中有


 信号待ちを繰り返している車の列の間から、赤いカーディガンがまだ見えている。もう三十分はいるだろう。私がこの二階の窓際のカウンターテーブルの前に腰を降ろしたときから、コーヒーを飲み終えて、コップの水が半分ほどになっても女はその地下鉄口の脇に立っているのだ。
 「すみません。」
 不意の声に、私の目は通りの向こうからコーヒー店の中に引き戻された。と同時に、テーブルの上にコーヒーカップと若草色の表紙のファイルブックが載せられ、横の椅子が引かれた。
 一瞥すると紺色の制服の上に焦げ茶色のカーディガンを着たほっそりした女子高校生だ。
 私は黙ったまま椅子を脇へ少しずらし、目を窓の外に戻した。そのわずかな間に赤いカーディガンの女の姿は消えていた。
 私はコーヒーカップを手に取り、飲み終えていたのを目にすると狭いテーブルの窓の方へ押し遣って、コップに残っている水を少しずつ喉に流し込んだ。「ふふ」と含み笑いのような声が近くでし、私は顔を向けた。
 隣の女子高校生が私を見て笑っている。私は虚を衝かれた体だったが、黙ったまま目を窓に戻した。
 「おじさん」
 馴れ馴れしげに声を掛けてきた。私は無視し窓に目を向けたままでいた。
 「今頃の時間になるといつもいるのね。仕事してないの?」
 私はその言葉に再び虚を衝かれた体で、思わず顔を向けた。少女は小刻みに動く目で私を見ていたが、笑ってはいなかった。
 どこかで会ったことがあるのかと思ったが、その記憶はない。しかし化粧気のない色白の顔や背筋のよく伸びた姿勢には何か警戒心を弛めさせるようなものがあった。
 「私、学校の帰りによくこの店に寄るのよ。いつもボックスの方に座ってこっちには来ないから、わからなかったでしょ。」
 少女は白く、長い、栗鼠を思わせるような前歯を見せて話す。私は言った。
 「何かぼくに用があるのかい?」
 「ね、今日はいい天気よ。ここ出てお濠端でも歩いてみない?」
 私の問いを無視した少女の態度に私は幾分不快になり、またその唐突な誘いの言葉に警戒心も戻ってきた。私は言った。
 「言っとくけど、ぼくは時間はあるけど金はないよ。こんな百五十円コーヒーの店に入って時間つぶしてるんだから、程度はわかるだろ。」
 少女はカップを載せた皿とファイルブックを手に立ち上がっていた。
 「見ればわかるわよ。変な勧誘じゃないから心配しないで。」
 「あのね……」と言いかけた私に構わず、少女は下げ膳棚にカップを戻すと、階段を降りていってしまった。
 私は立ち上がり、しかしすぐまた力なく腰を降ろした。まばらな客は雑誌を読んだり話を交わしたりしていて、私の方を窺ったりする者もいない。どう転んでもこれ以上無様なことにはなりようがないか、と自分に言ってみて、私は立ち上がった。


 「おじさん。どうして喫茶店で時間つぶしてるとき新聞とか週刊誌とか、そんなもの読まないで、難しそうな本ばかり読んでるの?」
 そんなところまで観察されていたのか、と私は思わず息を呑んだ。
 「理由は、……特にない。」
 「おじさん、いくつ?……別に答えたくなければいいけど。」
 矢継ぎ早の無遠慮な質問に、私は黙ってしまった。すると少女も黙って濠に沿った遊歩道を私と並んで歩いている。少女の体からその年頃特有の甘酸っぱいような匂いが少しも 伝わってこないことが、幾分かは不思議であり、また幾分か安心でもあった。
 太い枝が垂れ下がり頭に掛かるほどになっている桜の樹の下に来ると少女は立ち止まり、全体にまだ淡い紅葉の中から葉を一枚摘み取って、黙ったまま私に渡してよこした。私はそれを拒む理由もなく、鮮やかに紅い桜の葉を受け取った。少女は少し行ってまた葉を一枚摘み取ると、私と同じように指の先で弄びながら、淵に落葉の澱んでいる黒ずんだ濠を見下ろしたり、遊歩道の外に沿った道の方を見たりして、半歩先を歩いていく。
 「多分……四十五歳。」
 少女は前を見たまま言った。私は間合いの不意を衝かれ、またまぐれ当たりであるのはわかっていても言い当てられたことで、ぎくりとした。
 言い捨てたまま歩いていく少女の頭は私の目の高さより上にあり、私が私の年代の男として中背以上ということを考えると、いまどきの女子高校生としても背は高い方だ。ふと私は少女の黒々として項を隠している髪の先が外側に少しカールしているのに気づいた。それは私や私の妹の髪の癖に似ている。
