こだわり

ハンバーガーとシュークリームと肉まんは素手で

炭酸のペットボトルはガチガチに締める

甘いものには牛乳

納豆のタレちょっと少なめにいれる

こだわりというのは、しばしば無意識のうちに自分の生活の中で確立したものであり、他者や外部から取り入れたものは、見様見真似で終わってしまい、こだわりとして確立することは少ないと考える。

今回はその少し(というかその少しの内の1つ)を紹介したい。
これは「取り入れたい」という積極的な意味で確立したのではなく、「こうなりたくない」という反面教師性を持つ消極的な意味で確立したものだ。

ずばり「聴く」を使わないというこだわりだ。

人生で1度だけ、授業中先生に名指しで注意されたことがある。小学校4年性の時の算数の時間だ。
提示された課題も終わり、暇だったので時計を見ていた。給食までのカウントダウンをひっそり行っていたところ、「○○さん、どこ見てるんですか。分かっているようなので、この問題説明してもらいましょうかね」と先生。
圧倒的にこちらに分があったのは認めるが、よわい9歳の春、そんな一気に注目を浴びて、用意していなかった回答を求められることはなによりも怖かった。

震える声で謝り、日本語か日本語でないかも判別できないような言葉で説明し、途中でチャイムが鳴り「はい、結構。よそ見しないよう注意してください」と切られた。

あ"〜〜〜〜〜〜〜〜〜(痰を絡ませながら)

すごく嫌な気持ちになった。揚げ足を取る、晒し上げる、今起きたことを知る限りの嫌な言葉で表現して、先生を悪者に仕立て上げた。

その先生は音楽と算数を得意としていたため、担任の先生ではなかったがその二つの教科を見てもらっていた。ある音楽の授業で、「聴」という漢字について触れた。

「十四の心で耳を傾けましょう」

うさんくさっっっっっっ!!!

嫌なやつフィルターがかかっているため、どうしても理解できなかったし、しようともしなかった。というか美談のように見えて、小学校低学年が喜んでするような漢字の覚え方やん!!!馬鹿にしてるのか?
という気持ちでいっぱいだった

なによりも、十四も心があるのなら私を晒しあげることをしないでくださいという気持ちが大きかった。
根に持ち過ぎだろ

その先生は感じにまつわる美談を話すのが好きだったのか、「頑張る」という漢字についても美談のようななにかを披露してくれた
確か、「自分の意志を胸を張ってやり通す」みたいなことを言ってくれてたと思う。

うさんくさ………

その時から「頑張る」も「頑張れ」もこう言った方が面白いと思うとき以外は、なるべく避けるようになった。
「ファイト」や「応援しています」「いい感じにうまくいくことを願ってます」「精一杯やります」一生懸命いろんな言い回しをしてきたが、教員採用試験の時はキツかった…頑張るも頑張れも縦横無尽に行き交っており、そんな中ぺちゃくちゃ長い言葉で自分のこだわりを突き通すと、リズムを崩してしまう
悔やまれるが何度も使った…疲れたなあれは…



私はロマンチストでありたいため、あの時算数で注意されなければ十四の心…✨と思えてたと思うし、歌を唄と表現するし、書くを描くって、会いたいを逢いたいって打ってたし、頑張る頑張るお姉さんになってたと思う。

しかし単語の違いでロマンティックを増し増しにしようと思うと、あの時の先生の「ドヤさぁ」という顔が浮かぶのだ。文字を使い分けると言うよりかは、周辺につける言葉を増やしてどうにかロマンティックになるようにするようになった。

場面における明確な使い分け方があって、こんな主観的な使い分けは誤ってるということは分かってるので、適切なものを使っていきたい所存ではある。

自分にとって必ずしもポジティブでないエピソードを話すのは気がひけるけどずっと誰かに聞いて欲しかた


最後に、外部から取り入れてこだわりとして確立したしょーもなこだわりだけ書いて終わる

スケットダンスの漫画を読んでから、1人の時はポッキー2本ずつ食べるようになったお

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