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コラム 「そしてつるかめ食堂は焼け残った 〜新宿○○横丁〜」

【むかしむかし発行していたメルマガの記事から】 
東京で暮らしていた頃、愛用していた新宿のご飯屋「つるかめ食堂」の思い出。(=^・^=) 今でもソイ丼食べたい。

「そしてつるかめ食堂は焼け残った」 by 吉田柴犬(当誌編集長)

 こないだ、新宿駅西口の思い出横丁で大火があって、何十軒ものお店が焼けたというニュースを観て、驚いた。そこには、柴犬が東京で働いていΩ頃、お気に入りのご飯屋「つるかめ食堂」があったからだ。

 思い出横丁、そんな名前だったなんて知らなかった。(だって、みんな「しょんべん横丁」と呼んでいたような気がする。)柴犬は一週間に一度は、新宿で途中下車して、夕食を食べに通っていた。1Fはカウンターだけの店で、カウンターの上のガラスケースには、大皿に惣菜が盛ってあって、頼むと取り分けてくれた。この店で有名だったのは、「ソイ丼」という名前の丼だった。(そのころは400円か、450円だった。) ソイは大豆のソイで、大豆とひき肉、豆腐、セロリなどを煮込み、しょうゆとカレー粉で味付けしたものをご飯の上にかけたものだった。これを、煮詰まって、ワカメのきれっぱしがかろうじて入っているみそ汁か、中国人のアルバイトがコップについでくれる生ぬるいお茶と一緒にかっこむのがほとんどだった。他に1〜2品頼んでも、勘定が1000円を超えることは決してない、いいお店だった。客層もメインはサラリーマンだったけど、学生や、エグゼクティブ風の外人さんなどもいた。

 で、ソイ丼の味はとても美味しかった。浜松に帰ってきてから真似して作ってみたぐらい。火事でやけちゃったら、あの名物オヤジもかわいそうだな、と思っていたら、その後のニュースでちゃんと出てきました、ツルカメ食堂が。
 良かった、焼けなかったんだ!ソイ丼も500円になってたけど、健在だったんだ。今度、東京に行くときは、必ず寄るからね。【柴】


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発行日: 99.11.28 発行 第67号


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