SNSの話
SNSをやめる人々が後を絶たない。気持ちは分かる。
たとえばSNSを見てると勝手に疑心暗鬼になったり嫉妬心を煽られたりするからだ。
特に、この4年間のコロナ禍でリアルに会いづらくなり、それは10倍ぐらい加速してしまった。
そのため、例えばSNSを見て孤独を覚えた人々ほど、SNSをやめることで解消したり、といったことも、起きるだろう。
他にもいろんな事例があるだろう。
しかし、それでもとにかくSNSを続けていると、それにも慣れて感じなくなる。すぐ忘れる。人間の便利な機能だ。
つまり、SNSやめる人々の一定数は、人間そのものの負の側面に注目している場合がある。
むろん、関係の濃い人々ほどイイネしなかったりコメントしないとか、もどかしさが多々あると思う。
いつでも繫がってるからこそ、「繋がってるのに交流とらない状態」が続いてしまう。そこにコロナ禍がくる。
ふつうの状態ではない。社会も、生きるのが大変な物価高や増税の時代。
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たほう、SNSのポジティブな面を見れば、有り余るほどの楽しみに溢れている。
何か、言いたい。何か、記録したい。自分はどこにどう生きていたのか。ひとはどこにどう生きていたのか知りたい。
いろんな共有、わかちあい、経験、体験といったことが増えていくと、共同体感覚が、強まる。
それは逞しい絆だ。ありがたい。そういう友達が増えるに越したことはない。
よく言われているように、友達は少なくていいなどというのは、現実問題として実は強い人間のほうに当てはまる。
メンタルがそこまで強くないひとであればこそ、人間集団のなかにいるほうが、より安心は得られる。
むろん、多忙のひとには難しい面もある。そんなにすべての投稿を見きれない。
人間集団のなかにいると、デメリットも多く発生する。
ただ、それもまた、そう投稿すればいいなど、また解消の道はあり、ひとの暮らし方は、変わっていける。
リアルの交流などは、もっと難しい。リアルに会う営みは、スケジュール摺合せから始まる。
連絡が密でないと話にならない。ダイレクトに1vs1で時間をとってもらって、気も遣う。
そんなふうにして、SNSをやめたあと、ひとの暮らしは、大抵もっと孤立する又は、リアルが内側の完結した世界になる。
すこし窮屈だろう、もともと世界がそうだったとはいえ。
小説のように、息抜きできる、違う場所、違う世界、違う人生でもいい、とにかく、アナザーワールドがあったほうが心身に良いとわたしは思っている。
だからひとは手紙を書いたり電話をもったりするのだ。SNSはその延長にすぎない。
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つまりは、SNSをリアル化しすぎないことも、重要なのかもしれない。
SNSはリアルの一部ではあるものの、全くのリアルと同じような付き合いを求めることは、できない。
SNSはあくまで、アナザーワールドである。
SNSは、リアルのように生業や上司や家族が基本的には居ない、切り離された避難所のような世界であれる。
だからこそ、気楽なフレンド関係が作りやすい。
ちょっと旅路の途中にいろんな道行きの仲間や知り合いができる。
ちょっとした会話、ちょっとした風景。
そういう特性は生かされるほうが、人生は豊かになってよいかと思われる。
ただ、いろんなSNSの種類や人々のSNS利用の個性によっても、こういう話はいろいろ違うから、これまたことは簡単でない。
例えば、ある友人女性の場合、面倒くさくなってる関係ばかりがとんでもなく失礼に関わってくる……といった状況などあったり、辞めることが顕著に思える。
さておき、基本的に、そういうSNS利用の個性を抜きにして考えれば、SNSはたいへんメリットが多く享受できはする。
ただ問題は、人口減少だが、それはどこでもそうなのだ。なにをしても、ひとが少ない、それならばそれが当たり前になるだけだから、気にしなくていいのではと思う。
ちょっとした暮らしの避難所。ちょっとした日記の保管場所。ちょっとしたアナザーワールド交流の道行き。ちょっとしたあれこれ。あれこれの話題。
お茶をのみ、愉快である。生涯現役だ。
ゆえに、わたしはSNSを閲覧時間的に減らしはしても、辞めまではしない、というのがいまのところ結論である。
いつも観てくれてるみなさまに感謝して、ご健康を祈っている。
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ちなみに、人間関係が濃くなると嫌な瞬間も増える。SNSはそれが少なくて済むが、リアルだとのっぴきならないきつさになったりもしえる。
だから、SNSだろうとリアルだろうと、どのみち気楽に生きるのが良いのだと思われる。思考の転換も必要であろう。
物事の良い面にもっとゆっくり着目し続けることが、とても重要だ。
人間というのは、本能的にリスクに敏感だから、嫌な瞬間を実態より過剰に見てしまう。
そこをうまく回避してやりくりしたい。うまくにごすことも重要だ。
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