 コンクリート敷きの灰色一色の遊歩道の路面がどこからか茶褐色や灰褐色や灰緑色の組合せに変わっていた。方形の四隅を不規則に砕いた平たい石を並べ、その隙間に小さく砕いた石を挟んで敷き込んだ路面は、自然の岩肌のようでもあり、何という画家だったか建物の壁や窓や屋根、木や丘や川を装飾的に描いた風景画の色面のようにも見える。この千鳥が淵の濠端は若い頃から何度となく歩いたところなのに、こんなことに気を留めたのは初めてだ。
 「おかしいかい?」
 私は歩きながら言った。
 「何が?」
 振り返りながら少女が言う。
 「いい年した男が仕事もしないで時間をつぶしていることさ。」
 「ね、おじさん、生まれ変わりって信じる?」
 少女は私の問いを無視して、唐突に聞いてきた。私は足を止め、少女の顔をまじまじと見て、
 「生まれ変わりって、あの、仏教などで言う輪廻転生のことかい?」
 「そう。」
 「ふーん。」と言って、私は思い出したことがある。
 「『チベットの死者の書』というのがアメリカやヨーロッパでよく読まれていて、病院の臨死の人のベッドにその英訳本が置かれている映像をテレビで観たことがあるよ。死んで四十九日だったか経つと次の生に再生する、その間は中間的な在り方だという解説も覚えている。……しかし、生まれ変わったとしても、もとの肉体はすでになくなっているのだから自分の前世が何だったかはわからないし、生まれ変わったのかどうか自分ではわからないという説もあるようで、正直なところわからないな。」
 「私は信じるわ。」
 少女は真面目な表情で言った。
 私は少女の表情に少し驚き、揶揄の調子を帯びないよう注意しながら聞いた。
 「そう。じゃ、君の前世は何だったと思うんだい?」
 「それが、はっきりしないの。前世の記憶が蘇ってくることがあるんだけど、そこでは私喋れないのよ。自分で自分の姿が見えないから、はっきりはわからない。……でもそれが私に私の意志を超えた導きをすることがあるの。本当よ。」
 「君は、変わった、女の子だね。」と、私は言った。
 少女は少し微笑んで素直に頷き、歩き出した。
 遊歩道の終点に来ていた。その先の内堀通りを右に行けば靖国神社が近いし、左へ行けば半蔵門に出る。
 「どうする?もう少し歩いてみるかい?」
 「おじさん」と少女は私の話を少しも耳に入れていない風で言い出した。
 「もし明日も何もやることがなかったらN会館に来ない?神保町の、場所はわかるでしょ。私、学校で美術部に入っていて、明日から三日間作品の展示会をするのよ。OBでプロの画家に指導してもらってるんだけど、その先生の口利きでN会館の一室が借りられたの。これからその準備に行かなければならないから今日はここで失礼します。私、学校が三時前に終わるから、半には行ってる。よかったら。」
 少女は、中有子、と自分の名前を告げ「友達にはチュウユウって呼ばれてる」と言うと、私の返事は待たず、ファイルブックを手に通りへ出ていった。


 紅葉した蔦の間から木の枝の拡がりのような補修跡の模様が覗くN会館が見えてきた。戦災を免れて今に残っている洋館としてテレビで紹介されたこともある。
 中有子という少女からの唐突な招待は無視してもいいようなものだったが、N会館という名は懐かしく、やらなければならないことが何もないのは言われた通りなので、ちょっと行ってみてもいいかという気になったのだ。
 花崗岩造りの石段を登り、時代がかった重厚な開き戸を押して入ると、赤い毛氈敷きの広い廊下が奥へ続いている。右手を見ると、地下へ降りる木の階段が昔通りにそこにある。
 指定された会場は一階だったが、私は階段を降りていた。階下の通路の右側には売店や貸しオフィスや控室があり、左側にレストランが並んでいる。たしか五軒あったはず、と歩いてみると、五軒。そのうちの三軒は店自体も変わっていない。
 奥のカフェバーは昔は甘味喫茶店だった……。その手前のスペイン料理店『コスタ・デル・ソル』は昔通り。——しかし、ショーウインドーは美しく改装され、入口に〈本日のオススメ シーフード・パエリア グラスワイン付〉と表示されたサンプルの載った小卓が、オレンジの実と鮮紅色の小輪の花を添え、置かれている。
