卵夢


 田舎町だから安いだろうとは思っていたが、予算の枠内でまさか一軒家が借りられるとは思いもしなかった。板塀、門付きの二階家で、一階二間、台所、納戸、風呂、二階二間、さらに狭いが前庭まである。木造のかなり古い建物だが、傷みは少なく、庭に面した一階、二階の格子窓のガラスは傷もなく、よく磨かれている。
 紹介者としての責任を感じてだろう、役場が終わるとちょっと見とこうと言ってついてきた海法氏は、「こりゃ文句なしだ。この広さじゃ家の中見てくれる人が必要かな。この際思い切って嫁さん貰うか。」などと冗談を言って、門の中には入らず、「じゃまた明日よろしくお願い申します。」と丁寧に頭を下げ、引いてきた自転車に器用に右側乗りして、帰っていった。
 五時過ぎて間もなく役場を出て、海法氏と世間話をしながらゆっくり歩いてきて、家の中に入ってもまだまだ電灯を点ける必要がないほど晩春の日は長い。門の戸の開け閉めの音が聞こえたのだろう、足音がして、玉見が出てきた。
 「ただ今。」と私が言うと、上がり框に立って無表情に頷いただけで、玉見は廊下伝いに台所に引っ込んだ。海法氏には話していなかったが、紹介された大家に会いに行くと、海法氏から聞かされていた金額より幾分高い家賃を要求され、大家は家の中の雑事を親戚の子に住み込みでやらせるからその分も含んだ金額だと言ったのだ。その額でも私は何の不服もなかったのだが、家の中に他人を入れるのは嫌だと断ろうとしたとき、当の子は大家の小母さんに呼ばれて私の前に立っていたのだ。
 十七ぐらいか、まったく愛想のない、口数が少ないというよりこちらの問いかけに小さな声で返事を返す程度で自分から話しかけてくることがない少女である。洗いざらしの半ズボンにプリントのTシャツ、化粧気のない地味そのものといっていい恰好で、朝食夕食の支度、日中は掃除、洗濯、買い物をしてくれている。十七とすると高校生だが学校には行っていないようだ。ともかく思ったほど存在が気にならず、便利ではあり、断らなければと思う気持ちも少しずつ薄れてもう一週間になる。
 海法氏に話していないことといえば、僅かだが仕事を家に持ち帰っていることもある。海法氏が知ったら、何と勿体ないことをと言うに違いない。完全月給制の契約だし、仕事はまるで急がされてはいないのだ。
 市町村史編纂の仕事は初めてではない。社史、学校史、組合史、宗教団体史といったものも含めれば十指を越えているだろう。しかしこれまでは先輩格の人といつも一緒で、一人でやるのは初めてなのだ。また別の理由で今回の仕事には自ら期すものがある。
 一人といっても私の所属するN大学史学研究室の仲間がいないという意味で、町史編纂のスタッフは私を含めて三人いる。この町の中学教師を定年で辞めたY氏、隣の市の県立高校の現役の教師R氏、そして私の三人全員が期間契約の嘱託で、助役の海法氏が監督責任者ということになっている。
 作業はまことにのんびりしていて、仕事場に当てられた書類保管室には海法氏が顔を出すだけ、しかもその海法氏は監督者めいた言辞は一切なく世話役のようなことに徹して、五時になれば無類の酒好きのY氏のご機嫌伺いに現れるといった毎日なのだ。こんなことで結構な給料を——R氏は一日二時間の勤務だからともかくとして、Y氏よりも私の方が高いのだそうだ——貰うのが申し訳ないほどだ。
 夕食の後、二階で当町の繭の生産高推移と隣の市に戦後できたナイロン工場の生産出荷高の推移の相関関係をまとめて、下の洗面所へ降りていってみると、玉見は卓袱台に顔を伏せて眠っている。雑誌が畳の上に落ちている。最初の晩からこうなのだ。いくら春の終わりの暖かい時候とはいえ、そんな寝方はよくないので、起こして隣の部屋に寝せようとしたところ、ひどく興奮した様子で泣き叫び、自分はこうやって寝るのが一番好きだし、一旦寝入るとぐっすり眠り込む性で起こされるのはひどく苦痛なのだと言うから、その様子の異様さに驚いた私はそれ以後そのままにしておくことにしたのだ。

