正殿床下の中央にあります。そして直上の正殿中央に、アマテラスの御神体として神鏡が安置されたのです。心の御柱と神鏡という二つの御神体─ ─わたしは伊勢神宮において御神体が二つ、共存することに奇異の感を抱いていました。アマテラスが二様の 御神体をもつのかと。なんのことはない、心の御柱はタカミムスヒ、神鏡はアマテラス と、 二つの御神体はそれぞれ別の神を象徴しているのでした。しかし、二つの神のあいだの関係は異様ではないか。両者は近接し、かつ上下に重なり合っている。この位置 関係は何を意味しているのか?そこにタカミムスヒとアマテラスのエロス的結合を読みとることができます。かつてタカミムスヒに仕えていたヒルメが皇祖神アマテラス としてまつられるようになり、今やタカミムスヒの上位にあります。二神の立場は完全 に逆転し、しかも女神と男神は、イマジナリーな交合関係にあるのです。心の御柱を「触れてはならぬ、見てはならぬ、、語ることもならぬ」とする本当の理由は、ここにあったのではないか。それで、「拝んではならぬ」として、心の御柱を全部地中に埋める事態にまでいたったのではないか・・・・・・
武澤秀一. 伊勢神宮の謎を解く ──アマテラスと天皇の「発明」 (ちくま新書)
私達は何事も深く知らない。純粋な信仰心を奉げる対象が政治的な思惑の産物であることや、エロス的想像力と強く結びついていること。それを知った上での参拝はまたこれまでとは違う趣に彩られたものになった。

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