 店の中を覗き込んでみて、驚いた。内装が変わっていない。レイアウトもそのまま。十五年は経っているのに——。中央に矩形の大テーブルが五、六個。テーブルクロスが変わったぐらいで、テーブルも椅子も昔と同じものが置かれているのではないだろうか。
 昼食と夕食の中間で客の少ない時間帯だが、大テーブルの一つを十人ほどの客が占めていた。奥に控えていた若いウエイターに目礼され、私はフロアを横切り壁際の丸テーブルに腰を降ろしていた。
 このテーブルにも何度か坐っている。私が昔勤めていたT商事の本社ビルが近くにある。結婚前、妻は同じビル内の子会社に勤めていたから、このN会館の地下には二人でよく来たのだ。
 ——売店でガムを買い、アルコールの臭いを抑えてから、一階の展示会の会場へ向かった。
 開けてあるドアの前に机が置かれ、制服と私服の少女が二人並んで受付をしている。記名帳を示され、住所と名前を書いて顔を挙げると、室の中から中有子が出てきた。茶色のジャケットとジーンズのズボン、腕に受付の二人と同じ〈美術部〉と書かれた腕章を付けている。
 「いらっしゃい」
とだけ言って中に入っていった。わけ問いたげな受付の少女の視線を避け、私も有子の後に続いた。
 十五、六畳ほどの広さのフロアのほぼ中央に観葉植物の鉢と椅子が数脚置かれ、絵の前に七、八人ほどの来場者がいる。
 有子に目で促され、私は壁の端から見始めた。
 間隔を十分にとって並べられ、水彩画は少なく、殆どが油彩画だ。静物画が圧倒的に多いのは指導する人の方針の反映なのだろうか。見始めてすぐ有子は室から姿を消していた。
 次の壁に移って、私はおっと思った。これまで見てきた絵とは一見して異質な作品が展示されている。絵の下のプレートを見ると、〈聖家族 中有子〉とある。
 まず、大きい。他の絵の数枚分ほどの幅を占めている。それにその構図——。
 一番後に父親だろう若い男、その前に若い母親が腰を降ろし、その母親の膝に凭れるように二歳ほどの髪にリボンを付けた少女が寝そべっている。父親は段状の少し高いところにしゃがんでいるが、後景は黒や茶や灰色の色面構成のような描き方なので、そこが何であるのかはわかりにくい。岩畳のようにも、ソファのようにも、階段のようにも見える。
 その父親が母と幼児を抱えるように恐ろしく長い手を前方に伸ばしているのだ。
 しばらくして私はこれによく似た絵があるのを思い出した。有名な画家の絵のはずだが、そこまでは思い出せない。有子の絵がその絵を下敷きにしているのは間違いないと思うが、有子の絵には真似をしただけだとは言えないものがあって、見る人を撃つと私には思えた。
 残りの、良くも悪くも無難に描かれた作品を見終え、私はもう一度有子の絵の前に立った。
 父親と母親は質素な無地のシャツを着ているのに、幼児は多色織りの暖かそうなローブにすっぽり体をくるまれていて、暗色系の全体の色調のなかでそこだけ明色、暖色が使われている。
 いつのまにか戻ってきて脇に立っている有子に私は言った。
 「よく描いたね。」
 有子は肩を竦めるようにして、微笑んだ。
 鉢の周りの椅子に生徒の親なのかよく喋る二人の女が坐り、絵とは無関係な話を続けている。
 「私」と有子が言った。「まもなく受付に坐る時間なの。入口まで送る。」
 ドアを開けボーイが立っている部屋からも、閉められているドアの奥からも、賑やいだざわめきが廊下まで漏れている。私も有子も黙ったまま赤い毛氈敷きの上を歩いた。
 入口で、「来てみてよかったよ。じゃあ。」と私が言うと、有子は私を見て、
 「今度の日曜日、飛鳥山公園に来ません?一時に。私、二十分ぐらいは待って、来なかったら帰っちゃいます。」
 「あ」と私は言い、言葉を続けようとすると、有子はもう後姿を見せて奥へ歩き出していた。


 青い色の電車が上り方面へ行ってしまうと、目の前が飛鳥山でその端に展望塔が見える。
 改札を出て跨線橋を渡り、線路に沿った急な坂を登って公園入口の柵を入ると、セラミックの黄色の河馬の背に跨った有子が手を振っていた。