 土曜日なので仕事は昼まで、Y氏もR氏も出勤せず、一人で帰り支度をしていると、室に顔を出した海法氏が私にいつも通りのねぎらいの言葉をかけた後、
 「どです、田んぼの真ん中にできた湯治場なんてのは。昭和の十八年、戦争の終わり頃ですが、田んぼに突然お湯が噴き出しましてな。まあ驚いたものでしたが、リューマチとか神経痛に効能があると専門家のお墨付きで、ちょっとした湯治場になって結構遠くからも人が来るんですわ。私も年であっちほらこっちと痛くなりだしてからよく行って泊まりもするんですよ。今日はまだ日も高いから、さっと一風呂浴びて、一杯飲んで、田舎料理を食べて、帰ってくるってとこで。お付き合いください。仕事にも参考になるでしょう。」
 地誌は主としてY氏の分担で、私は産業の推移を統計を使ってまとめる役なのだが、仕事と言われると断ることもできず、海法氏が役場の裏口に待たせておいたタクシーに一緒に乗ることになった。
 しばらくは道も広く民家や商店が並んでいたが、七、八分も行くと、道のまわりは見渡す限り緑色の水田、遠く青みがかった山並みの裾には棚状の葡萄畑が広がっている。
 やがて車は舗装道を折れ、砂利混じりの田んぼ道に降りてしばらく揺られていくと、木立ちが見え、その中へ突き入ったと思うと、黒塗の寄宿舎ふうの平屋建ての前に出た。車が数台停めてある。
 「さあ、ここです。」
 海法氏に促されてタクシーを降りると、すさまじい蝉時雨。
 玄関に入ると、高い天井で、ずっと奥まで廊下が続いている。
 段を上がって雑貨やみやげ品を並べている帳場に、
 「入湯、二人。」
と、海法氏は私を制してチケット様なものを出し、手拭いを受け取ると、廊下を伝っていき、幾つ目かの戸を開けた。
 脱衣場は狭く先客の脱衣が棚の箱に無造作に押し込められていた。ガラス戸を開けると、段の下の浴場は意外に広く、窓から入る光と白い湯気と湯の音がたゆたっている。浴槽には体格のがっしりした角刈りの中年男と七、八歳ほどの女の子がいる。
 男は海法氏を見ると、手拭いで前を隠しながら立ち上がり、丁寧に頭を下げ、私にも不相応な丁寧さでお辞儀をした。海法氏は殆ど無視同然の表情のまま浴槽に入ると、男の前を横切って窓の方へ進み、湯に腰を落とすと浴槽の縁に頭をもたせ目をつむってしまった。
 男は前に腰を沈める恰好になった私に話しかけてきた。
 「お役場の方でしょうか。お目にかかったことがないようですが。」
 「役場にいますが、臨時です。東京から来ました。」
 「東京。それは遠いとこからで。」
 男は日に焼けたいかつい仁侠風の顔立ちとは不似合いな細い声の柔らかな口調で話す。それに気を許したところもあり、私は問われるままに答えた。海法氏は湯に浸ったままずっと目をつむりつづけている。
 「旦那」
と言われ、私は返事をしそうになったが、男が声をかけたのは海法氏だった。海法氏は目を開くと、男の方を見、目配せのようなことをした。
 男が湯から出、海法氏がそれに続いた。
 「隣の湯に顔見知りの年寄りたちが来てるようなのでちょっと挨拶に行ってきます。じき戻ります。」
 海法氏は体を拭きながら私に言い、脱衣場から恐らく手拭い一本という恰好で出ていった。
 私は湯から出ようとふと目を上げると浴槽縁の角に座って女の子が私の方を見ている。私は立ち上がりかけた腰を下ろした。しかし、女の子は確かに私の方に目を向けているのだが、私を見ているのではなく、どこかあらぬところを見ているようなのだ。片足を湯に浸し、片膝を縁の上に立てている。
 女の子の片足が湯の中に沈んだり引き上げられたりする度に軽い湯音が立つ。
 と、どこからか先ほどの男の、人を呼ぶ声が聞こえた。女の子は立ち上がり、脱衣場に上がって服を着ると、男の脱衣をくるっとまとめて手に抱え、廊下へ出ていった。
