願いのなかったミサンガ
約1年前。
まだ、こんなにコロナが長引くとは思ってもいなかった、あの時。
15年以上関わらせてもらえている金丸小学校。
その関りが一番多かった時期は、全校生徒のみんなが僕の歌を、ふいに口ずさんでくれる程。
現在70歳をこえても担任を持ち続け、真正面から、心を伝え続けている野澤先生のお陰。
1年前も、その野澤先生から声をかけてもらった。
当時5年生だったみんな。
関り始めたのは3学期、6年生への進級目前。
野澤先生と話していたのは「金丸を背負う6年生」への、心の準備に向けて。
その大事な時間に関わっていける、と、喜んでいた。
“また会える”が、当たり前だった頃。
その“また会える”と思っていた“5年生のみんな”との「最後の日」。
その日も、一緒に給食を食べ、休み時間を過ごしていた。
教室でゲーム話しで盛り上がっていた時、廊下からふいに声がした。
別のクラスの女の子3人から呼ばれた。
「手を出して、目をつぶって!」と、足早に廊下に出てきた僕の腕を掴んだ。
「もう目開けていいよ!」「それあげる。絶対外さんでねー」と、楽し気に戻っていく声を今でも忘れない。
僕の左手首に残されていたのは、ミサンガ。
引っ張っても切れそうにない厚手に結われたミサンガ。
装飾品が苦手な僕は早く外したくてしかたなかった。
またすぐに会えるからいいか、と、何の願い事もしなかった。
それから、あっという間に広がっていったコロナ。
“また会える”が当たり前じゃなくなった世界。
僕の仕事は、人から人。
直接会って、歌い話し、そこからまた次の仕事へ。
人と直接繋がること、人の縁でここまで続けてこられた仕事。
けれど、広がり続けるコロナの影響で、決まっていた講演会の仕事や学校に係わる仕事が、延期ではなく、どんどん中止になっていく。
どうにか活動を続けて食べていられるのは、ダブルワークをしていたから。
週6日、深夜フルタイム、それと「吉田祥吾」の仕事。
減らす時間が眠る時間しかなく、体力的にも精神的にも辛かった時、いつからか左手首のミサンガを見るようになっていった。
「吉田祥吾」として続けてきた仕事がなくなっていくなか、重なっていった、今までの時間が無駄に思える社会の生き辛さ。
上手く順応できない自分に落ち込んで、選んできたはずの選択に迷う時間も増えた。
すさんでいく心を支えてくれたのは、生活のそばに居てくれた人たち。
相談の仕事で繋がり続けてくれた、講演会を開催してくれた人たち。
そして、ミサンガ。
誰が悪いわけじゃないコロナで変わった事柄。
自分との対話もいつも以上に増えていく。
弱さを突きつけられる日々、本当にどれだけ助けられたか。
まだ願いをかけていなかったミサンガ。
僕は純粋に願いを込めた。
「またみんなと会えますように」
決して信心深い方じゃない。
宇宙人も、目に見えないモノも、理解できないだけで、“存在しているんだろうな”くらいの認識だ。
その僕が強く願ったミサンガへの願い。
願いの強さと相反するように、状況は一向に良くならずにいた。
5年生だったみんなは、もう6年生になっていた。
2021年1月、学校に入れる状況ではないまま、とうとう迎えてしまった2回目の緊急事態宣言、そして延長。
解除日は3月7日、また延期になれば、もう卒業してしまうみんな。
“また会える”方法を、どれだけ考えても浮かぶこともなく、かといって、現状、学校に呼んでもらえる可能性もほぼない。
再会を完全に諦めていた2月、野澤先生から連絡が入った。
「宣言が解除されそうなので来てほしい。学校側はOKです」
連絡が来たのは2月後半、呼ばれた日は3月4日、解除予定日は3月7日。
僕が諦めていた時に、野澤先生は最後まで諦めずに繋いでくれようとしている。
繋いでくれようとしている感謝と、解除されずに再会出来ないかもしれない不安。
連絡がきた次の日、ふいにミサンガが切れた。
どれだけ引っ張っても、どれだけ仕事で擦れようとも切れなかったミサンガ。
抱えた不安を断ち切るように。
進む。
まず切れたミサンガの正しい捨て方を調べた。
“また会える”日に向かって、
「手元に置いていたら、願いが叶わないこと」
「もらったミサンガは、もらった人に切れたことを伝えて捨てること」
会って伝えたい、願いは叶うと教えてくれたミサンガ、支えてくれた感謝を。
「願い」、人の想いの力を信じた。
どこで情報を見たのか、いつだったのか、そこをはっきり覚えていない。
わかるのは、嬉しくてたまらなくて、唸りのような声で叫んだこと。
「おぉぉぉぉ!!!!!」
3月1日、緊急事態宣言解除。
ただただ嬉しくて感謝した日。
みんなに“また会える”のは、間違いなく、野澤先生、金丸小学校の先生方の尽力。
そして、僕だけの真実で構わない、願いを込めたミサンガのおかげだ。
3月4日、ひとつ残さず心から歌い伝えた。
会えなかった間にどんな時間を過ごして、どれだけミサンガに力をもらっていたか。
人と距離をとる、人を疑う、繋がらない、それを世界が認めてしまった状況。
大人が思っている以上に、差別していい環境のなかで振り回してしまっている心。
実感が沸かないまま6年生への進級、学校生活。卒業。
みんなは新しい世界の開拓者。
まだ誰も経験したことのない世界を進む。
コロナがわからない世代が出てきた時に、小さなひずみが大きな裂け目になるかもしれない。
仕方ないとはいえ、人を疑う“危うい考え方”、その種を渡されてしまった人もいるはず。
けれど“また会えた”のは、先生達、“大人”が精一杯考えて動いてくれたから。
大人じゃないと出来ないことがある。
その“大人”になっていく、みんなを心の底から応援している。
どうか、新しい世界を生きて、豊かに心を育んで、開拓していってほしい。
まだコロナは生活に根付いていて、どんな形で、“いつ”その牙をむくのかわからない。
コロナによって、人生が大きく変わり、命をなくした人たちがいる。
コロナを前向きに捉えて進もうとする時、なくなった命の重さと比べて不謹慎だと思う人もいるかもしれない。
きっと、どんな人も影響を受けた人生。
僕も少なからず人生への影響を受けている。
一所懸命に続けて、繋げてもらえた自分の活動が減り、“生きる意味”が迷子になって、溢れていた生きる気力がなくなりそうな時がある。未来という言葉になんの力もなく、終わりの時間が近づいているだけの気がして、動けなくなりそうな時がある。
そんな時、左手首をみる。
そこにもうないはずのミサンガが見える。
僕はまた願いをかける。
きっときっとそれは叶う。
僕は奇跡でも偶然でもなく、人の想いの力で現実になった“また会えた”を知ってる。
笑顔が溢れたなか“また会おう”と言えたから。
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