 近づいていくと、有子は微笑んで頭を下げてみせたものの降りようとする気配はなく、所在なく私は並んで白熊の背に跨った。尻に冷やっと来た。
 「あ。」
という声に、見ると、有子は中空を見上げている。
 「何?」と私は聞いた。
 「ツグミよ。」
 「ツグミ?よくわかるね。」
 「まず鳴き声よ。ほら、キィ、キィ、クワッ、クワッ……。」
 見上げるとたしかに褐色の小鳥が鳴き声を挙げながら木々の枝を揺らして飛び回っている。
 「秋になると北の方から渡ってくるのよ。」
 小鳥の群れに目を遣っていた有子は、私の方に顔を向けると、
 「歩こうか。」
と言って河馬の背を降り、ジーンズの尻を手で軽く払った。
 もう晩秋と言っていい時候なのに、日差しが汗ばむほどに暖かい。通路の両脇の桜の樹の下に積もった落葉の山が黒や紅や黄や茶の斑模様を織り成していて、歩く靴の下で乾いた大きな音を立てる。
 「葉桜の頃にはね」と私は並んで歩いている有子に言った。「この道は暗いほどなんだ。……春の花の頃も五月の葉桜も秋の紅葉もみんな知ってる。」
 有子は歩きながら私を見たが、何も言わなかった。私は続けた。「このへんは結婚して最初に住んだところなんだ。ここから歩いて十分くらいのところにアパートを借りて住んだんだ。子供が生まれてね、アパートは狭いし不便だし、無理してね、マンションを買って移ったんだ。二つ先の西日暮里駅のすぐ駅前。」
 「じゃ、そのマンションは引き払ったの?」
 「いや。」
 「だっておじさんは荻窪に住んでるって言ってたじゃない。」
 「別れたんだ。」
 「え、離婚?」有子は足を止めて言った。
 「いや。まだできないでいる。別居中だ。」私は歩きながら答えた。
 「いつから?」追いついて横に並んだ有子が聞いてくる。
 「五年前だね。」
 桜並木を抜け、展望塔の前に出ると、「内部改装のため休館」と貼り紙がしてある。塔の前のテラスに並べられたテーブルに若い男女が一組坐っていたが、私たちがテラスに登ると立ち上がった。
 「何か食べるかい?」と私は有子に聞いた。
 「コーヒー飲もう。そこに坐ってて。」
 私の返事を待たず有子は塔と向かい合わせのレストランの中へ入っていった。午後の日差しを受けて銀色に光るアルミ製のテーブルの前に坐っていると、コーヒーカップを載せたお盆を手に有子が戻ってきた。
 「いくら?」私は財布を出し、聞いた。
 「おじさん」有子は私の問いには応ぜず、椅子に坐ると聞いてきた。「失業したから、奥さんに愛想づかしされたの?」
 「え?ああ、別れた方が先さ。失業はその後だよ。」私は財布をテーブルに載せたまま、置かれたカップを手にした。「今から一年前だ、リストラでね、会社が希望退職者を募ったんだ。ぼくの場合は強く誘導されたわけじゃなかったんだけど、何となく罷めてしまった。退職金は全部むこうに渡して、マンションのローンは完済したし、それで月々の送金と相殺ということにしてもらったんだ。子供がまだ中一でね、教育費なんかまだ送る必要はあるんだけど。ぼくは安アパートを借りて節約してはいるけど、貯金だって二年はもたない。新しい仕事を見つけなくちゃと思ってるんだが、何とも覇気がないままで、ぶらぶらしているんだ。」
 有子は飲み終えたコーヒーカップを脇に寄せ、私の顔をじっと見て、
 「じゃ、何で愛想づかしされたの?」
 「ぼくの方がしたんだろうな。」
 「ま。どんな悪いことしたのよ、奥さん。」
 私は殆ど残っていないカップを口に運び、
 「悪いことをしたとか、悪い人間だったとかいうんじゃないんだ、離婚の理由なんてのはね。」
 私は飲み終えたコーヒーカップを盆に戻した。すると有子は立ち上がり、盆を手に店の中に入っていったが、すぐ戻ってきて話を続けた。
 「この公園に奥さんと来たことある?」
 「それは何度もあるさ。そもそも女房が桜が好きだったからこの近くに住むことにしたんだし。……そうそう、女房も絵を描くのが好きでね、君ほど上手ではなかったけど。この公園を描いた絵もあるし、ぼくをモデルに描いたこともある。」
 「じゃ、最初はうまくいってたの?」