 殆ど入れ違いに戻ってきた海法氏に促され、湯から上がると、上気し、腰のあたりに重い澱のようなものが沈んでいた。服を着て、海法氏について廊下を伝っていくと、開いている戸から六畳や八畳の間が見えたが、人の気配が窺われる部屋は殆どない。
 「冬場はもうどの部屋も一杯になります。米味噌持参で一週間、一ヵ月と長湯治していく常連がいますからね。さ、ここへ。」
と海法氏が手招いたのは廊下の行き止まりのすぐ手前の部屋で、入ると冷房がきいていて、畳の青い香がする。襖の奥の部屋に饗卓が置かれ、刺身、天ぷら、川魚、山菜、肉を山盛りにした大皿が贅沢に並べられている。窓戸は全部閉められ、厚手のカーテンが引かれている。
 座につくと間もなく、戸がノックされ、割烹着のよく日に焼けた女が徳利と銚子を載せた盆を手に入ってきて、丁寧に挨拶した。
 「シノさん、来てるかい。それまで勝手にやるから、後は構わんでいいよ。」
 海法氏がそう言って徳利に手を伸ばすと、女は愛想笑いして、下がった。
 「さあ、お互い手酌で。今の若い人はその方がいいでしょう。どんどん食べてください。」
 海法氏はそう言うと、殆ど酒に口をつけない私を尻目にぐいぐい飲んでいった。電話でお代りを催促し、来たかと思ったら、入ってきたのは意外にも土曜日は出勤しないY氏である。
 意外と思ったのはしかし私だけのようで、Y氏は馴れたふうに挨拶すると、私の差し出す徳利を手で制し、
 「無礼講でいきましょう。」
と海法氏に劣らぬ勢いで飲み始め、前歯のない口を動かしよく食べる。何度か酒のお代りをし、皿もほぼきれいになった頃、白い上っ張りのひどく痩せた爺さんが入ってきて、手際よく卓上を片付け、ウイスキーの瓶と氷を置くと、布団を運んできて、入り口の部屋に置き、出ていった。
 と、間を置かず、ノックの音がして入ってきたのは紺色の格子縞を羽織った女である。
 「ご無沙汰でございます。」
 立ち上がってこちらの部屋にすすんだ女は下は白い短い襦袢姿で、海女のような格好である。
 「やあ、シノさん、待ってたよ。」
 シノと呼ばれた女は、私の姉の希見と同じぐらいの年格好で、慣れたようにウイスキーと氷を注ぎ足す。とりとめもない話をしていたが、海法氏はポケットから茶封筒を取り出し、「今日は、頼むよ。シノさんの声が生きがいなんだ。」
と言って女に差し出す。
 「まあ、私たちの馬鹿を楽しんでくださるのは先生たちだけです。」
と言って、部屋の明かりを点け、立って行った。
 しばらくすると、女は襦袢だけの姿で入って来て、先ほど置かれた布団を敷いて、横たわったが、私たちの方にはまったく目をくれない。少しして先ほどの角刈りの男が入ってきた。男も私たちには挨拶もしない。女に向かって夫婦然とした言葉を浴びせると、二人だけの営みが始まった。
 私には刺激的な光景も海法氏やY氏にはそうではないようで、二人して無駄口をたたいている。
 二人が黙ったのと妙な声が聞こえてくるのが同時だった。男の動きがゆるやかになり、その下で女が息を震わせながらすすり泣いていた。
 海法氏とY氏は顔を見合わせて立ち上がった。敷居の前に来て正座すると、黙ったまま目の前の二人にじいっと見入っている。

 昭和三十一、二年ごろから手堅く事業を伸ばしていった自動車部品工場のJという経営者の聞き書きを家に持って帰って読んでいたら、気がつくと二時に近い。
 階段を降り、いつものように廊下から部屋を覗くと玉見が畳に俯せになって寝入っている。時候はすでに秋口。日中は残暑といえる暑さだが朝晩は肌寒い。私は気になり隣の部屋の押し入れから毛布を取り出してきて、玉見に掛けようとした。
 と、玉見はうーんというような声を出し、寝返りを打った。Tシャツが捲れ上がり、腰のくびれあたりまで丸見えで、ボタンの外れたジーンズの半ズボンから白地のパンティが覗いている。
