老人文学抄

 川端康成『山の音』の主人公は六十二歳、鎌倉に居を構え、東京の会社に通勤している。六十歳のときはじめて喀血し、記憶力の減退もあって、夜更けの山の音に「死期を告知されたのではないかと」恐怖におそわれる。
 同居している息子夫婦の嫁に、夫がよそに女をつくったりして不憫でもあり、主人公は気をかけている。庭の花に性的な連想を浮かべたり、夜に性的な夢を見たりして、それが嫁への関心によるものだと主人公は自覚しているが、社会的地位もあり、一家を構えている良識人の欲望は夢のなかでも道徳的な抑制のもとに置かれるしかない。
 『眠れる美女』は、眠らされた若い女と添い寝する秘密の宿に通うことになった老人の話である。この老人は『山の音』の主人公より五歳上で、名前にも「老人」と付されているけれど、まだ男性としての機能を失っておらず、その意味では本当はこの宿に通う資格がない。
 川端康成は他者とりわけ若い女の不幸にきわめて敏感な作家であり、そしてそのことに対して自分が無力であることにきわめて自覚的であって、そういう男と若い女を設定して小説を書くことが多いのは『伊豆の踊子』以来周知のことである。この『眠れる美女』もそうした川端文学のモティーフの継続と見ることができるだろう。すると『眠れる美女』の娘たちは「踊子」の再来であり、老人は「踊子」と別れ東京に戻って東京大学を卒業し、社会的に功成り名遂げたかつての一高生のその後の姿だと言えなくもない。
 女体を傍らにして老人はかつて触れたさまざまな女とのことを思い出す。それらの女たちとの触れあいは、今目の前の眠れる女たちに対するのと同様無力に終わるしかなかった。しかし老人は妻との結婚、娘たちの養育といったものが、かえって相手をしばったり、性格をゆがめてしまったりしてむしろ悪ではないのかとも思う。どう転んでも行き着くところは人の生の「悲しみ」なのだ。
 『眠れる美女』が、社会的な道徳観念の束縛から開放されて、川端の嗜好を極限的状況のもとで展開したものであることは間違いないが、この老人が単なる「生きたおもちゃ」としての女体玩弄に淫しているだけとは言えない。彼は眠っている娘を起こそうとしてみたり、禁じられている「いたずら」を試みようとさえし、「最初の女は『母だ』」と思いもかけないことをひらめかせるのも、彼が深いところで人とのつながりを強く求めていることを暗示していよう。
 この小説の主人公はまだ肉体の老いの悲惨さは免れている。『山の音』の主人公も喀血のあと「その後故障はなかった」とあり、肉体上の老残に向き合うに至っていない。そういう老人文学を——少年の目から見た老人が『十六歳の日記』に書かれているけれども——川端は書かずに逝った。

 谷崎潤一郎の最後の長編『瘋癲老人日記』は、『鍵』同様カタカナ書きによる手記という体裁をとる。『鍵』はまだ中年の主人公による日記体の小説で、これに妻のひらがな書きの日記をからめて、やや推理小説的な展開をみせ、主人公の性をめぐる興味、行動はまだ老いの不安や苦痛の影を曳いておらず、小説としては成功しているが、谷崎のものの中では通俗性が勝っている。
 『瘋癲』では老人の執着する息子の嫁の側の手記はなく、小説的な展開は比較的単調である。しかしここには老いの姿の迫真性がある。主人公はもともと血圧と神経痛に悩まされていたが、次第に末期的な状況に進んでいく。鎮痛剤や睡眠薬、錠剤、座薬、注射といった薬の名称が丹念に列挙されているが、それだけでも鬼気迫るものがある。病室で寝ているところに孫が入ってきて、「オ爺チャン、痛イノ?」といった言葉をかけられると、老人は不意の涙にあわてる。そして頭から掛け布団をかぶって、「早ク二階ヘ行ッテオ寝」と言って布団の中で泣くのである。こんな場面はそれまでの谷崎なら書かないだろう。
 しかし悲惨ではあるけれど全体に滑稽さが基調になっていて、我が儘な老人が実に生き生きと描かれている。病室に入ってきた嫁に「○チャン、○チャン、痛イヨウ!」と甘えて訴えてみたり、「ワア、ワア、ワア」と叫んだりするのは一見戯画化のようだが、リアルである。普通の老人は、甘える母親はとっくになく、医者にも妻にも甘えられず、ただただ耐えなければならない存在なのであるから、この瘋癲老人は幸福だとも言えるわけだ。シャワーを浴びる嫁の足や首にバス・カーテンの裂け目から触らせてもらうといういかにも谷崎的なシーンもあり、このことは老人の手記では嫁の納得づくのことなのだが、小説の最後に至ると、嫁と息子が医者に相談に行き「異常性欲」と診断されることが、付き添い看護婦の「記録」として示される。しかし『瘋癲』の老人は勝手な思い込みであろうと、我が儘いっぱい、嫁の肉体に喜びを感じていられるのだからまだ救われるとも言える。

 室生犀星の『われはうたえどもやぶれかぶれ』は、小便が出せず、夜何度も厠に立ち、ついには庭へ出てそれでも満足いくまでには至らないという軽井沢の別荘での悲惨な状況の描写からはじまり、やがて東京の病院に入院して、膀胱へカテーテル挿入をしたり、コバルト放射線治療を受けたりというところに進んでいく。治療台の上で長い時間コバルトを浴びながら、主人公はかつて親しんだ女たちの姿を浮かべてまぎらわそうとするのだが、思うようにできない。犀星の生い立ちと作品を多少とも知っている者なら作者の女性思慕は周知のことで、なんとも辛い事態に立ち至っていることがわかるのである。
 普通なら「痛い、痛い」と言ってうめいているだけか、メモ程度の断片を残すくらいが精一杯のところだろうが、犀星は一篇の完成した作品を残した。自分のことや、身近な人間を即物的につき離して描き、早い場面展開でも焦点がブレない。まさしく文学の鬼なのだ。
 人生への「復讐の文学」と言い、初期の抒情的散文から市井鬼ものへと進んだ犀星だが、犀星自身が一個の鬼なのだ。この鬼は、畢竟するに、人間を肯定する鬼なのだった。
 犀星は退院後四か月ほどで再入院、ほどなく亡くなった。詩「老いたるえびのうた」が遺された。「生きてたたみを這うてゐるえせえび一疋。/からだじうが悲しいのだ。」とある。

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