 「最初はね。でも少しずつ溝ができていった。むこうはむこうの生活、ぼくはぼくの生活となっていったんだ。電車で一時間足らずのところに女房の実家があって、両親がまだ生きてたからよく帰るようになってね。だんだん一つ屋根の下に一緒にいる必要はなくなっていったんだ。仕事が終わってね、さて帰ろうとしても、その家に帰る理由がないんだ。」
 「子供がいるじゃない。」
 「子供は母親と一体でね。口論が始まると母親に抱きついてぼくを白い目で見るようになってたな。」
 「子供を遊びにつれていったことはあるんでしょ?」
 私は少々虚を衝かれた感じで、少し考えてから、
 「あまりないな。子供は母親に預けっぱなしだったな。」
 「そういうのって積み重ねじゃない?奥さんの側に問題があったとしても、おじさんだって子供や奥さんとの関係をよくしていこうとどれだけ努力したのかしら。」
 「……何だか女房のエージェントみたいだな、君は。」
 「そういうつもりじゃないけど。」有子はテーブルの上に目を落とした。「私、おじさんの今の話の奥さんや子供の立場なの。母子家庭なのよ。」
 私は息を呑み、有子の顔から肩に沿って目を落とした。
 「そう。悪かった。君や君のお母さんとしては父親を恨む側だものな。」
 「ううん。」有子は首を横に振った。「お母さんはお父さんのこと悪く言ったことは一度もない。」
 「……いつ頃まで一緒にいたの?」
 「私の両親の場合、離婚ではないの。父が蒸発しちゃったのよ。」
 「蒸発?」
 「父は役人だったの。大学出て、出世は早かったみたいなんだけど、派閥争いみたいのがあって、退職せざるを得なくなったのね。で、いわゆる天下りをしようとしても、勝って役所に残ったボスが手を廻してどこにも勤められなくしてしまったの。仕事を選ばなければあったんでしょうけど、自尊心の高い人だったのね。どうすることもできなくなって、私が小学二年のとき蒸発しちゃったのよ。」
 「完全に行方不明になったわけ?」
 「ううん。母は知ってるみたい。京都で、小さな観光会社の事務をしてるって話してくれた。調査会社ってあるじゃない、探偵のような。そこに頼んだんじゃない?」
 「小学二年じゃ記憶ははっきりしてるよね。どんな人だったの、お父さん?」
 「そうね。仕事は有能だったみたいだけど、全然遊んでくれない人だったな。幼稚園や小学校の参観日にも運動会にも一度も来てくれなかった。家のことは何もしなかった人みたい。」
 山の縁に沿って弧を描く坂を降りていくと、広場の噴水池の周りに掛け小屋が並び菊花展が催されていた。
 「きれいだねーえ。」
 小屋の前の子供の手を引いた若い母親の声に誘われるように有子は近寄っていった。
 そのとき勢いよく噴水が上がり水の音を響かせ始めた。突然私は、この広場で菊花展が開かれているときに来たことがあったことを思い出した。そのとき私は誘う妻に首を振ってベンチで待っていた。その木のベンチは今見ると、ない。
 下の段から上の段まで大輪小輪取り混ぜて一面に並べお花畑のように仕立てたもの、竹や針金を張って羽を拡げた孔雀や盆栽松を模したもの、何色もの花を配合して意匠を凝らし絵模様に作りあげたもの……池の周りを巡って最後の小屋を見終えると、有子はどお?という風に私の顔を窺った。
 私は言った。
 「まさか菊の花を見るためにこの公園に来たわけじゃないんだろ?」
 有子は微笑んで、
 「おじさんに頼みたいことがあるのよ。」


 低い手摺から一階ロビーが見下ろせるスロープを登り、ドアの開いている入口から入ると、室の角に初老の女性が一人で椅子に坐っていた。女性は有子を見ると立ち上がり、椅子の背から薄茶のブレザーを取って私に目礼をすると部屋を出ていった。
 「ぼくなんかで役に立つのかな。」
 絵の展示されている室内を見回しながら、私は言った。
 「よかった。六時半まで。お願い。」
と言って有子は室を出ていった。
 椅子に腰を降ろすと間もなく、中学生ぐらいの男の子が入ってきて、私を見ると、あ、という顔で慌てて出ていった。
 少しして年配の女性二人連れが入ってきて、言葉少なに見て帰った後、ぱったりと人の訪れはなくなった。小さく聞こえていた壁越しの人の声も今は止んでいる。
 一瞥してN会館のときよりもっと特徴のない作品が並んでいる。有子のものは出ていないと聞いていたが、立ち上がって部屋の絵をひとわたり眺めてみた。指導する人が同じであるためだろうか有子たちの展示会同様静物画が多い。