 私は驚いて立ちあがった。玉見が苦しげな声を挙げ始めたのだ。寝苦しいのかと思いながら見守っていると、止まらず、ますます大きくなる。私は肩を揺すって目を覚まさせようとした。
 と、玉見は私の手を拒絶するようにぶるぶると体を震わせ始め、身を捩らせ俯せになったかと思うと、両腕を前に差し出し、膝をついて、体を前にのめらせ、尻を突き出した。いつのまにか半ズボンは下着ごと膝までずり落ちている。う、う、う、という呻き声がしばらく続くと、陰裂が盛り上がって開き、白いものが押し出されてきた。
 と、玉見は体を起こし、私の方に向き直ると、手を差し入れて中のものを拾い上げ、にっこり笑って私に差し出した。私は受け取った。それは正しく卵で、私の掌の体温を少し上まわる暖かさが伝わってくる。
 玉見は卵を眺める私をしばらく満ち足りたような表情で見ていたが、そのまま崩れるように畳に横になり動かなくなった。私は近寄って寝息の平常なことを確かめると、毛布を掛けて、二階の部屋に戻り、卵を机の上に置いて、布団に入った。
 朝、起きると、机の上に置いたはずの卵がない。……夢だったのだろうか。下に降りていくと、朝食の支度ができていて、玉見は頷くだけの朝の挨拶をして、私に食事をさせる、それもこれも普段通り。こちらから聞き出すことはできない。
 役場で仕事をしながら、私はあの掌に載せた卵の温度と感触が夢であったとはどうしても思えなかった。いつものように三時に顔を出したR氏とは今日はフランスのある有名な哲学者をめぐっての評価でぶつかったが、私は気乗りせず、そうも言えるかもしれませんね、と答えて話を打ち切ってしまった。R氏は勢いを削がれ、不思議だという顔で私の方をちらちら見ていた。

 海法氏の呼び出しででもあるかと受話器を取ると、庶務課員の声で私に外線が入っている、とのこと。繋いでもらうと相手は義兄で、妻すなわち私の姉の希見が死んだと伝えてきた。希見は良性の胃ガンと診断され通院していた。急に悪化し、手術したのだが直後肺炎を併発し急死した、実家に私の仕事先を問い合わせたのだが不明で、連絡できなくて相すまぬ、葬式も終え、やっと実家から連絡先を知らされたのだ、と義兄はしきりに言い訳をする。
 私は、私の母は希見から強く言われていて、わざと私の連絡先を教えなかったのだと悟った。私はこの町へ来る前々日、日本橋のTデパートで単身生活のための準備の買い物を姉に手伝ってもらい、食堂で昼食を共にした。
 「有一、私の顔をよく見い。」と姉が突然言い出すので、私は虚を衝かれ言われるまま姉の顔をじっと見た。目尻に小皺が目立ち、染みも点々とできていて、口元から顎にかけての肉の弛み等、四十四歳という年齢相応の顔に見える。
 「もう体に自信がなくてな。」
 姉はそう言うと、言葉を切り、私の顔を見た。形容のできない表情——悲しみ、期待、不安、諦念、訴え、無関心……そういったもののどれも当てはまらない顔で私を見ている。私は言葉を失って目をテーブルの上に落としたり、また姉の顔に戻したりしていた。
 「何かあっても帰ってきたりせんでいいよ。O先生の顔をつぶすようなことになったらあかんぞ。与えられた仕事を一つ一つちゃんとやりとげい。男は仕事やからね。いいかい。」
 私は黙ったまま頷いてみせた。普段酒を飲むことのあまりない姉が冷酒を注文して私に勧め、自らも結構な量を飲んだのも珍しいことだった。
 私が電話を切ると、Y氏が「何か大変そうなことですね」と声を掛けてきたので、「ええ、ちょっと」とだけ私は答えたが、その日はY氏もR氏も殆ど黙ったまま仕事をしていた。
 仕事の帰り、役場の近くの公衆電話から義兄と実家に電話を入れ、細々したことを話した。仕事が終わるまで帰らないことは、説明するまでもなくどちらも了解済みのようだった。
