擦りガラス

擦りガラス

鼻歌や“口ずさむ”という方法では音程が定まらずメロディが上手くとれない。けれど、口笛なら音程の形も幾分はっきりして、メロディらしきものを楽しめる。とは言っても、口笛も、高いところは出ない、低いところも出ない“、中途半端で音域が狭い。肝心の出ている音程も、自分では出してるつもりの”ふひゅふひゅ”口笛。それでも、メロディ”らしき”ものを楽しんでいる。
そもそも、僕は文字というか言葉がないとメロディを口ずさめない。メロディをハミングしようものならお経レベルだ。出だしの音すらまともにとれない。だから、僕には歌詞が必要で歌うことだけが、メロディとの繋がり方だったりします。
僕と音楽の間には、自己嫌悪が常にいる。今すぐ思い出せる「自分が能力がないのを実感した時」のひとつ。
それは高校生くらいの時だ。当時よくギターを持ちよって遊んでいた友達が、ふとドラゴンクエストのテーマを、軽やかに「タンタタンタンタン〜♪」と、あっさり、しかも正確にハミングで歌っていた。「僕が出来ないこと」だ。それを聴いて、あまりに悔しくてたまらなかったのが、昨日のことのように鮮明だ。

僕はメロディだけ、ハミングで歌えない。
音だけを記憶して、それを口ずさめないのだ。見えるものに例えるなら、擦りガラスの向こう側の景色くらい、薄らぼんやりとして掴めない。半音だけ上がるとか下がるとか、もう、まったくもって未知の世界だ。

頭の中でも音楽を聴くようにメロディが流れることはない。自分でわかる程、音楽的な能力は皆無に等しい。

それが最近、最初に書いた通り下手くそではあるけれど、口笛でメロディを奏でて楽しんでいる。口笛を吹いて、なんとなくのメロディを奏でる。
それが歌になるかといったら、確実に歌にはならないメロディ。歌詞と一緒か、歌詞が先じゃないと、歌を書けない。今のところ、口笛ならではのメロディで、歌詞をつけてでも自分が歌いたいメロディではないのもある。

でも、これを続けていたら、もしかしたら曲が出来るかもしれない、とちょっぴり思えているのが楽しい。

僕はどんな新しい歌を書くんだろう。
何を伝えたかったり、何を歌にしたいんだろう。

擦りガラスのように不明瞭なメロディは、言葉をのせることで景色が見えてくる。

とりあえず擦りガラスのメロディを、つたない口笛で楽しむ。




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