 椅子に戻って少しして、所在なさにまた立ち上がり、フロアを廻りながら何気なく目にしたプレートにはっとした。
 〈人物 那珂西里子〉
 「中西」という姓はありふれているが、「那珂西」と書く姓はそんなにあるものじゃない。私の妻の旧姓も那珂西なのだ。
 赤いカーディガンを着た中年の女性が立っているのを描いた油絵で、題名通り題材も構図もこれといって特徴のない、色使いも平凡な……と、このときふと思い出した。批評は手厳しく、実作はしない人、と妻は私に言ったことがあるのだ。
 OBの画家が地元で指導しているサークルの作品発表会という有子の話だったが、妻がそのサークルに入って絵を習っていることはありうる。もしそうだとしたら、この会館がある王子は西日暮里駅から遠くないし、会期はたとえ長いとしても今日は日曜日だから、訪れる可能性は高い。
 姓は偶然同じでも名前の方は違うんだから、と自分に言い聞かせながら私は落ち着かなくなった。
 入口で女の声がしたとき、私は思わず身構え、窺った。入ってきたのは見知らぬ五十歳前後の女性二人だった。
 二人が去り、再び静かになった室内を椅子に座って見廻していると、どうしても人物を描いた絵に目が行く。それは私の知っている妻の絵と似ているとも言えるし似てないとも言える。
 結婚してはじめの頃妻はよく油絵を描き、有子に話したように私をモデルに描いたこともある。しかし段々描くことはしなくなった。絵の道具も押し入れの奥に仕舞い込まれていったようだ。
 絵と言えば——妻が私の大学の後輩と高校の美術部で一緒だったことが、私が妻と話を交わすようになったきっかけだった。T商事の本社ビルの喫茶室で会社訪問に来た後輩と二人でコーヒーを飲んでいるところへ妻が入ってきて、後輩と顔を見合わせ「あっ」と声を挙げたのだった。
 有子は約束通りの時間に戻ってきた。
 会館受付の警備員に挨拶し、外に出ると、有子は、
 「今日はごちそうします。」と言って先に立った。
 「夕食の金ぐらいまだあるよ。昼のコーヒー代もあるし、ぼくが奢るよ。」と私は言った。
 「いいの。期間中当番は手当が出るのよ。微々たるもんだけど、二人の夕食代ぐらいにはなるわ。」
 駅へ向かう裏通りを歩きながら
 「有楽町駅の前にK会館ってあるでしょ。最上階が廻るレストランで有名な。」
と有子は唐突に話し出した。
 「あのすぐ裏にPデパートの配送センターがあるのよ。そこでちょうどバイトが今日までだったの。今日は休むしかないかと思ってたんだけど、おじさんに替わってもらって助かった。あ、ここはどう?」
 店の外まで照明が明るい花屋の前で有子は足を止め、その隣の古びた木のドアを私に示した。
 二階へ上がると、弱い照明の下にテーブルが三つ並んでいて、他に客はいない。手近なテーブルに就くとすぐ、階段の軋む音がして、前垂れを掛けた店の女が注文を聞きにきた。
 有子の注文の品を聞いていた私は、女が降りていくと、有子に言った。
 「君は菜食主義者なんだね。」
 「そんなんじゃないけど」と有子は少し考え込む風にして、「母が肉断ちしてるの。父が帰ってくるまでということで。私には育ち盛りだからって肉の料理も作ってくれるけど、自然にそうなっちゃうみたいね。」
 私はコップを手に取って水を一口飲み、
 「君の絵の先生ってどこに住んでるの?」
と聞いた。
 「小田急線の向ヶ丘遊園。どうして?」
 「いや、別に。」と私は答えた。
 食事が終わり立ちあがろうとして、有子は思い出したように茶封筒を私に差し出した。
 「これ。ここ三日間の新聞の求人欄を入れておいたから。参考になれば。」


 この廻る展望レストランは一時間で一周するから、目印にしておこうと有子が言ったYビルの屋上が視界から消えようとしている。有子は私を見て、
 「一歩前進ってとこか。」
と言って目を小刻みに動かしながら笑った。