 電話ボックスを出て、しばらく歩くと、民家や商店の並びが途絶え、道の両側に田畑が広がった。田の畦や道の側溝に日没間近の日差しを浴びて燃えるような彼岸花の群生を目にしたとき、おえっという声とともに体中から絞り出されてくるように涙が溢れてきた。涙で前が見えず、時折車や自転車が通ると道端に佇んで行き過ぎるのを待たなければならなかった。
 家に着くころには涙も止まり、私は門の前でハンカチを出して顔を拭い、呼吸を整えてから、玄関の戸を開けた。いつも通りに玉見が出て迎えた。玉見のあとから上がり框に上がろうとして、突然私はこの玉見は十六、七ぐらいだということを思い浮かべ、衝撃を受けた。姉の希見は私より十六歳年上なのだ。
 夕食を済ますと、私はいつものように「布団に寝なさい」と玉見に言い置いて、二階に上がった。机に向かっても、目の前の障子に目が行くばかりで、何もできない。
 押し入れから布団を出し、パジャマに着替えたが、下に降りて歯を磨く気力もなく掛け布団の上に横たわってしまった。
 天井の板目模様が焦点の合わないレンズを通してのように映ずる。その模様に伴奏されるようにいろいろなことが浮かんでくる。
 親戚の家に遊びに行ったときの茶飲み話や家の者がちょっと気を許したときに口にする片言から、上の姉は特別問題もなく育ったが、下の姉は〈不良〉で十六歳のとき何かしでかしたらしい、ということを私は次第に確信するようになった。上の姉は私より二十歳年上で私が物心つく頃には嫁に行っていたからあまり接触はなく、希見は二十四歳すなわち私が八歳のとき嫁に行ったのだが、その前も後もどちらかといえば私に冷淡だった。
 しかし義兄はいい人で、お祭りや花見、年が進むとコンサートや展覧会によく連れていってくれた。大学を出た人で、わが家では特別な人に見えた。美術史が専攻で、小規模な広告デザイン会社に勤めているが、まあ芸術とはほど遠い仕事のようだ。私は美術や音楽には関心は薄く、ただ歴史を専攻したのは確実に義兄の影響だと思っている。
 こんなことも思い出す。私が二十一歳、大学学部の三年のときだ。私は家の二階の自分の部屋にいた。家の者は法事に泊まりがけで出かけ、私一人留守番ということでラジオをかけながら寝そべっていた。そこへ突然めったに実家に来ることのない希見が入ってきた。
「有一。おまえ汗くさいぞ。背中流したる。下へ来いや。」
 姉と一緒に湯に入った記憶はあまりなく、それに私はもう二十一歳なのだ。しかし希見の口調は単調で、断るのはかえってこちらに負い目があるととられるようにさえ思えた。
 そのころはいわゆる五右衛門風呂で、泥炭を使っていたから、狭い風呂場は煙突の隙間から逆流する煙でくぐもる。言われたように先に湯船に入って、目をしばたたかせながらすのこの上の台座に腰掛けて背中を流してもらうと、姉を残しそそくさと脱衣場へ上がった。たえず伏目でいたはずだが体毛が薄く陰裂の露な姉の体は記憶に残っている。
 二階の部屋に戻って机の前に腰を降ろしていると、階下から
 「有一。ご飯やで。早く降りて来。」
と、何事もなかったような姉の声がし、降りていくと、これまた何事もなかったように食事の支度がしてあった。
 ——私は布団から起き上がり、階下に降りていった。いつもより早い時刻なのか、玉見は眠らず卓袱台に雑誌を広げ読んでいる。
 「玉見」
と私は声を掛けた。
 顔を挙げた玉見に私は聞いた。
 「おまえ、年はいくつや。」
 「十七です。」
 いつものように無表情に答えを返す。
 「そうか。それであの大家のおばさん、おまえのどういうおばさんなんだ。」
 「死んだ母ちゃんの姉さん。」
 「そう。お父さんはいるんだろ?」
 「父ちゃんは最初からいない。」
 「そうか。大家のおばさんに明日話してみる。ちゃんとして一緒に暮らそう。」
 玉見は頷いたようにも、ただ下を向いただけのようにも見えた。

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