 「この間の展示会の帰りにも話そうと思ったんだけど」私はビールを口に運びながら、話を続けた。「新聞広告を見て仕事を探したのは今度がはじめてなんだ。大学出て最初の就職をしたときは、むしろむこうからゼミの教授を通して頼んできたって格好だった。食品の専門商社だった。スペイン語とフランス語とドイツ語、それに英語の四か国語の商業文を書くことができるというので、入社してすぐ本社の調査室に配属になった。エリートコースだと人に言われたし、自分でもそう思った。上司も同僚も軽く見下してたよ。まあ自惚れていたんだね。五年そこにいた。三年目に結婚もした。そのうち他から、中心になってやってみないかと誘われ、引き抜かれた。そこに移ってはじめて自分の力の程度を思い知らされた。具体的なことは話してもしようがない。とにかくずたずたになって、結局八年いて罷めた。すると自信過剰が反転して極端な自信喪失になり、不安で不安でしようがなくなった。ひどいときは人と口を利けないぐらいになったんだ。精神科の病院にも通い、薬も飲んで、まあ落ち着いた。その後、知人の紹介で情報誌の出版会社に勤めた。いくつもアイデアを出して、それがことごとく当たった。それで少しずつまた自惚れていったのかな、気がついてみると敵がかなりいて、はめられたんだ。部下の女子社員からセクハラで社長と労組に訴えられ、もう女房とは別居してたから疑われ、結局証拠不十分で収まったんだけど、全く根も葉もないことではなかったし、そんなことしてるうち嫌になって、一年前会社が募った希望退職者数が目標値に達しないため退職金を吊り上げたとき、さっと罷めちゃったんだ。するとまた自信喪失で、俺は何をやっても駄目、これまで何をしてきたんだろうって落ち込む一方。人とのつき合いはもともと薄くて、困ったときだけ頼みに行くのは具合悪いし、待ってても紹介の労をとってくれる人はもういない。まあ、落ち込む一方のこの頃だった。君と妙な出会いをして、元気づけられたようだ。『中高年』の欄で見つけた単純作業の仕事だけど、ぼちぼちやるさ。」
 「そうよ。ほどほどでいいんじゃない?」
 「この年になってはじめて人の気持ちがわかったこともある。……夕方、歩いていてね、偶然線路沿いの道に出たんだ。そのとき、音をたてて通る電車やずっと続いているレールが妙に懐かしいんだよ。頻繁に通る電車の中が明るく電気が点いていて、人が乗っていて、それが固くて恐いものって感じが少しもしなかった。死のうという意識じゃないんだ、それに乗ってどこかに行けば今より少しはいいところへ行けるような気持ち……。」
 「あ、Yビルがむこうに行ってる。」と有子が声を挙げた。「一時間以上になるのよ。出ましょ。」
 外へ出て、有楽町駅まで行くと、有子は改札口を背にしたまま私を見て、
 「就職祝いにおじさんをいいとこに連れてってあげるわ。」
 「いいとこ?いいとこって?」
 「ふふ。内緒。」
 有子は改札口の前を通り越し、ガードを潜って日比谷通りに行く。
 通りを並んで歩き出したとき、私は危うく声を挙げるところだった。突然有子が腕を絡ませてきたのだ。私にとってそれは想像を絶することだった。私は妻とも誰ともそんなふうにして歩いたことはない。
 有子の少女らしい問いに答えを返しながら車の多い通りに沿って歩いていくうち私は少しずつ馴れてきた。日比谷公園の横を過ぎ、やがて芝公園の前に差し掛かって、随分遠くまで行くと頭の隅で訝りながら、何ということもなく楽しい気分で私は行き先は敢えて問わず有子のほっそりとして体温のうすい腕を抱えるようにして歩いた。
 芝公園を過ぎ、瓦と土を重ねた古い練り塀がしばらく続いたあと、朱塗りの二重屋根の堂々とした大きな門の前に出た。
 戸が開かれていて、石を敷き詰めた広い前庭が見え、そのずっと奥に大きな本殿が見える。
 そのとき有子のほっそりした腕がぐいと私の腕を引いた。そして門の端に立っている案内板の前に私を引くように進んでいった。増上寺三門と表示がある。ああ、と私は思った。増上寺という名はよく聞く。
 「ちょっと入ってみない?」
と有子は私の腕を少し押すようにして言った。
 「いいよ。」と私は応じ、石段を登って門敷居を越え、広い前庭に足を踏み入れたとき、またぐいと私の腕が引かれた。
 見ると、有子は青ざめた顔をして、目をつむり、片手の指先を額に当てている。
 「どうした?気分が悪いのか?」
 「ううん」と言って有子は目を開き、苦しげな表情で私を見、腕を解いた。
 「何か強い気が吹き込んでくる。ごめん。私、門の外で待ってるから、おじさん、一人で見てきて。」
 「何だ。じゃ、ぼくも止すよ。特に見たいってものじゃないもの。」
 「ううん。」と有子は強く顔を横に振った。「見てきて。ね。私は大丈夫。」
 そう言うと有子は足早に門の方へ戻っていき、敷居に渡された渡り板の上で振り返ると、笑みを見せ私に無邪気に手を振った。私も繰り人形のように手を挙げて応え、それで事が決まったように敷石の通路を歩き出した。
 大きな自然石を巧みに塗り固めた石段を登って、本殿の前に立ち、しばらく眺めてから、建物に沿ってぐるりと廻ってみた。
 本殿の裏手は高台になっていて、柴垣を配した草庵、某氏族の霊廟、六角柱の慰霊堂などが並んでいる。
 高台を降り本殿の裏伝いに歩いていくと、本殿の隣にもう一つ小振りの、と言っても他の寺院ならそれで十分本殿と言って余りあるような殿舎があり、それを裏伝いに廻ろうとして、私はあっと目を見張った。
 夥しい数の石地蔵が並んでいる。
 しかし私が目を見張ったのはその数の多さよりも——殆どすべての地蔵の頭を覆っている朱色の編み頭巾、首の下の朱色の涎掛け、風に廻っている赤や黄や青や桃色のセロハン製の無数の風車、といった色彩の唐突さなのだ。
 風車は、近づいてみると、それぞれの地蔵の足もとの台座の筒に、大輪のものを棒の先に小輪のものをその下に一つずつ括り付けて挿されていて、その向きや括り付け方の巧拙、置かれた位置によって全部が同時に一様に廻っているわけではなかった。
 それらが水子地蔵であるのは私にもわかった。わずかなものを除いて、石の材質、背丈、表情と、みな同じ——下がり眉の下で目を閉じ、おちょぼ口をした童子地蔵が、境内の外の坂道との境の生け垣に沿って延々と続いている。頭巾や涎掛けは、新しく色鮮やかなものもあり、すり減り色褪せたものも、全くないのもある。
 この寺はこれで有名なのかもしれないなと思いながら地蔵の列の間を歩き出したとき、強い風が吹き、風車が一斉に音をたてて回り出した。
 ——何と長い間思い出すこともなかったのだろう。
 私は子供は欲しくなかった。自分の子供時代を不幸だと思っていたし、思春期を言い難い思いで通り抜け、成人になった自分も嫌な存在でしかなかったから、その分身をこの世に存在させるのは真実嫌だったのだ。
 妻は私の決心が固いのを知ると、泣いた。それは静かな泣き方だったが、その姿はこたえた。さすがの私も仕方ないというところまで気持ちが折れ、最後は「いいよ」と言ったのだ。
 妻はひとしきり泣くと、ぴたっと泣き止み、静かな表情で「ううん。いいの。」と言うと、自分から率先して病院に行った。付き添って待合室で待っていた私のところに看護婦が来て、「先生がお話したいと言ってますので」と告げたとき、妻はとんで来て、「いいんです。私、先生にそう言いましたから」と引っ張るように看護婦を診察室に連れ戻してしまったのだった。
 生け垣が切れ、同時に地蔵の列も切れて、坂道への出口の手前に祠がある。中を覗くと観音立像が安置されていた。
 祠から本堂の方に通じる小門があり、その脇に立て札があって、細い柱に絵馬が重なり段状になって括り付けられてある。
 その手前の何枚かはまだ新しく、木肌の滑らかな裏面に黒インクで読みやすい字が書かれたものに自然に目が行き辿っていた。——勝手な私たちを許して下さい ごめんね 勝典 二人で話し合って決めました また来ます 母より 道江
 本殿の前に出ていた。ふと三門の方を窺うと、そこに有子の姿は見えない。
 前庭を突っ切って門を出た。塀沿いに歩道を左右に見廻したが、いない。信号待ちを繰り返しながら通行する車越しに通りの向こうを窺っても姿はない。
 境内には入らないはずだし、下手に動いて行き違いになっても困る——そう考えて私は門の前で待つことにした。
 何人もの人が門を入っていき、門を出てくる。やがて私の目の前を通って入って行った人が出てくる、というようになった。
 暖かかった日差しもさすがに十一月の遅い午後らしく弱まってきた。風が吹くと足元が冷え冷えとする。私が有子とこの門で別れてからもう一時間は経っているだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?